911 月形樺戸博物館 [Aug 14, 2013]

今年の北海道は、これまで行ったことのない石狩から留萌にかけて走ってみようという計画である。新千歳空港に下りて札幌に1泊し、翌朝レンタカーを借りて出発した。

札幌市内を出るまではちょっと渋滞する。私が最初に来た38年前にはすでに札幌は百万都市だったが、いまや百九十万都市である。当時より倍近く人口が増えた結果、市街地も様変わりしていて、昔何もなかったところ(例えば、札幌競馬場周辺とか)にもマンションが建ち、イオンやヨーカドーが並んでいる。サッポロビール園の周りも、再開発されて当時の面影はほとんどない。

最初の目的地は、月形(つきがた)町にある樺戸集治監(かばとしゅうちかん)の遺構、月形樺戸博物館である。ここは、かの網走刑務所より前の明治14年、全国で3番目、北海道で最初に設置された明治政府の監獄である。JR札沼線に沿って、国道275号を北上する。しだいに街並みがまばらになり、水田地帯、さらに原野を進む。

とはいっても、当時はこれらの線路も道路もなく、囚人達は石狩河口から船で石狩川を上ってきたそうだ。付近は原生林と湿地帯で、もともとアイヌの人たちの狩り場であったという。そんな土地だから、川を下る以外に逃げ道はない。周囲はすべて原生林であった。狩り場ということは、もちろんクマもいた。そんな中で送られてきた囚人達は、道路建設や開墾に従事しなければならなかったのである。

館内には、当時の建物配置や服装、食器類、囚人達が数km先の山から引いてきた水道の木管、懲罰として付けられた鉄丸(足につけられた鎖と重し)など、また、内陸部の幌延まで作った囚人道路の様子などが展示されている。シアターで流された映像がCGを駆使してやけに本格的だなぁと思っていたら、乃村工藝社の製作だった。

展示物の中に、当時の大臣の談話がある。「彼らは凶悪犯であり、過酷な労働で倒れたとしてもやむを得ない。むしろ監獄の経費が浮く。」と言っていたそうだからずいぶんな話である。とはいっても、実際に囚人の多くは凶悪犯だったようである(五寸釘寅吉とか)。展示には、氏族の反乱や自由民権運動などで政治犯が多いと書いてはあったが。

北海道の開発というとまっさきに「屯田兵」という言葉が浮かぶが、屯田兵の入植に先立って主要道路を整備したのは彼ら囚人であったという。そして、囚人や看守の生活用品、食糧、建設資材などが大量に必要とされ、それに伴って出入りの商人達も集まったことから、監獄城下町ともいうべき市街地が作られた。これが現在の月形町のはじまりである。

だから、月形という町名は、この樺戸集治監の初代典獄(所長)・月形潔からとられている。月形潔は福岡藩出身、薩長同盟の起案者の一人月形洗蔵の親戚である。ところが博物館内の説明書きでは、土佐の武市半平太と親戚と書いてあったような気がする。それも、「月形半平太」と書いてあったような。

ちなみに、月形半平太は月形洗蔵と武市半平太をモデルにしたといわれるフィクションの世界の人である。ここの施設は館内撮影禁止なので、記憶だけなのが悲しいところである。この記事を見て、どなたか確認していただければ幸いである。

 


当時の樺戸集治監の建物を移築した、月形樺戸博物館。なぜか内部撮影禁止。

[Aug 14, 2013]