012 今帰仁城(なきじん・ぐすく) [Feb 15, 2010]

今回の沖縄のメインは、レンタカーで県北部を回ることであった。特に、名護市の近郊にある今帰仁城(なきじん・ぐすく)は、琉球統一以前の三山時代に北山王の拠点となったグスクである。グスクには、神域としての意味と戦略拠点としての意味があるが、戦略拠点としてのグスクとしては代表的なものである。もちろん、世界遺産である。

このグスクが重要な舞台となった戦いとして、1416年、琉球(三山)統一における北山王・攀安知(はん・あち)と中山王・尚巴志(しょう・はし)の戦いと、1609年、薩摩藩による琉球侵攻の戦いの2つが有名である。

1416年の戦いでは、琉球統一を図る中山王・尚巴志がきびしく攻め立てたものの、今帰仁城は微動だにせず、仕方なく謀略により篭城側の裏切りを促し、やっとのことでこの城を落としたとされる。実際、小高い丘全体が城になっており石垣は非常に高く、さらに外側は深い谷になっているので、正面攻撃だけで攻め落とすのは難しそうだ。

もともとこのグスクは、代々の有力者が百年以上の年月をかけて作り上げてきたものであるらしい。丘の頂上からは遠く海が見渡せるので、おそらく最初は神事の場として施設が作られ、次第に権力者の本拠地として、住居や倉庫、敵の攻撃に備えての石垣が整備されてきたものと思われる。

一方、1609年の薩摩藩侵攻に際しては、難攻不落のはずのこの城が、ほとんど1日で攻め落とされてしまった。これは、この時代の沖縄には大きな戦いがなく、守備兵にほとんど実戦経験がなかったのに対し、薩摩藩は関ヶ原直後であり、多くの鉄砲と歴戦の古強者が相手では持ちこたえられなかったということである。

それでも、地理的な優位性から考えて少しは抵抗できたはずであるが、三山時代や第一尚氏~第二尚氏間の激動期にも沖縄では鉄砲などという武器は使われなかったから、薩摩藩の使う火縄銃の一斉射撃の前に、抵抗する気も起きないくらい縮み上がってしまったのであろう。この後薩摩藩は、ほぼ無抵抗のまま首里城まで占領してしまうのである。

薩摩藩侵攻の際に城が炎上し、それ以降城下町は海岸線へと移ったため、今帰仁城は歴史の表舞台から去ることになった。現在、正門から階段を上がって本土の本丸にあたる主郭まで城址公園として整備されているが、最盛期の規模はこれよりもずっと大きく、現在も整備が続けられている。

そして、21世紀の現在、沖縄北部で最大の集客施設である「美ら海(ちゅらうみ)水族館」(海洋博記念公園)は、今帰仁村の隣、本部町(もとぶまち)にあり、車で15分ほどである。1416年の戦いで北山王を裏切った人物は本部大原(もとぶ・てーはら)といって、この地方の豪族であったらしい。ちなみに、今帰仁城の入場料が400円、美ら海水族館は1800円である。

今帰仁と本部が、時代を超えて対抗しているようで興味深い。


今帰仁グスクは、現在も修復作業が続けられている。主郭(本土の城の本丸にあたる)から修復中の外郭部を見下ろす。


今帰仁城から海洋博記念公園までは、車で15分ほど。美ら海水族館は平日でも結構いっぱいです。

[Feb 15, 2010]