011 浅田次郎「椿山課長の七日間」 [Mar 7, 2006]

いくら親しい仲でも、政治と宗教の話はしない、というのが日本の常識である。「和を以って貴しとなす」わが国にあっては、お互いに譲ることの難しいそうした話題を避けるというのが、長年にわたり培われてきた風土なのだろうと思う。

しかし一方で、「私のいうとおりにすればインシュリンなどなくても糖尿病は治る」などという宗教家もどきにだまされて命を落とす人もいるし、命の次に大切なおカネを失う人など星の数ほどいるのだろうから、あまり宗教オンチなのもどうかと思う。

そこで、この作品である。物語自体は荒唐無稽なお話で、バーゲンセールの最中、激務に激務を重ねたデパートの販売担当責任者椿山課長は、とうとう取引先の接待中に倒れて突然死してしまう。そして、このままでは死んでも死に切れないと仮の姿で現世に戻るのだが、というストーリーである。作品自体はこの作者の特徴ともいえる説教臭いところが鼻につかないでもないが、すんなり読める。

ところがこの作品、実は仏教世界のパロディーなのである。そもそも七日間というのはいわゆる「初七日」のことだし、運転免許の書き換えのように判を押してもらって天国へ行くというのは、悪人でも南無阿弥陀仏と唱えれば極楽浄土という浄土宗、浄土真宗の教えを分かりやすく図式化したものなのである。その意味で、玄侑宗久(芥川賞作家、福島のお寺の二代目)のもったいぶった作品などよりよほど楽しく読める。

日本の伝統宗教である仏教や神道のよくないところは、自分たちの宗教を分かりやすく示すという努力をほとんどしていないことだと思う。それをしているのはむしろ新興宗教や異端に近い教団であり、だから宗教というとなんだか胡散くさいという印象を与えているのではないか。仏教関係の作者で読ませる努力をしているのはひろさちや氏くらいで、あとは難しい話をより難しくしているという印象をぬぐえない。

浅田次郎の作品では、他に「憑神(つきがみ)」が稲荷信仰のパロディーで(本人は結構まじめなのかもしれないが)、大店の主人風の「貧乏神」、貫禄ある相撲とりの姿の「疫病神」が出てくる。これもすごく面白い。宮崎駿の「千と千尋」も神道世界(途中から魔女になってしまうが)からモチーフを持ってきている。もちろん原理主義的に一つの信仰に固まってしまうのはよろしくないが、ある程度の宗教の知識は小さい頃から持つことが望ましいのではないかと思ったりもする。

 

[Mar 7, 2006]