919 鰊番屋・旧花田家住宅 [Sep 2, 2013]

オロロンラインの留萌より北にはあまり見どころはないかもしれない。その中で、かなり見応えがあったのは、小平(おびら)町というところにある旧花田家番屋。ここはニシン漁最盛期に多くの出稼ぎ漁師たちが暮らした鰊番屋を移築したものである。

樺太から北海道西岸の日本海には、明治時代頃までニシンがたくさん獲れたという。ニシンは干物や身欠きニシンにする他、数の子がとれるし、現代では想像できないけれど茹でて絞って油をとり、その絞りかすを肥料にしたそうだ。化学肥料のない明治時代には農業生産の増大にあたってかなり重要なものだったらしい。

なにしろニシンが多いため、東北各地から出稼ぎの漁師が集まった。彼らをヤン衆という。ヤン衆は普段の生活や寝起きは舟の中なのだが、海が時化たり天気が悪かったりした時には番屋に入る。したがって集まる人に応じて番屋の規模も大きくしなければならない。この花田家番屋は家族や使用人の他、150人ものヤン衆、合計約200人を収容することができた、道内でも最大規模の鰊番屋である。

当時はいまのように交通機関や流通が整っていないので、水揚げするだけでなく加工する段階まで現地で行わなければならなかったから、こうした大規模な施設が必要となったのであろう。ある意味ヤン衆は、いまのサラリーマンと似たようなものだ。仕事のあるところに働きに行かなければ食べていけなかったのである。

出稼ぎのヤン衆は板の間に布団を敷いて寝るのだが、もちろん主人(網元)の居住スペースは畳敷きである。こちらも見学することができる。台所の横には女中部屋がある。6畳くらいの広さに3、4人寝たらしい。電子レンジも食器洗い機も、掃除機も洗濯機もない時代にあって、女中さんは家事労働になくてはならない存在であった。

便利な世の中になって、単純作業はみんな機械がやるようになった。サラリーマンの仕事のほとんどは書類作りと対人折衝で、実際に何かを作っている訳ではない。こうした施設を見て、わずか2、3世代前にはみんなが体を使って働いていたんだなあと改めて知らされると、何とも言えない気持ちになる。

写真では手前に写っているのが道の駅・鰊番屋。入ると食堂・売店が整備されている。ここで食べたお昼ご飯はすごくおいしかった。奥さんはうに丼、私はにしんそばを食べたのだが、札幌で食べるよりずいぶん安いし、昔のニシン漁の映像を見た後ではひと味違った。

ところで、この間書いた北海道開拓時代の熊害事件で、最大とされるのが三毛別(さんけべつ)ヒグマ事件である。この事件は大正4年12月、体長2.7m体重340kgという最大級のヒグマが冬眠し損ねたらしく繰り返し村を襲い、死者7名重傷者3名を出したもので、この番屋から山を2つ3つ越えたあたりで起こった。

この事件を題材としていくつかの作品(吉村昭「羆嵐」など)が発表されているが、何しろ100年前の事件でもあり、徐々に注目度は下がりつつある。比較的最近の事件である日高山脈・福岡大ワンゲル部事件や秋田クマ牧場事件の方がいまでは有名かもしれない。とはいえ、映画「デンデラ」で出てきたヒグマはおそらくこの事件をモデルにしていると思われ、ああいう状況だと考えると大変に恐ろしいということが分かる。


よく似た色合いですが、手前が道の駅・鰊(にしん)番屋。向こうが重要文化財の旧花田家。道の駅では、うに丼が格安で食べられます。


旧花田家内部。ニシン漁の最盛期には、150人もの出稼ぎ漁師(ヤン衆)が過ごしたという大広間。

[Sep 2, 2013]