013 網野善彦「日本の歴史をよみなおす」(爆) [Jan 21,2013]

ブログで本を取り上げる場合、読んで感心した場合がほとんどなのだが、今回はどちらかというと疑問符が多く付く本。実はこの本を薦める書評が多くて、図書館から借りてくるのは確か3度目なのだけれど、その度にがっかりするのである。もう二度と借りてこないために、どこが気に入らないのかを述べてみたい。

まず初めに言いたいことは、私自身は歴史、特に日本史が好きなので、主張が分かるように理論立てて書かれていれば基本的にすらすら読めるはずなのである。ところが、この本は読み進むのに大層苦労する。おそらく、この著者には、読者に分かるように説明しようというつもりがないのではないかと思う。

なぜすらすら読めないかというと、この本の説明の仕方に問題がある。例えば、これまでの通説に異議をはさむ場合、「これまでの通説では、□□という事実の説明ができない」、したがって、「通説では○○とされるけれども、そうではなくて△△というとらえ方をすべきではないか」という説明の流れが考えられる。そうしないと、読者が納得しながら読み進むことができない。

ところがその流れをショートカットして、「△△で間違いないと思います」「私は○○であると考えています」といきなり主張してしまうのである。その根拠はというと、せいぜい何世紀の何という遺跡はそのように考えられる、というくらいである。推論の上に推論を積み重ねるのである。それは単なるアイデアの羅列であって論証ではない。

次に、われわれより少し上の世代にありがちなのだが、何かというと「庶民から見た歴史」「差別された人々」に話を持っていこうとする。もちろんそうした側面で考える視点もあっていいとは思うが、たかだか数百年前の政治経済史だって十分に解明されていないのに、記録すら残っていないそうした部分についての主張をされたところで、反証の挙げようもないのである。

この本でも、貨幣の話をしていたと思ったら、いきなり非差別民の話になり、「一遍聖絵」等の絵解きが始まってしまう。確かにそうした人々が鎌倉新仏教を支えたことは確かだろうが、これが「日本の歴史」にどれだけの重要性を持つのだろうか。

(余談だが、私の高校大学時代はそういったことこそ本質なのだ、という議論が当然のように主張されていた。何しろ、マルクス経済学が必修だった時代である。「奈良の大仏を作ったのは大工」という話も授業で聞いた覚えがある。)

この本で述べられている重要な仮説の一つが、「南北朝~室町期を境としてムラのあり方が変わった」ということなのだが、それがどのような事実(例えば文献資料)に基づくのか、読者が理解できるような根拠が述べられていない。この時期に貨幣経済が進んだと主張しているようだが、宋銭が大量に入ってきたのは平家の時代(平安時代末。南北朝の200年前!)からである。

この本でも、平清盛の時代に宋銭がどんどん入ってきたと書いているのだが、にもかかわらず貨幣経済の進展は13世紀後半から14世紀と断定している。この間百年以上、持ち込まれた宋銭はどこでどうしていたというのだろうか。そもそも、宋は元に滅ぼされて鎌倉時代には宋銭は作られなくなるのである。

このブログでも過去に取り上げたが古今著聞集という書物の中に、鎌倉時代の花山院右大臣・藤原忠常の侍が、500文の種銭で七半という賭博をして3万文に増やしたという記事が載っている。平安初期に成立した日本霊異記にも、仏像を作るための銅板を売って食べ物に代えるという記事がある。いずれにせよ、貨幣経済はこの本が主張するよりかなり早く成立しているのである。

まあ他にもいろいろ不満なところがあるのだが、もう一つ私が気になった点を述べる。いわゆる「夜這い」の風習について、岡山県北部での聞き取り調査を根拠として、昭和30年代に起こった殺人事件を契機に、警察がうるさくなって終息したと述べられている。

「夜這い」の民俗学的意義についての考察が十分でないのは置く。また、聞き取り調査での昭和30年代まであったという証言を紹介することはいいだろう。しかし、岡山県北部で「夜這い」に関係する殺人事件というと、第一に思い浮かぶのは昭和13年に起こった「八つ墓村」のモデルとなったあの事件なのである。昭和30年代にも同様に、社会的にきわめて反響を呼んだ事件があったというのなら、ぜひ内容を紹介してほしかったものである。

 

[Jan 21,2013]