115 沖縄で冒険 [Jun 10, 2009]

日本時間では今朝、WSOPレディースが開幕しているはずである。おそらく先週末あたりから遠征している方々もいらっしゃるという中で、私はというと、今年の夏は、いまのところ全く長期休みの目処が立たない。何ヵ月前に安い値段で押さえていたラスベガスのホテルも泣く泣くキャンセル、3年連続のWSOP出場はならなかった。

かれこれ十四、五年も前のことになるが、パソコン通信時代のniftyにMCNフォーラムというところがあって、ここで競輪とオートレースの会議室を共通でやっていた。当時デビューした森クンの記事などをupしていたものだが、その頃、管理者兼常連ライターにiriさんという方がいて、この人が書いた記事で、いまでも記憶に残っているのが以下の内容である。

KEIRINグランプリに出場する選手には厳しい選考基準があるが、参加する方にも厳しい条件がある。それは、XXXX年12月30日に以下の基準を充たしていることである。①生きていること。②娑婆にいること(引用者注.服役して刑務所にいないこと)。③学生・生徒・未成年者でないこと。④立川競輪場に来ることができること。⑤車券を買うカネを持っていること。

この条件からすると、WSOPシニアの開催される6月第4週にラスベガス、リオ・ホテル&カシノに行くことができないのだから、私には出場資格がない。悲しいことである。なにしろ、来週から4週連続で出張が入っていて、さらに先に伸びる可能性はきわめて大きいのだ。

というわけで、ほとんど唯一連休が取れそうな先週末、沖縄に行って来た。たまにはカシノ絡みでない観光も入れておかないと懐具合が厳しくなるし、新型インフルはやや下火とはいえ海外へ行くのは若干ではあるが気が差す。不要不急の海外旅行は控えるようにという空気は、世の中にまだまだ根強くあるのである。

6月4日木曜日に現地入りして、翌日は金曜日。朝方まで夕べの雨が残って、どんよりとした曇り空。無料サービスの朝食を食べて、さてどうしようか考える。バスを使うかレンタカーにするか。ETCカードとJAFの会員証は持ってきたのだが、フロントで聞いてみるとレンタカーの受付は9時からで、それから車をここまで持ってくるということである。

となると、出発できるのは10時を過ぎてからになりそうだ。時刻はまだ8時、せっかくの休みにホテルの部屋でいらいらしながら待っているのも生産的でないような気がしたので、バスを使うことにする。行き先は、勝連グスクのある沖縄中部のうるま市。以前は勝連町・与那城町といったあたりである。

 


那覇市内。国際通りから牧志公設市場に入ったあたりの街並み。

 

ところで、沖縄にプライベートで行くのは初めてである。大体の地理は理解しているつもりだけれど、ひとに連れて行ってもらってばかりなので土地勘はほとんどなく、地図も持たないで歩き回ろうというのはかなり無謀である。それはそれとして、事件(?)は勝連から次の目的地である北谷(ちゃたん)に向かうところで起きた。

勝連は沖縄中部の東海岸、北谷は西海岸である。沖縄のバスはたいてい那覇との往復路線なので、中部を横断する路線バスはない。バス停の路線図をみると、那覇行きに乗ってコザで下りると、そこから北谷に向かうバスがあるようだ。1時間に1本くらいしかないバスがちょうど来たので、とりあえずコザまで移動する。

コザのバス停で下りたけれども、はて、北谷行きの路線など見当たらない。もしかすると違う停留所があるのかもしれないと思って、手前の十字路に戻って探すと、案の定違う方向に別の停留所があった。そこまで行って時刻表をみると、なんと、北谷行きのバスは朝と夕方しか出ていないのであった。

次のバスは3時半、いまの時刻は1時過ぎ、まだ2時間以上ある。困ったなあと思っているうちに、違う行先のバスが来て、私を見てドアを開けた。仕方がない。分岐点まで乗って、後のことはそれから考えよう。

バス停を3つか4つ行く間に、次の交差点を右に折れると北谷という表示が見えた。バスはどうやら直進するようだ。あわてて下りる。北谷まで何kmという表示がないのが気がかりだが、とりあえず方向は合っているようなので歩くことにする。みるとタクシーもそこそこ走っているので、いざとなったらタクシーという手もある。

交差点から標識どおりに右に折れる。おそらく北方向に向きを変えたと思われた。衣料品を扱っているお店が続く通りで、米軍基地が近いためかラージサイズが多い。何軒か行くと、”48 POLAMALU”とか”18 MANNING”とかNFLユニフォームを飾ってある店をみつけた。中に入って値段を見てみると、”US$300”と貼ってある。おお、$建てですか。

