817 山形・霞城(かじょう)公園 [Jun 28, 2013]

この間山形に出張に行った時に、1時間ほど時間が余った。地図を見ると、駅の北西寄りが城跡公園になっているので行ってみることにした。この公園を霞城(かじょう)公園という。山形城の別名を霞城もしくは霞(かすみ)ヶ城と称することからそう名付けられている。

山形市は、東を奥羽山脈、西を朝日山地、南を蔵王に囲まれた盆地である。長らく、日本の最高気温は山形市の40.8℃であった。ところが、2007年に熊谷市と多治見市が山形市の記録を74年ぶりに更新し、現在は40.9℃が日本最高気温である。盆地の特性で暑い空気が流れ込んで籠ってしまうため、暑いときはとんでもなく暑いのであった。

山形城が現在の大きさとなったのは戦国時代末期、最上義光(もがみ よしあき)の時代である。義光というと全国的には伊達正宗の引き立て役のようなイメージがあるが、ここ山形ではヒーローである。実際に、秀吉から家康の時代にかけて、出羽方面における最上家の覇権は微動だにしなかったのだから、戦国大名としては相当の実力者である。残念なことに、後継者運がなかっただけである(江戸時代に改易となった)。

一方で、戦国時代には交通の要衝である山形が出羽の中心であったものの、江戸時代になると北前船が寄港し物流の中心となった庄内・酒田のウェイトが急激に高まることとなった。俗にいうところの、「本間様(酒田一の商人・地主)には及びもせぬが」ということになる。相対的に山形市の比重が低下し、明治維新を迎えることとなる。

さて、最上家改易後の山形藩は、親藩・譜代の主要どころ(越前松平、鳥居、堀田など)が歴代藩主となり幕末を迎えた。当然佐幕派となり、奥羽越列藩同盟を作って薩長に対抗しようとしたが、結局は降伏することとなる。その結果、薩摩から送り込まれてきた県令が、鬼県令・土木県令として有名な三島通庸(みちつね)である。

三島県令についても、全国的にはさんざんな言われ方をしているのだが、ここ山形では郷土の偉人扱いである。確かに、富国強兵・近代化に向けて公共土木工事が重要であったことはいうまでもないが、三島県令の場合、反対者はすべて弾圧したということだから、なかなか判断の難しいところである。

三島県令の関わった建築物の一つ、山形市立病院の前身である済世館が、ここ霞城公園に移築されている。八角形の構造で、中央に廊下があって周りに部屋がある。診察室や病室に使われていたのだろうか。古風な螺旋階段を上がると、2階は大広間になっている。医師や看護婦の控室だったのだろうか。

最上義光、三島通庸とアクの強い人物を輩出したこの地方、逆に考えるとアクの強い支配者でなければ御しきれなかった土地柄といえなくもない。さすがに東北地方、一筋縄ではとらえられないのであった。


雨に煙る霞城公園。全国でも最大規模の城址公園であり、現在も発掘調査や整備が続けられている。


鬼県令・三島の遺構のひとつ済世館。明治初めに造られた病院で、現在の山形市立病院の前身。重要文化財のため、全館建て直しの際に移築された。

[Jun 28, 2013]