015 那覇・識名園 [Mar 6, 2015]

那覇空港を下りると、足しげく通ったテニアンやマカオを思い出す。寒い成田から出発して2時間余り、まったく気候が違うのは同じ日本とは思えないほどだし、町の雰囲気が違うように感じられる。特にテニアンは、昔沖縄の人達が大規模に移住した島なので、そう感じるのも無理はないかもしれない。

また、ちょっと裏通りを歩くとマカオの下町とそっくりに思えるところもある。マカオと同様に天后伝説が残っているのは、かつて海の民だった名残りだろうか。特にここ数年の傾向なのか街中に中国人観光客が目立つので、そう思うのかもしれない。さかのぼれば琉球王国は、明に冊封を受け中山王(ちゅうざんおう)に任じられていたので、昔に戻ったといえなくもない。

さて、那覇市内で行ったことのない世界遺産は識名園である。沖縄における世界遺産は、斎場御嶽など一部の例外を除き第二次世界大戦で壊滅的な被害を受け、ほとんどが戦後になって再建・改修されたものである。レプリカなのに世界遺産とはいかがなものかと思わないでもないけれど、世界中を見渡せばそれほど珍しいことでもないのかもしれない。

識名園はモノレールの駅からかなり離れたところにある。今回は赤十字病院のあたりから歩いて行ったのだけれど、識名方向は市街地より高い場所にあるので、かなりの登り坂を上って行かなければならない。片側2車線の道路がまっすぐに、標高差で50m近くも上っているのですごい圧迫感である。かなり上ってから脇道にそれる。引き続ききつい登り坂である。

氷点下の成田から半日で、大汗をかきながら坂道を登るとは思わなかった。うっそうとツタの絡まる病院の横を抜け、ようやく峠にさしかかると、そこからは市営墓地である。見渡す限り沖縄独特の破風墓が広がっており、道端には「売墓」の広告もみられる。墓の前面は法事を行うスペースがあるので、ひとつの墓だけで相当の面積が必要である。だから墓地全体も広大になる。

ようやく墓地が終わって住宅地になる。はて識名園はどこだろうと探すと、さらに通りをひとつ渡ったところに駐車場があった。

入場券売場に行くといきなり、「いま御殿は修理中ですが、よろしいですか?」と尋ねられる。よろしいですかと言われても、ここまで来て引き返す訳にもいかない。入場料400円Ⅹ2人分を払って中に入る。これまでの風景から一転してあたりはガジュマルの森。そして森を抜けると、みごとな庭園が広がっている。

まず目に入るのは大きな池である。離島であって近年まで水不足が大きな問題となっていた沖縄に自然の湖はないし、池もたいへんな贅沢であっただろう。しかしこの識名園は琉球王国の迎賓館であり、明国や薩摩の使節を迎える際にはある程度のやせがまんも必要だっただろう。修理中の正殿前から庭園を前に、しばらくの間いにしえの使節接待の場面を想像する。

正殿に来るまでのエントランスは南国の自然を象徴するガジュマル、そして庭園は和風とも中国風ともつかない微妙なしつらえである。池の中の島に作られた六角形のお堂では、使節接待の際には三線で演奏が行われたのだろうか。そして宴たけなわともなれば、池に舟を浮かべて一献ということになったかもしれない。

当地では最高のグルメといわれた尚順男爵の随筆「古酒の話」によると、薩摩の使節接待の際には百年物ともいわれる最高の古酒が提供されたとのことである。第二尚氏の成立は16世紀、南方からの米輸入により現在の泡盛が作られ始めたのはそれより約100年前とされるから、泡盛発祥以来の古酒が提供されたのかもしれない。

以前、尚順男爵の遺稿集を読んで、私も古酒を作ってみたいものだと一瞬思ったのだけれど、仕次ぎの手間や貯蔵の場所はともかく、いまからやっても20~30年、白梅香かざやトーフナビーかざは出ないだろうなーと思うと二の足を踏み、そうこうしている間にますます残り時間が少なくなるということになったのでした。


識名園の正殿から池の方向。かつて琉球王国の迎賓館として使われたすばらしい庭園。


ところが逆方向からみるとこんな感じで、現在正殿を修理中でした。4年前に来た時は首里城の修理中だったし、こういうめぐり合わせ?

[Mar 6, 2015]