914 オッズについての一考察 [Oct 7, 2006]

ポーカーについて分かりにくいことの最右翼にあたるものの一つがオッズだろう。実は、オッズを重視される方々には悪いのだが、いまのところの結論としては少なくともノーリミットのトーナメントにおいてはオッズを意思決定の上位要素に含める必要はない、と考えている。最近、徐々に考えがまとまってきたので、そのことについて触れてみたい。

オッズについて教わったときにまず疑問に思ったのは、相手のハンドを読めなければ正確に算定ができないということと、すでに自分がベットしたチップもポットに含まれている、ということであった。前者についていうと、例えばハンドがAhXhでフロップにハートが2枚出ている場合、13枚のハートから自分の持っている2枚と見えている2枚を除いた9枚を自分の勝てる場合(9アウツ)と置いて、勝てる確率に見合う配当が得られるかどうかを算定する。

確かにほとんどの場合はそれでいいのだが、例えばもし相手がフロップでセットだった場合、ボードにペアができてしまうとフルハウスかフォーカードだから、9アウツが7アウツになってしまうことが考えられる。そうすると、自分ではオッズが合うと判断していても、実際にはオッズに合っていないことになる。逆に相手に何の役もできていない場合、Aが出れば勝ちだったりあるいは相手にペアができなければAハイで勝ちという場合もある。このケースで、オッズに合わないと判断して下りてしまうと、実はオッズに合っていた(というより勝っていた)ことになる。

後者については、例えば自分がSBでUTGから8人がすべてコールで回ってきたとする。この場合オッズの考え方からすると、ポットはBBの10倍、追加投資はBBの半分だからベットに対して20倍の配当がある。例えば10人参加しても自分の勝率は8%ある、と判断するならばポットの1/12.5まではオッズに合うことになるから、コールすることになるだろう。それでBBがチェックすればいいが、BBがミニマムレイズ、UTGがさらにミニマムレイズしたとする。そしてみんなコールして回ってきたとする。追加投資はBBの2倍、ポットはBBの30倍だから、やはり追加投資がポットの1/12.5よりは小さいのでコールすることになる。

このような展開が続いて結局全員オールインになったとする。すると、個々の意思決定場面ではポットの1/12.5以下であったのに、自分のベット額合計はポットの1/10である。勝率は8%しかないのだから、この時点ではすでにオッズに合っていない。意思決定の時点ですでに行われていることは所与のものとして勘案しない、というのはアメリカ的意思決定方式としてそれなりに評価できるものなのだが(第二次世界大戦の日本はこれで負けた)、個々の意思決定が正しいからといって必ずしも全体としての意思決定が正しいことにはならないのである。

同様のことがフロップ後のベッティングラウンド、ターン後のベッティングラウンドについてもいえる。フロップ後のポットには自分自身がプリフロップで置いたチップも含まれる。だからポットに対して何分の1ということよりも、残っている人数とそれぞれに想定されるハンド、自分と相手のチップ量の相対関係が重要ではないかと思っている。

自分と相手のチップ量の相対関係とは、端的にいえば「どちらがチップを持っているか?」ということである。普段のカジノゲームにおいても、お金持ちの100$と私の100$は同じ100$でも価値が違うように、トーナメントにおいてチップ量劣位にある方はより慎重な応対が要求される。

仮にヘッズアップで自分の3倍チップを持っている人にオールインされた場合、50%の勝率が予想されたとすればコールするのかどうか。確かに数字で考えれば相手のベットと自分のベット、それにブラインド分があると考えればオッズは合う(50%の勝率で2倍以上の獲得、期待値は1を超える)。しかし、相手にとってのチップは自分にとってのチップより相対価値は小さいから、自分が平均チップ量を持っていて、あえて勝負する必要のない場合には50%の勝率では実は不十分で、60%とか70%ないとコールしづらいというのが私の感覚である。

さらにいうと、例えばトーナメントの終盤、イン・ザ・マネーまであと2人、現状ではイン・ザ・マネー圏内。自分より下の順位の3人とチップリーダーの計4人がオールインで自分のハンドがAAだったら、コールするかという問題である。オッズ的にはもちろんコールである。勝つ可能性は一番大きい。しかし、見送ればイン・ザ・マネー確定である。そして、自分が飛ぶ可能性は少なくはない。

その場合、行くという選択も当然あるだろうが、私なら見送りである。「4人もオールインしているのだからAは死んでいるはずで、手が伸びない」とか理由をつけて、下りる。本来オッズによる意思決定は確率をベースとしており、できるだけ多くの機会にこの法則に従うことによってその効果が期待できる(大数の法則)のであるが、純粋にリスクとリターンのみで判断できないケースがしばしば発生するのであれば、最初からあまり考えに入れない方が明快である。

