515 テニアン2007年 [Mar 3, 2007]

#1 もう後がない

今回のテニアンはかなり追い詰められた状況での遠征であった。というのは、昨年1年間の遠征成績は1勝6敗、今年もすでにマカオで1敗している。1回1回の負けは致命傷というわけではないが、6つも負け越すとあまりしゃれにはならない金額の負けになる。もし今回負けることになると、おそらく今年前半はもう資金的にどこにも行けないだろうと思われた。マイルと宿代はあっても原資が底をついているのである。

だから、いつもはポーカートーナメントのみに集中するのだが、今回はとにかく負けないこと、平場でなんとかすることが至上命題である。だから初めて10Kに挑戦した。10Kあればエアがコンプされるので、負けのハードルが下がる。仮に増やすことができなくても、エアやホテル代の範囲内にとどまればまだ望みがあるからである。トーナメントに備えて1日前に入るとみんなには言っていたが、本当のところは10Kに集中したかったのである。

2月23日金曜日の午後8時55分に成田を出発したNW18便は、4月以降廃止されるという噂だがほとんど満席となっている。サイパンに定刻午前1時過ぎに到着。税関書類で慣れないところにチェックを入れているので(正直に10000K以上と申告したので)、あっちの窓口に行けと言われてちょっと戸惑う。でも手続きは向こうの人が全部やってくれて私がするのはサインだけである。何を書いているのか確認できないので恐ろしいといえば恐ろしいが。外に出ると迎えに来ているのはいつもの彼。かばんを持ってもらい真夜中のコミューター乗り場に歩く。

コミューター乗り場に行くと、keibinさんにお会いした。一昨年のマリックショーの時からのお付き合いで、以前リゾカジテニアンオフにも来られた方である。最近も月一ペースで来られているとのことである。タガエアーのチャーターでテニアンに飛び、そのままダイナスティへ。部屋に荷物を置くと、さっそくカシノへ。なんといっても10Kを消化しなくてはならないのである。3時前にはバカラ卓に座っていた。

Keibinさんと一緒にやり始めたのだが、これがおそろしいバンカーシューで、途中で数えるとバンカー30に対してプレイヤー12位の偏り。さすがに気がついてバンカー中心に張ったのだが、結局シューの最後までバンカーでプラス1000点。最初からずっとバンカーだったら何もしなくてもプラス3000点になるところだった。ここでミニマムの小さいBJに移る。1手30を基本に張っていたら、こちらも好調で最初のシューだけで1000点位のプラス。

こんなことは滅多にあることではない。次の日はポーカートーナメントなのだが押せる時は押すべきだ、とそのまま続けたのだが、今考えるとこれが罠であった。そのあとの4~5回のシューは全く手が伸びず、しかもミニマム25の卓だから打たれ越しモードにもできず(卓を変えたらいけないと思ってしまったのだ)、じりじりとチップを減らす。それでも5000点のキャッシュチップを確保した時点でノンネゴチップは6000点以上あったから、プラスには違いない。時間はすでに7時。ここでいったん部屋に戻ってひと休みである。


サイパン→テニアンのコミュータ乗り場。この時の遠征も写真が残っていないので・・・(汗

#2 ノンネゴチップ現金化完了

部屋に帰ってシャワーを浴びて、ベッドに横になったのだがほとんど眠れない。結局10時には起きてノンネゴの5000点チップを一枚持って再びカシノへ下りる。睡眠時間3時間弱だが、不思議と眠くはない。10Kをやっている興奮状態で完全にハイになっているのである。カシノカフェでいつものシェフサラダの朝食をとって、戦闘開始である。

この回も最初はバカラ。朝早いのでディーラーとヘッズアップである。不思議とツラがでる。5回6回とは続かないのだが、1回で切れることはあまりない。きっとちくわさんやtagamanなら「2目め厚く」とか言ってビッグベットするんだろうなーと思いつつ、慎重にゲームを進める。最初に隅を折ってフレームが見えることがほとんどないので、おそらくいい波なのだろうと思ったが、まだまだノンネゴチップは残っている。ここは大勝ちするより負けないこと、そうでないと引き波がきたら一発で持っていかれてしまうだろう。

結局バカラを1000点プラスまで持っていって、再びBJへ。昨日後半から相当良くないのでそろそろいいシューだろうと思ったのだが、これがとんでもなかった。とにかくディーラーがほとんど飛ばないのである。こちらは13で引くとまず間違いなく絵札なのに、向こうは6から5、絵札とか、16から4とか平気で起こしていく。1シューでキャッシュチップになるのが300点とか400点とかいう状態なのに、ノンネゴチップは1000点ずつなくなっていくような気がする。

