511 JALサイパン便撤収 [May 31,2005]

JALの成田・サイパン便が10月以降撤収だそうである。7~9月はオンシーズンでエアーも高くなるし、台風の来る時期でもあるので、その前の6月下旬にテニアンに行こうと思っていたのだが、なぜか2、3週続けてJALもNWAも満席である。こんなに混むならなんで止めるんだ、と頭に来ていたのだが、ようやくその原因が分かった。天皇皇后両陛下のサイパンご訪問である。

今年は戦後60年の節目の年で、大戦末期に多くの犠牲者を出したサイパンをご訪問なさるとのことであるが、ことによるとテニアンにも行かれるのかもしれない(フリーダムエアに乗ることだけはないだろうが)。現北マリアナ諸島、昔の南洋諸島から引き揚げられた方々の高齢化も進んでおり、そうした方々の団体の集まりも今年が最後になるとの報道である。ダイナスティ建設前のテニアン島はダイバーと慰霊関係者だけが訪れる島だったそうだから、そういう意味では、JALのサイパン便撤収も時代の流れなのかもしれない。

私はすぐ日焼けしてひどくなるとすぐ熱を出してしまうので、テニアンに行ってもプールに短時間いるくらいで海には行けない。だから、レンタカーを借りて島のあちこちを回ることになるのだが、その中でも強く印象に残っていることが2つある。ひとつは、テニアンの老舗ホテル「名鉄フレミング」のレストランにある「テニアンすずらん通り」の写真である。どう見ても、日本なのである。日本人はどこに住んでいても日本にしてしまうんだなあ、と思ってしまう。

もう一つは島の西側の通り、確か52nd Street だと思うが、その通りを原爆搭載地の方から南下してきて、現米軍アンテナ基地を過ぎたあたりで左に折れると、むかし日本人村があったという付近に進む。まるで「トトロ」にでも出てきそうなガジュマルの大木を過ぎ、道と草むらの区別もつかなくなるあたりまで行くと、くずれてしまった灯籠が散在している。その一角にもはや半分ジャングルに飲み込まれてしまいそうな石碑が残っている。

そこには、「羅宗神社」(ラッソー神社と読む)と文字が刻まれている。非常に達筆であり、碑自体それほど古くは見えないのだが、戦後に神社の石碑を建てるというのは考えづらいので、多分戦前からあるのだろう。この石碑を見ると、ラテストーンの傍らにある慰霊碑よりも、あるいはスーサイドクリフに数多くある鳥居や慰霊碑よりも、ここが日本であった(正確には信託統治領、かな?)ことを強く感じるのである。

そうした方々が多く訪問する時期ということであれば、たかだかカシノに行く私のエアーが取れなくても仕方がない、と思った。

[May 31,2005]