こういう考え方をしていると、生き死にの勝負は極力回避しようという方向に傾きがちである。そして、勝率75%は実にしばしば負けるし、ターンでの2アウツ3アウツは自分の時には出ないが相手の時にはとても10%以下の出現率ではない。クラップスのオッズ賭けは確かにハウスエッジはないけれども、だからといって勝てる訳ではないように、オッズに合っているから必ず勝てる訳ではない。結論として、勝負の綾を数字ではなく流れとか勢いとか、そうしたものに求めることになる。

これまでの論点をまとめると、
1.オッズの算定においては相手のハンドを正確に読む必要があるが、現実にはそれは見えていない以上、ある前提を置いた上での仮説であり推定値ととらえることが適当である。
2.仮に相手のハンドと自分の勝率が正しく把握できたとしても、個々のアクションが正しいことは全体としての選択が正しいことを担保しない。相手のアクションは自分で決定できないし、プリフロップ二巡目以降のポットには自分のチップも入っているからである。
3.オッズによる意思決定は確率論をベースにしている以上、できるだけ多くの機会に試行しないと理論値に近づかない可能性があるが、ノーリミットのトーナメントでは期待値の大小だけでは判断できないケースが頻繁にある。だとすれば最初から意思決定の上位要素に含めない方が明快である。

というのがいまのところの私の考え方である。

さらに踏み込むと、これはまだ十分に整理できていないのだが、カシノはなぜ儲かるのか、という議論である。カシノは2.5%なり5%なりのハウスエッジを取るから儲かる。これは正しいのだが、それではハウスエッジを取らなければ儲からないのだろうか。私の考えでは、おそらく儲かるはずである。

なぜなら、賭人の持っている資金に対してハウスの持っている資金は比較にならないくらい大きい。ということは、勝ったり負けたりしていくうちに、賭人のポケットが空になることにより収支が確定してしまう(ゲームオーバーとなる)可能性が大きいからである。つまり、期待値だけでなく分布のばらつきがハウス有利に働くことになる。

同様のことがトーナメントでも起こりうる。オッズが合って(期待値が1以上になって)参加したとしても、分布は必ずしも期待値どおりには起こらないし勝ち負けが分かれる。試行数が多ければ理論値に近づくけれども、それ以前に持ちチップが0になれば退場しなければならない。ハウスエッジで稼いでいくことを「平均値の理論」と名付けるとすれば、賭人のポケットを空にすることにより収支を確定させてしまうことを「分散(分布のばらつき)の理論」と言い得るだろう。ノーリミットのトーナメントにおいては、「平均値の理論」より「分散の理論」の方が有効であるような気がする。

オッズが合ったと判断される場合であっても、9アウツにオールインすれば少なくとも3回に2回はゲームオーバーである。残りの1回で首尾よく3倍以上のチップを手にできるというアドバンテージを選択するのか、それとも参加機会を絞り残り人数が減るのを待つのがいいのか、は個人個人の好みであろう。その意味で、オッズを意思決定の上位要素に含めない、という戦略もあながち理屈に合わないものではない、と思われる。

もちろん戦略の好みはひとそれぞれであって、3回に2回は早トビしても残りの1回で上位進出のチャンスが広がればいい、という考え方もありうる。また、意思決定の上位要素に含まないからといって、オッズの理論を無視すべきだということではない。相手がオッズを重視するのであれば、どの程度ベットすればコールするか、あるいは下りるかを判断できる大きな要素となるからである。

さて、前回まででこの項は終わりにするはずだったのだが、思いのほか反響があり、コメントだけでなく直接メールやメッセージでもご意見をいただいた。また、別のところで書こうとしていたことがあり、原稿はできているのだが発表する機会がない。これからちょっと忙しくなりそうなので、補記としてまとめておくことにしたい。

まず第一は、「オッズの定義」である。先達たちのHPやブログでは、「アウツ」「勝率」「ポットオッズ」「期待値」等々に厳密な使い分けがあり、そのとおりに使わないと議論にならないような雰囲気があるが、このブログでは興味のある人にわかりやすく説明し、議論の輪に加わっていただくことを目標としているので、そのあたりの使い分けの厳密さよりわかりやすさを重視している。