しばらく行くと大きな通りにぶつかった。標識によれば、北谷は左、西方向である。さらに歩く。すると、大きな道路は高速につながっていて、沖縄南インターというらしい。このあたりまで来るとタクシーはほとんど見当たらず、自家用車かトラックである。もしや、車でしか移動できない距離を歩いているのではないか、と不安になる。

ちょうど目の前に「沖縄そば」の店がある。まだ歩き始めて20分くらいだから、引き返すなら今のうちである。そーきそばとオリオンビールを注文して、さっきデジカメで写したバスの路線図を拡大して見てみる。

沖縄南インターから北谷まで、バス停で5つか6つのように見える。そのくらいであれば、なんとか歩けるはず。沖縄そば屋を出る頃には雲が開け、外はまぶしいばかりの日差しである。チャージャースCapとサングラス、日焼け止めもつけて紫外線対策をとってはいるものの、相手が真上から照らす亜熱帯の太陽ではかなり心細い。

高速の脇を抜け、運動公園の横を延々と歩く。さっき飲んだビールはすぐ汗になって出てしまった。運動公園を過ぎたあたりで、米軍・カデナエアベースの正門が見える。そして、気がついた。人の住んでいないところにはバス停はない。周囲が基地の敷地ということは、バス停の間隔は非常に長くなっているのではないか。

 


U.S.Air Force Kadena Air Base.   この青空と、真上から照らす太陽(自動車の影)は、さすが沖縄。

 

カデナ・エアベース正門を過ぎて、米軍基地を右手に見ながらゆるゆると坂を登って行く。「アジアパー伝」に、沖縄の米軍といってもいろいろあるって書いてあったけど、コザ近辺はあまりこわくない方だったよなー、などと思いながらひたすら歩く。私以外に歩いている人など一人もいない午後である。

坂を登りきったあたり、道路の上方に待望の「北谷町」の表示が現れた。沖縄市と北谷町の境界である。ともかく、方角だけは間違いなかったようで、うれしい。ただ、めざすのは海岸沿いである。ここまでですでに1時間近く歩いているのに、行く手に海らしきものは全く見えない。

ところで、なぜ北谷(ちゃたん)を目指したのかというと、前の晩に見たパンフレットにたまたま北谷が載っていて、ジャスコ北谷がかなり規模の大きなショッピングセンターのようなので行ってみようと思ったからなのである。今回の沖縄での目的の一つが「チャンプルー塩」なるものを探すことだったのに、那覇で探したときには見つからなかったのである。

カデナ・エアベースから20分ほど歩くと、やたら英語が目立つエリアになった。「外国人向け貸家求む」「English Speaking Stuff Available」などの看板、英語しか書いてない店、そして沖縄便などないはずのノースウェストの代理店。どうやら、米軍関係者の居住区のようである。とはいっても、本当の軍関係は基地にいるだろうから、取引業者とかそういった方々であろう。

北谷というのはおそらく、こういった日米混住の地区だと思われた(後からジャスコに行ったら、外人ばっかし)。通りの看板だけ見ているとまるでサイパンのようである。思わずデジカメを取り出して記念撮影。ほどなく、「北谷高校前」というバス停が見えた。

高校があるということは市街地も近いのではないかと期待したのだけれど、間もなく再び建物がなくなり、両側が米軍所有地となってしまう。亜熱帯の炎天下、ひたすら西に向かって歩く。もはや、ひざがまっすぐ伸びていないのを感じる。かかともほとんど上がっていない。やっぱり沖縄はレンタカーがないと無理と分かったけれど、後の祭りである。

歩き始めたのは1時過ぎ、北谷町に入ったのは2時半すぎ。それでも海などとても見えない。結局、海岸沿いの国道に出るまでそれから30分、さらにそこからジャスコまで15分ほど歩き、ようやく冷房の利いた店内に入ったのは、そもそも最初コザで見たバスの時間、3時半であった。

着く前には、ジャスコの近くにあるはずの観覧車に乗って、沖縄の海をながめようと思っていたのだけれど、余分な距離を歩くだけの体力は残っていなかった。ようやくみつけた「チャンプルーの素」とスポーツドリンク、それになぜか安かった3Lのシャツとトランクスを買っただけで、那覇行きのバス停へそそくさと向かったのでありました。

家に帰ってから地図をみると、コザから北谷までせいぜい7、8kmといったところで、歩いて歩けない距離ではない。それに実際にかかった時間はというと2時間程度であり、まあ大したことはない。それでも半日は歩き続けたと思ったくらいに疲れたのは、地図も持たないで土地勘のない場所という、相当に緊張した状況のせいではなかったかと思う。

考えてみれば、たった2時間とはいえ続けて歩いたのは久々のことである。遠い沖縄で、ひさびさに冒険してしまった一日でした。


なんとなくサイパンを思わせる、北谷のロードサイドショップ。日本語は「キャピタル」だけ。

[Jun 10, 2009]