バカラの勝ちをすべて溶かしそうになったところで、たまらずミニバカラに逃げる。ここでなんとかイーブンペースに戻して、5000点をキャッシュチップにした時はノンネゴチップも20点くらいしか残っていない。それでも、ポーカー大会開始までになんとか1回転することができた。いったん部屋に帰り、昨晩のキャッシュチップとともにキャッシャーへ。預けてあったTCと円を取り戻して残ったノンネゴチップは1200点位。ピークから半分以上プラスが減っているような気がするが、それでもなんとか久々のプラスが見えてきた。お昼を過ぎて午後1時頃。約12時間、実質ゲーム時間約7時間での10K現金化であった。

しかし、ここからがつらかった。1200点をそのままキャッシュチップにするために、張りをかなり下げて1手5~10点でBJをプレイするのだが、300点ノンネゴを使ってキャッシュ200がようやく戻ってくると言う状況である。だから完全にノンネゴを洗い終わったときに手許に残っていたのは800点と少し。ここからトーナメントフィーを払うと、かなり心細いことになりそうな気配である。時刻は午後4時。そろそろサテライトトーナメントが始まる。

本番でイン・ザ・マネーとなったときは、なぜか2度とも優勝できたサテライトなのだが、この日は全くいいところなく2回のトーナメントを敗退。その途中、当日便でテニアン入りしたLupinさん、Dufferさん、Satoさんがカシノに現れる。午後6時過ぎから用意された軽食を4人でとりながら待ったのだが、予定時刻の7時になっても始まる気配はない。結局テーブルの準備が整ったのは8時近くになってからだった。その間ソファでぐったりしていたのは私。準備万端のお三方から、「taipaさん眠そうですねぇ」と言われてしまう。まだトーナメントが始まっていないのにこの調子ではいけないと思うのだが、体がいうことを聞いてくれないのだった。


テニアンダイナスティのショッピングモール。後から足マッサージとか入りましたが、最初はアイス売りのお姉さんがひまそうにしてた。

#3 ポーカートーナメントは観戦(涙)

話は一気に飛んで25日日曜日の午後5時。トーナメントの2日目は2テーブル11人から午後2時にスタートしていたが、私、Dufferさん、Satoさんは5$ミニマムのBJ卓でまったりと過ごしていた。この段階で3人とも平場のプラスを確定させていたのである。そこに、Lupinさんがやってきた。「○○さんに○○さん(注.本名)、応援っていうのはないんでしょうか?」そう、Lupinさんはただ一人勝ち残りファイナルに進出していたのである。

ちょうど、GAKUストが入ったのだが、一発目はディーラーがしぶとく残していた。シューの残りも少ない。「GAKUストは二度押し!!」と、もう一度だけ大きめに押す。すると88である。BJのペアは99以上でないとうれしくないが、その中でも88は一番うれしくない。仕方なくスプリットすると絵札、9と入る。ここは1勝1敗がいいところかなと思っていたら、ディーラーが飛んでくれてみんなハッピーに。切りよくここでシャッフルタイムとなり、「じゃあ行きますか」とカラーチェンジ。勝って席を立つのは本当に気持ちがいい。

ポーカーテーブルに向かうと残りは6人。イン・ザ・マネーは5位からだから、まさに勝負どころである。総チップ量16万点のところ、Lupinさんは2万点弱で5、6位の争い。それもやや少ないくらいである。テーブルの後ろに立って応援。Lupinさんにしては珍しく、慎重にプレイしている。BBでも平気で下りているのだ。Lupinさんの二人右が例の茶髪コリアンMr.ヤンで、ラージスタックなものだからボタンからがんがん打ってくることもあった。

4周、5周。こう着状態のうちにブラインドだけが上がっていく。「どうなんですか」とバカラ卓からkeibinさんも現れる。「ここが一番大変なんです。もう一人減れば、みんな賞金ですから早く進むんですが」休憩を挟んで、厳しい戦いがさらに続く。ブラインドは800-1600。Lupinさんも時折オールイン・スチールを決めて、危険水域には入らない。そうこうしているうちに、ようやくショートスタックが飛び込まざるを得ない状況となった。ほとんど強制オールインで、かつJがかぶって上を持たれていたので、終了。Lupinさんのイン・ザ・マネーが決まった。

ここからLupinさんが華々しく動き出す。オールインを連発し、スチールしたり相手のJJをターンAでまくったりして、一気に安全圏に浮上した。そうこうしているうちに、イン・ザ・マネーを確保したショートスタックが予想通り果敢に飛び込み始めて、気がつくとあっという間に残り3人。いよいよ次の勝負どころをとらえればトップが見えてくるというところで、AQvsA8のオールイン対決からフロップで8を2枚出され、ターンはQで望みをつないだものの最後はラグ。それでもLupinさんみごとに3位でのゲームセットである。

優勝争いはそのすぐ後の手で終始リードしていた巨体アメリカンとMr.ヤンがトップペアヒット対ストレートドローでぶつかり、何も起こらずに巨体アメリカンが勝った。あまりにもあっさりしていたので、もしかしたら賞金をチョップしたのかもしれない。とにかく3位に入賞し賞金約3千ドルと昨年の優勝に続く2つ目のトロフィを手にしたLupinさん、さすがでした。おめでとうございました。

