011 首里城 [Jan 13, 2010]

先週、奥さんを連れて沖縄に行ってきた。夫婦そろっての旅行は久しぶりである。

最近、私が一人で沖縄に行く機会が多かったため、「いーなー。私も沖縄行きたいなー。首里城見たいなー」と言っていたので、今回は奥さんの意向を重視したのである。最近噂のJALで那覇へ。今年から新聞のサービスがなくなったのは、空間が広くなったようでかえってうれしい。クラスJで奥さんが隣なので、余計に広くてよかった。

ホテルに荷物を置いて、さっそく首里城へ。風があってかなり寒く、しかも雨。飛行機が遅れたので辺りはかなり薄暗くなってきた。昨年、玉陵(たまうどぅん)に行った際にこの道を通ったけれど、正殿に行くのは十数年振り。何時まで開いているか自信がなかったので(実際は6時まででかなり余裕があった)、モノレールの首里駅から石垣沿いを急ぐ。

守礼門から正殿へと坂を上っていくと、入場券売場の前の建物で琉球舞踊の公演が行われている最中である。テントの下にパイプ椅子で即席の観客席が置かれ、もちろん無料。風が吹いてきてちょっと寒かったが、私も奥さんもこういうのは好きなので、しばらく見せていただく。

それから入場券を買って正殿へ。以前来たときよりも広くなっていて、書院とその奥の鎖の間(さすのま)は、近年になって整備された場所。清国や薩摩の役人を接待したという部屋である。300円追加すると、ここでお茶(さんぴん茶)と琉球菓子のサービスがある。沖縄名物のさんぴん茶とはもともとジャスミンティーで、清国との交易で入ってきたとのことである。

奥さんが楽しみにしていた首里城正殿は、現在向かって左側の部分が修復工事中。折りしも雨が強くなってきて、ゆっくり見られなかったのはちょっと残念。正殿内部の玉座と「中山世土」の額は以前と同様で、ラスト・エンペラーの縮小版のような造りは、改めて中国と琉球の親密な関係を感じさせた。

もともと尚氏琉球王国は中国の明・清に冊封を受けていた中国傘下の国であったが、1609年に薩摩が侵攻・征服した。その後、清の使節が来れば中国風に、薩摩の使節が来れば日本風に対応し、最終的には明治時代の廃藩置県により明白に日本の一部となるまで、琉球王国は存続したのである(この「琉球処分」事件が、日清戦争の原因の一つとなった)。

そして、第二次世界大戦の沖縄戦で大きな被害を受け、首里城も大部分の施設が焼失した。現在の施設は1972年(大阪万博より後!)の本土復帰後に順次整備されたものである。このように字数の限られた中では説明しきれない事情が沖縄にはあり、昨今の基地問題についても軽々にコメントするのは難しいものの、とにかく沖縄の旅なのであった。


沖縄舞踊、「貫花(ぬちばな)」(だったかな?)。


首里城正殿。現在、修復工事中。

[Jan 13, 2010]