710 地図と測量の科学館(つくば国土地理院) [May 10, 2013]

家からつくば研究学園都市までは、一般道路を使っても1時間くらいで着く。前々から行ってみたかった地図と測量の科学館を目指して、ゴールデンウィーク中の平日休みに車を走らせた。

研究学園都市は相当の広さがあり、街に入ってからまた畑が出てきたりする。加えて一区画が広く、200~300m先の信号まで一つの機関というケースも少なくない。ここには国の研究機関が数多く所在しており、筑波大学も昔は東京教育大学といった。教育大付属とか教育大駒場といえば4、50年前には進学校の代名詞だったが、いまはどうなのだろうか。

さて、地図と測量の科学館は国土地理院の敷地内に建てられた博物館で、伊能忠敬はじめ歴史的な地図や、三角点の模型、測量の仕組みなどの掲示物がある。併せて、ここには古い地図のデータベースがあって、昭和初期のどこどこの1/25000といえば有料でプリントアウトしてもらえる。今回はそれが目当てであった。

私の住む千葉ニュータウン地区は昭和40年代以降に開発がすすめられたところで、それまでは森と林と田圃の世界だった。成田新幹線構想と並行して土地買収が進められ、愛国党の赤尾敏氏も地主の一人だったという。地図バックナンバーの受付に行くと、年配の男性が話を聞いてくれた。

私の生まれた頃の地図(もちろん、区画整理前である)をお願いすると、「もっと古いものもありますよ」と調べてくれる。一番古いのは大正時代のもので、百年近く昔だ。せっかくなのでこれもお願いする。売店に行って収入印紙を買ってこなければならないが、最近歩くのは苦にならない。

バックナンバーの他にも、最新版の1/25000図も置いてある。山の地図をいくつか買う。館内の掲示も一通り見る。三角点の地下に基準点を示す石材が置かれているのだが、その模型もある。なるほどこんなものを持っては、剱岳に登れなかったはずである。

日本最古の地図とされるのは行基が作ったとされる地図(行基図)で、これがかなり長い間日本地図のスタンダードだったようだ。行基は「火の鳥」にも登場する奈良時代の僧で、全国を回って仏教を広めたとされている。各地の温泉には弘法大師と同じくらい行基が開いたとされるものがある。温泉の好きな坊さんだったのだろうか。

現在の(というか実際の)海岸線に近い地図が出てくるのは、やはり伊能忠敬からである。忠敬のすごいところは、隠居までは庄屋として家の仕事をして蔵もいくつも建てて、50過ぎてから測量の勉強をしに江戸に出て、全国を測量し始めたのは50代も半ばを過ぎてからというところである。現代であれば、定年過ぎてから活躍を始めたということになる。

佐原の伊能忠敬と利根町の柳田国男は、近在の有名人の中でも格別で、おそらくあと100年経っても名前は残るだろう(船橋市初の総理大臣である野田佳彦はちょっと厳しい)。

科学館の前庭には、地球縮尺の日本列島がある。これをみると、沖ノ鳥島や南鳥島がどんな遠くにあるかが分かる。入場料は無料で休日も入れるし(ただし食堂は職員と共通なので平日のみ)、あまりひと気もないので、ゆっくりできるお薦めの施設である。


「地図と測量の科学館」内部。1階のフロアに広がっているのは、3D日本地図。私は3Dメガネが苦手なので、2Dでいいです。

[May 10, 2013]