まだ嵯峨野が開いている時間だったので祝勝会を開いたあと、クラップスで大いに盛り上がった。ここも中盤やや苦しいところもあったのだが、途中からみんなPointを当てまくって挽回し、全員プラスで終了した。クラップスが終わってみなさんは部屋に引き上げたのだが、私は居残ってライブポーカー。ご存知のようにみんなコーってくる場なもので、200$ばかりプラスでここも終了。遠征終盤に来て連勝で締めることができたのはうれしかった。


日本統治時代の建物跡。テニアン港の近くにあった。

#4 ファイナル進出ならず

さて、昨日までお伝えしたように10Kの平場はなんとかプラスで遠征を終えることができたのだが、肝心のポーカートーナメントの方はというとあまり書くのに気が進まないような顛末となってしまった。

最初の3R、1時間半はリバイラウンド。どこかで勝負をかけて倍にするかリバイして第4ラウンドに入ろうと作戦をたててきたので、残り10分を切ったところでJJが来てオールイン、これをKQsで受けられてしかもKQともに落ちてしまったのは残念だけれど仕方がない。問題は500点足らずのチップが余ってしまったことであった。リバイで3000点だから、このまま終わったら大変なことになる。

次回のハンドは88。残り5分である。もちろんオールイン。みんなじっくり考えてなかなか進まない。結局BBが受けてくれて何も起きずに倍増。残り2分でシャッフル。カードを見ずにオールイン。場合によっては勝っていてもマックする覚悟である。しかし、誰もコーらないまま回っていく。すでに残り時間は0、リバイラウンドは終了なのに誰もコールしないからマックもできない。思わず悲鳴が出た。休憩時間である。チップカウントすると1700点あるが、これではオールインした意味がない。

一緒に参加したお三方に、「早々に飛ぶと思います。ゲーム中ですのでご挨拶はできませんががんばってください」とエールを送って最後のテーブルに着くと、Lupinさんが向こうからやってきた。「なんか、アドオンできるみたいよ」それは、聞いてない。でも確かにディーラーがリバイする人はどうぞと言っている。それはリバイじゃなくてアドオンだろうと毒づくが、もちろん300$払ってアドオンである。結局、先ほどのオールインは余計だったということである。(前回大会はノースウェストの遅延で参加できなかったが、前々回はチップ0にならないとリバイできなかったはず。そういえば、サテライト勝った人がまたサテライトに参加していた)

ともかく4700点持って第4ラウンドへ。テーブル数はそのすぐ後に5テーブルから4テーブル、さらに3テーブルと整理される。チップが増えたのはいいがなかなか手が来ない。とうとうブラインド200-400でチップ1200点と次のブラインドまでに何とかしなければならないところまで追い込まれてテーブルバランスで移動。今度のテーブルは日本からの参加者はいない。旅の恥はかき捨てである。移動直後、ミドルポジションだったが前はばたばたと下りて私の番。ハンドはJ6。成算は全くないがオールインである。

ここもBBが受けて、しかもK4か何かそこそこ勝負になるハンド。6が当たって生き残りである。さらにその後2回続けてポットを獲得してチップは14000点まで積み上がった。1200点でこのテーブルに来たから10倍以上である。折りしも残り2テーブルになり、そのままブラインドを払っていても何とかファイナルには残れそうだと今なら思うのだが、すでに時刻は午前1時近い。前日睡眠3時間でまともに頭が働く訳がないのであった。結局行かなくてもいい手で行ってしまい2ハンドでこの14000点をなくしてしまった。

振り返ると、リバイのルールを確認してなかった時点で作戦は失敗していた訳で、第4ラウンド前にはあきらめていたのだから華々しく暴れられただけ良かったのかもしれないが、体調をベストに整えていればファイナルは決して難しくはなかったと思う。だから悔しくて仕方なく、部屋に帰ってもこれだけ寝不足なのにもかかわらずなかなか寝付けなかった。この悔しさを次回に生かすためには、トーナメントに参加する前に体調管理をもっときちんとしなくてはならない。今回の教訓を糧にさらなる飛躍を期したいと思う。


当時から崩壊寸前で、中には入れなかった旧日本軍施設。テニアンのお年寄りは日本語も話せた。

[Mar 3, 2007]

 

追記
このテニアン遠征が、敬愛する友人Dufferさんとの最後の遠征となった。上に書いたポーカートーナメントで、AAを持ってプリフロで相手を下ろした彼がカードを裏返して相手に見せたしぐさや、Lupinさんの奮戦をじっと腕を組んだまま立っていた姿を、いまでも昨日のことのように思い出す。
トーナメントの翌日、Dufferさん、Lupinさん、Satoさんと4人で、午前中にサイパンに戻って、ガラパンのDFS(デューティーフリーショップ)に行き、近くの焼肉屋で祝勝会を開いた。まだ冬だというのに、やけに日差しがまぶしかった。
そしてこれが、いまのところ私の最後のテニアン遠征である。