310 阪神競馬場 [Oct 26, 2005]

阪神競馬場へ初めて行ったのはいまから3代前のスタンドのときである。阪急梅田から西宮北口で乗り換え、おんぼろの駅構内を歩き宝塚方面行きに乗り換えて仁川(にがわ)で下りる。駅からしばらく歩くと競馬場である。その途中にへんなしもた屋があり、中に白装束のおばさんが座っていた。もちろん、予想屋である。関西にはおかしな商売があるものだな、と思った。

場内に入ると、穴場(馬券を売る窓口)が木の枠だった。当時、府中や中山はとっくにポリカーボネートだし、札幌や函館だって木枠なんてことはなかった。同じ中央競馬でも、いろいろあるんだなあ、と思った。スタンドに座ってみると、1コーナー(左手)には間近に山が迫っていて、しかもその中腹まで段々畑のように家が建っているのも異様に思えた。さらにびっくりしたのは、内馬場がゴルフコースのようになっていたことである(実際にもう少し後まで実際に9ホールのミニコースとして使われていたらしい)。

同じ関西地区でも、京都競馬場は淀川に沿った広大な敷地を持ち、ご存知のように内馬場は池で、コースも大回りであるのに対して、阪神はこじんまりしていて小回りである。当時は全くの平坦コースで、それがひとつの特徴となっていた。その後、馬場改修で坂を作ったときに、地盤を変えたり芝を替えたりしてひどく時計のかかる馬場にしたことがあったのだが(1600mの勝ち時計が良なのに1分39秒台とか)、不評だったのか1年たたずにやめてしまった。

阪神競馬場の大レースというと、春の桜花賞と、初夏の宝塚記念である。それぞれ、思い出深いレースが多い。桜花賞というと、いまだ記憶に残っているのは昭和50年のテスコガビー。おそらくテスコボーイ産駒で最強の牝馬だったこの馬が、桜花賞で2着ジョーケンプトンにつけた着差が「大差」(10馬身以上)。実況の杉本アナウンサーが「後ろからはなんにも来ない!」と絶叫したレースであった。

宝塚記念ではやはり、昭和52年のトウショウボーイ1着、テンポイント2着のレース。前年の有馬記念以来の競馬だったトウショウボーイに、その春3連勝で天皇賞を勝ったテンポイントが徹底マークしたのだが、結局2200mをそのままの展開で2頭だけで終らせてしまった、というレースであった。このレース、テンポイントの方が人気だったのだが、トウショウボーイの単ともちろん連複も取った思い出がある。

暮れの阪神には、いまはないのだが(正確にいうと、季節を変えて春にやっている)阪神大賞典という3000mのレースがあって、これも興趣あるレースであった。当時は東西の競走馬の交流というのはそれほど盛んではなくて、有馬記念に行かない馬もたくさんいた。テスコガビーの桜花賞と同じ年の阪神大賞典では、その年皐月賞を2着しているロングホークという馬が出ていたのだが、1周目で引っかかってしまった。一時は100m近く前に行ってしまい、全く勝負になるまいと思われたのだが、なんとそのまま逃げ切ってしまった、などというレースもあった。

いまはJRA仕様のたいへん立派な競馬場だが、昔の方が場内もレースもなつかしく感じるのはなぜだろう。

[Oct 26, 2005]