012 阿佐田哲也「東一局五十二本場」 [Jun 22, 2005]

雀聖阿佐田哲也先生の作品としては、まず「麻雀放浪記」をあげるべきなのだが、同作品については映画化されたものが非常によくできていて、小説のイメージよりも真田広之、鹿賀丈史、高品格などの映像イメージが浮かんできてしまう。読者の想像力をかきたてるという意味では、短編ではあるがこの作品などは優れているといえる。

腕自慢の青年が、麻雀業者と名乗る男に、プロとの対戦をリクエストするところからこの小説は始まる。レートは青年にしては高めに設定したのだが、それを上回る差しウマ(プレイヤー間の相対勝負)を組まれてしまいプライドを傷つけられた青年は、役満を含む大型手を次々とツモって、プロ3人との差を大きく広げていく。

「俺に大差で負けているのに、お互いの勝った負けたでプロなどとは笑わせる」と青年は鼻高々であるが、やがて彼の親である東一局がずっと続いていることに気づく(ノーテン親流れにはならない取り決め)。この勝負に勝つだけの点数をすでに持っている彼は誰かに振り込んでゲームを進めようとするが、誰も上がらない。そして、連荘の点棒だけが際限なく積み上がっていく。二十本場、三十本場、四十本場・・・。

プロの一人が手洗いにたった時にそれを追った青年は、振り込むから上がってくれと頼む。しかしそのプロは言う。「誰が最下位の奴と組むのかね。現時点での勝負は、我々3人の間のノーテン罰符千点だけの差にすぎない。実質的な最下位は君だ。」「そんなこと言ったって、これから全部役満を振り続けたって俺の勝ちですよ。」「だって君は、東一局から一歩も進むことができないじゃないか。」

五十二本場というのはすでに五十三回山を積んでいるということで、通常の東南戦であればすでに6回終っているはずなのに、まだ東一局(第一戦が始まったばかりの状態)である。そこで、その青年がとった作戦は、そしてその結末は、ということだが、これを言ってしまうとネタバレになるので続きはぜひ読んでいただきたいと思う。

さいきんポーカーをするようになって、この作品のことをよく思い出す。プロというものは、それほどすごいものなのだ。阿佐田哲也はギャンブル世界にたいへんな知識と経験を有してきた人だが、たぶん阿佐田哲也本人も、この作品を書きながら「どうだい?」と得意気にしていたのではないかと思う。そのくらい完成度が高く、ギャンブルの真髄のうちのある部分を表現した作品である。


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[Jun 22, 2005]