例えば、ブラックジャックでインシュランスという賭けがあり、このオッズは2:1である。これを日本人になじみの深いJRA式のオッズでいうと3倍である。さて、親の2枚目のカードが10または絵札であるとインシュランスは勝ちになるが、その確率はおよそ4/13(理論値)である。だから、インシュランス1単位のベットの期待値は、4/13*3+9/13*0=12/13となり、期待値は1以下である。だから、インシュランスという賭けはずっと続けるとマイナスになる可能性が大きい、という判断が可能となる。

この考え方をポーカーにあてはめたのが、私の理解する「オッズによる意思決定」である。ある意思決定の機会(ベッティングラウンド)において、自分がベットしようとする1単位に対し、ポットが何倍あるのか。この賭けは、想定される自分の勝率を勘案すると期待値が1より大きいか小さいかで、ベットするかしないかを判断することをそう呼ぶこととしている。アウツというのはあくまで自分が勝ちうるカードの組み合わせ数であり、それを残りカード数で割った勝率の理論値の方がキーになると考えている(だからアウツが算定できなくてもオッズの考え方は可能)。

くり返すけれども、私は少なくともノーリミットのトーナメントにおいては、「オッズによる意思決定」に固執する必要はないと考えている。

さて、例えばリゾポカで、こんなケースがあったとする。

「スタートチップ150、現在のブラインド5-10。貴方は序盤好調で現在250点持っていて、BB。ハンドはAd2d。9人テーブルでUTGがレイズ。彼の持ちチップは100点で、その中からメイク25点のレイズである。SBまで全員が下りて貴方はコールした。フロップはJdTs9d

問題1 プリフロップで貴方はコールすべきだったか。

問題2 フロップで貴方のアクションとその後の展開。

問題3 結果としてオールインになった場合、貴方の選択した賭けは何だったのか。

もちろんこれが正解というものではない。それぞれの考え方に基づいて判断すればいい。ちなみに私の考え方とその根拠は以下のとおりである。

問題1 答:レイズするのでなければフォールドしたい。

手持ちチップ劣位の相手がUTGからレイズしてきている状況では、考えられるハンドとしては(1)ポケットペア、(2)Aとハイカード、(3)異なる絵札2枚、がある。この状況で、自分のハンドAd2dについて考えると、a.フロップが落ちて自分が有利になるボードは、ダイヤ3枚、345、ないし2が2枚以上、b.勝負になるのはフラッシュドロー、ストレートドロー、ないしAと2が出たときくらいで、c.その他の場合、アクションが先では不利というのが第一印象。

確率的には、ややa.を大きめにみて、a.を5%、b.を15%、c.を80%と置き、かつa.b.で相手がオールインに応じてくれると仮定すればオッズは合うのかもしれないが、20本のうち1等1本がようやく勝ちで、2等3本でも半分以上の確率で外れになり、残りの16本が負け、という籤をなぜ引かなければならないのか。

この籤を引く(プリフロップでコールする)かどうかという選択は、つまり「ここでフロップを見るか、あと約2周プリフロップを見るか」の選択なので、私なら後者をとってより率のいい賭けができる機会を待つ。だが、もし仮に前者を取るとすれば、チップの差を背景に「相手の役ができないことに賭ける」という理由以外には考えられず、その場合は確率関係なく相手をフォールドに追い込むという戦術であることを認識する必要がある。

問題2 答:チェック。ただし相手が打ってきたらチェックレイズ。

さて、そう考えて参加したとして、フロップが落ちた段階ではUTGの想定されるハンド(1)~(3)のすべての場合ですでに負けている。だから、「相手の役ができないことへの賭け」は負け。したがってアクションとしてはチェックだが、相手が打ってきたらレイズオールインというのは、そうされた場合UTGがコールできる手としては、躊躇なくコールできるのはKQ位で、KK、QQ、JJで何とかコール。AA、TT、99ではやや苦しく、その他の手ではコールしづらいこと、たとえコールされてもまくり目は十分であること、もともとチップの差で相手に圧力をかけようとプリフロップでコールしたこと、がその理由である。

このようなボードでチェックレイズは当然警戒すべきことなので、KQでない限りおそらく相手も動けず、お互い相手が動かない限り自分からは動きにくいという状況が想定されるように思う。

問題3 答:A2sでのオールインコールであり、最初から不利な賭けをしていた。

アクション時点でどのようにオッズを算定しようとも、結局この賭けはヘッズアップで1:1の賭けをして(SB分の5点はあるが)、終始不利な状況であった、ということである。これが、前回までに触れた、「個々のアクションが正しいからといって、全体としての選択が正しいことを担保しない」ということの趣旨である。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

[Oct 7, 2006]