912 洞爺湖温泉 [Jan 8, 2006]

昔は北海道といえば鉄道での移動が定番であり、青函連絡船が函館に着くと急行で長万部まで出て、そこから函館本線をそのままニセコ方面に行く列車と、室蘭方面へ南下する列車に分かれた。当時「カニ族」といわれた若い旅行者は、横に長いリュックに着替えや荷物を詰めて、ときには駅構内や夜行列車で泊まりながら、道内を旅したものである。

その場合ひとつのモデルコースとして、朝函館に着いてそのまま大沼を観光し、洞爺湖まで移動して、昭和新山のユースホステルに泊まるというルートがあった。昭和52年夏、友達3人とそんなふうに洞爺湖を訪れた私は、これも定番の洞爺湖遊覧船と有珠山(うすざん)ロープウェーに乗って、北海道の雄大な自然を楽しんだ。そして、さらに道央から道東へと進んだのであるが、そこで、つい3、4日前に行ったばかりの有珠山が噴火したというニュースを聞いたのである。

1週間して戻ってきたときにはすごかった。とにかく、直線距離でも7、80km離れた札幌市内で火山灰が降るのを目の当たりにし、札幌から函館に向かう列車の窓は、灰がセメントのように固まって全く外が見えなくなってしまった。新聞等で写真をみると洞爺湖は降ってきた石で湖面がみえないような状況であり、その後も1年近く火山活動が続いたことにより、洞爺湖温泉街は壊滅的な打撃を受けたのである。

その後、温泉街は奇跡的な復興を遂げ、平成に入ってから何度か訪れた。温泉は単純食塩泉で、湯量がそれほど多くないのか、登別ほどたくさんの湯船があるという訳ではない。だが、真ん中に4つの島を持ち対岸には遠く羊蹄山(えぞ富士)を臨む洞爺湖の景色は実に雄大で、展望風呂に入ってはるか遠くをみるとなるほど北海道、という気分にさせてくれる温泉である。

その後、2000年に再度有珠山は噴火し、またもや洞爺湖温泉街は大打撃を受けることとなった。20世紀に有珠山は4回大規模な噴火をしているが、最近の2回が2000年と昭和52年、その前の昭和19-20年はいまや重要な観光資源となった昭和新山ができた。その前の明治43年の噴火ではその名も「四十三(よそみ)山」という山ができたのだが、そもそも洞爺湖温泉はこの時に噴出したものだという。

当時は、火山だから噴火することもあるんだろう、と思ったくらいだが、いま考えると大変な災害だったし、タイミング的にも相当危なかったなあ、と思う。

[Jan 8, 2006]