810 大潟村干拓博物館 [Sep 1, 2009]

かつて、琵琶湖に次ぐ日本で二番目に大きい湖は、秋田県の八郎潟であった。

この八郎潟が干拓されたのは昭和30~40年代にかけて、今から40年ほど昔のことである。小学校の社会科で、この干拓により諸外国並みの大規模農業が可能になり、食糧増産にも大きく寄与すると習ったのだけれど、その直後から減反政策が始まったのはまさに皮肉なことであった。

またもや仕事の合間に、ちょっと足を伸ばしてみる。とはいえ、大潟村に行く公共交通機関は存在しない。レンタカーを使うか、泣く泣くタクシーで行くしか方法がないのであった。目指すは「大潟村干拓博物館」、八郎潟干拓に関する資料を展示する村営の施設である。

湖を陸地にするのだから、土砂を入れて埋め立てたのだろうと当然のように考えていたのだが、実際はそうではない。八郎潟は、そもそも河口近くにある汽水湖(真水と海水が交じり合った湖)で、しかもほとんどが干潟だったので水深が浅く、堤防を作って内側の水を排水することにより陸地にしたということである。文字通り、干上げて拓いた=干拓、ということになる。

しかし、事態は計画していたほど楽なものではなかったらしい。一区画数ヘクタールの農地に、ヘリコプターで種籾を撒いて、疎放型の大規模農業をするつもりだったのに、干拓してできた土地はヘドロ状で、種籾は深く沈みこんでしまうか、逆に地表にとどまってしまうかで、考えていたようにきちんと稲が成長するというものではなかった。

また、農作業のためにトラクターを農地に入れると、下がヘドロ状なものだからずぶずぶと機械が沈み込んでしまった。自力で脱出できないものだから、他の車に引っ張ってもらうのだけれど、それでもダメでそのまま沈んでしまったトラクターも相当な数に上ったらしい。こうした状況を、「トラクターが亀になった」と称したということである。

結局、地中に排水路を掘って余分な水を除いたり、土壌改良のための土砂や薬剤(炭カル等)を入れて通常の田んぼにした上で、普通に田植えをすることに落ち着いたということである。

いまにしてみれば、そのまま汽水湖にしておいて、しじみを養殖したり観光資源にした方がよかったということになるのかもしれない。ただし当時は高度成長時代の入り口で、技術の向上により干拓が可能なのであれば、国土を増やし、コメが増産できた方がいいという考え方が支配的であったようである。

もともと湖であった土地に大潟村が誕生したのが昭和39年。干拓により入植者が村に入ったのが昭和43年。当時の状況についてタクシーの運転手さんから面白い話を聞くことができたので、それはまた明日。


大潟村干拓博物館。左がかつての八郎潟の航空写真。右から奥が干拓後のもの。

 

湖面はもともと国のもので、そこを埋め立てたのも国営事業である。国のやることだからあくまで公平に、入植者は全国に募集をかけて、試験をし研修を行った上で実際に村に入るということになった。そういう経緯だから、かなり先進的な人たちが集まったらしい。

「(ヘリコプターやトラクターを使った農作業が)なかなかうまく行かないものだから、一日が終わるとみんなで集まって、反省会ということになるんですよ。」

と、タクシーの運転手さんが語る。話を聞いていると、初期に入植した方のようであった。東北も秋田・山形周辺になると、年配の人の言葉はかなり違って聞き取るのが難しいくらいなのだけれど、この運転手さんはばりばりの標準語である。

「全国から集まった人たちですし、けっこう弁の立つ人も多くて。自分の家とか集会所でもやりますが、船越まで出ることもありました。」

船越というのは、干拓地の海側の出口である。ここからはJR男鹿線が走っていて、県庁のある秋田まで40分くらいで着く。そしてこの船越、駅前でも商店街でもなく、干拓地への通り道にスナックが林立している。

「ここらあたりは、みんな大潟村の人達が”開拓”したところですね。寿司屋に行って、スナックへ行って、締めはラーメンとかね。よく行ったものでした。」

全国から試験に受かって来て、集合研修を受けた上で入植したので、かなりサラリーマンに近い雰囲気があったらしい。

「でも、いまはもう二世三世の時代でしょう?一日終わってみんなで飲みに行くなんてこと、いまの若い人はあんまりしないから。ここ(空き地)も昔は寿司屋だったんですけどね。」

サラリーマンと同様、大潟村の農家の人達にも、プライベート重視という現代の流れが押し寄せてきているようである。

「大潟の人は目端が利くでしょう?減反で米が作れなくなるとメロンや大豆を作ったり、それも黒大豆とか青大豆とか、付加価値の高いものを契約して作ったりするんですよね。いま、この地域では風力発電が盛んに薦められていて、作ると二千万とかかかるんですが、何軒か分の発電量があるらしくて、結構検討している農家もあるようですよ。」

「なるほど、そういう先進的な雰囲気だと、農家ではきわめて厳しいという若いお嫁さんの来手も結構あるんじゃないですか?」

「そのようですよ。他の村で1軒ようやく来るところを、大潟では何軒も来ているみたいですからね。」

若いお嫁さんが来るから、ますます外に飲みに出なくなる、という訳ですね。」

そういえば、私の住んでいる千葉ニュータウンにも、スナックとかバーとかの飲食店街がほとんどない。だからおっさん達は、高校生とかと一緒にファミレスで一杯やっていたりする。あと二十年もすると、こちらの方がスタンダードになるのかもしれない。


昔の八郎潟、現在の調整池の海側出口にある防潮水門。ここから上流に海水が上がらないようにしている。海水が入るとしじみが取れたりいいこともあるが、農業用水としては使えなくなってしまうのである。

[Sep 1, 2009]