916 再び民宿の話(浜サロベツ) [Aug 30, 2011]

昨日民宿の話を書いたら、思い出してしまったので今日も民宿の話。今回は営業妨害にはならない。なぜかというと今はもうないからである。子供がまだ小学校低学年の頃だから、もう二十年くらい前のことになる。

当時は東横インのようなビジネスホテルがあまりなくて、宿の絶対数が足りなかった。北海道を旅行していて、稚内(ご存知のとおり、最北端の町である)に宿がとれなかったので、20kmほど南下した稚咲内(わかさかない)というところに「浜サロベツ」という民宿があるとガイドブックにあったのを見つけて、そこを予約した。まあ全国版のガイドブックに載っているのだから、それほどびっくりするということはないだろうと思っていた。

ところが、びっくりするほどのものだったのである。90代のおじいさんと80代のおばあさんのやっている民宿で、外から見ただけでも年代ものの平屋の建物。通されたのは12畳ほどの広間で、前の人が泊まってから掃除をしていない様子。いまでいうライダーハウスで、基本的にはオートバイでツーリングする人達が雑魚寝するような宿であった。

国道沿いにあるので、トラックやオートバイの行き交う騒音が古いガラス戸にびんびんと響いてくる。北海道のことなので窓は二重だが、雨戸はない。部屋の隅に置いてある布団もシーツがよごれていて、一泊千円以上はとってはいけないのではないかと思われたが、1泊2食で5000円。民宿としては当時の相場より安い訳ではない。

部屋がきたないのに加え、奥さんによると風呂には多量の虫がいたそうで、何ともいいようのない宿であった。それでも予約はかなり入っていたらしく、うちの家族の後にも湘南ナンバーの車で夫婦連れがやってきた。うちと同様、ガイドブックで探したものだと思われた。お客の寝る部屋は二つしかなかったので、これで満室ということになる。

さて、うちの子供達は、非常にぜいたくであった。何しろ、旅館をとるとき食事を大人と同じものにするため、小学校低学年にもかかわらず大人料金を払っていたくらいである。長引く不況の影響でいまでは質素になってしまったが、当時は大人と同じコース料理を残さず食べていたくらいの食いしん坊であった。

その子供達が、ここの食事はほとんど食べず、ついていたヤクルトだけを飲んでいたくらいだから、食事もそれなりであった。翌朝になると、朝食もそこそこに、湘南ナンバーは出発し、うちの家族も8時前には退散した。まだビジターセンターも開いていないサロベツ原野で、寒さにふるえながら時間をつぶしたのである。それでも宿にいるよりましだと思ったのであった。

そんなすさまじい宿だったが、一つだけすばらしかったのは夜空である。夏なのに10度いかないくらいの寒さで、すごい数の星が見えた。天の川もくっきりと見えたが、これは街灯とかがあまりなかった子供の頃以来のことで、それ以降もない。この空を見ただけでも来た価値はあったのだが、まあすごい宿だった。

いまでも覚えているのは、おじいさんが「ここの海岸にはメノウやジャスパーが流れてくる」おばあさんが「食料のない頃はでんぷん工場に行って余った粉を拾ってきた」とか話していたことである。なぜそんなに話をしたんだろう。当時は民宿ってそういうものだったのかもしれない。

その後、NHKの番組でこの民宿がとりあげられた。それで二人の年が判明したのだが、宿がきたないことまでは取り上げられていなかった。ここの庭には何かの墓があって、あれはペットの墓だろうかもしかしたら人間の墓じゃないだろうかとなどと奥さんと話していた。おじいさんおばあさんも、あそこに眠っているのだろうか。

p.s. 浜サロベツ再訪問記はこちら

ありし日の民宿・浜サロベツの姿。どこの若い奥さんでしょうか・・・。

[Aug 30, 2011]