512 川中島古戦場 [Oct 19, 2011]

先月安曇野に出かけた際、ちょっと足を伸ばして川中島古戦場に行ってきた。もともとこの秋の旅行では2泊目を善光寺の宿坊と考えていたのが、休みがとれずに1泊にした経緯にある。だから川中島までは行くつもりだったのだけれど、松本から長野までは結構な距離があって、思った以上に時間がかかってしまった。

川中島の戦いは戦国時代の代表的合戦の一つであり、甲斐の武田信玄と越後の上杉謙信が信濃の領有権をめぐって争った戦いである。信玄の本拠である甲府・躑躅ヶ崎(つつじがさき)から長野までは約100km、謙信の本拠・上越市春日山城から長野までは約50km。距離的には謙信が近いが、山越えの難路である。

五次にわたる川中島の合戦のうち、もっとも激戦となったのは1561年に行われた第四次の合戦である。

上杉謙信は周知のように、越後の戦国大名である長尾景虎が関東管領・上杉家を継承したことから上杉を名乗った。関東管領であるから、関東公方を滅ぼして勢力を拡大した後北条氏(北条早雲に始まる戦国大名。鎌倉執権の北条と区別するため、「後北条氏」と呼ばれる)が最大の宿敵であり、謙信も何度か関東に遠征し小田原城を攻めている。

その後北条氏と同盟関係にあったのが武田氏で、古くは今川氏も加えて武田・北条・今川の三者同盟で関東・東海を席巻していた。後にこの三氏は、織田信長・豊臣秀吉に各個撃破され滅ぼされるが、それ以前にこの同盟軍に対抗していたのが上杉であった。

上杉が関東に攻め入るたびに、後北条と同盟している武田が背後の信濃を攻撃する。これに業を煮やした上杉が、一気に雌雄を決するため勝負をかけたのが第四次の川中島合戦であった。大乱戦となったこの戦いでは、謙信が単騎、武田本陣に切り込み、信玄に三太刀七太刀を浴びせたとされる。

結局謙信は信玄に致命傷を加えることができず、武田軍の追撃により謙信は退却を余儀なくされる。そして、これ以降の合戦は鉄砲隊が大きな役割を果たすのに対し、源平合戦の時代のようなほとんど最後の大将同士の一騎打ちであったことから、いまも名勝負と伝えられるのである。

この像のある八幡原史跡公園は高速の長野ICからすぐ近くにある。どちらを向いても山に囲まれる中に大きな河川敷があって、やはり古戦場である関が原とよく似た地勢である。長野といえば今ではオリンピック関連施設や野麦峠関連施設が観光資源となっているが、両軍合計で3~4万人のうち、6~7千人が戦死したと伝えられるこの激戦地も、一度は訪れたいところである。


川中島名物、上杉謙信vs武田信玄。

[Oct 19, 2011]