015 池谷裕二「進化しすぎた脳」 [Jul 26,2010]

著者は、現代における脳の研究では最先端にいる研究者であり、この著作の他に、糸井重里との共著である「海馬 脳は疲れない」がある。これらの著作を読むと、「海馬」は分かりやすいけれどもこれから・・・というところで終わってしまうし、「進化しすぎた」は中高生向けとはいいながら結構難しい。両方セットで読むと、なんとなく著者の言いたいことが伝わってくる。

内向きの矢印 ( <—–> ) と外向けの矢印 ( >—–< ) とでは、同じ長さであっても外向けの矢印の方が長く見える、というのは小学生の頃教科書で習った。これは錯覚によるものであるが、それではなぜそういう錯覚が起こるのか、錯覚しないためにはどうするかといった点についてはこの本を読むまであまり理解していなかったと思う。

著者の説明によると、脳では目(網膜)でとらえた二次元の画像を三次元で把握しようとするため、そのように処理されるのだそうである。だから、本当に意味するところは、同じ長さを違う長さと認識しているのではなくて、同じ長さに見えるのであれば遠くにあるものの方が実際には長いという理解をするということらしい。

(説明するのが難しいのだが、脳の中では外向けの矢印の方が遠方にあることになっているとのことだ)

脳が特に意識しなくても情報を処理してしまう例は、他にもたくさんある。例えば人間の目と脳は1/30秒より細かい単位で画像を認識することはできない。だから、映画もアニメも1秒間に何十コマの細切れを見せているのだけれど、脳はそれをなめらかに連続した動画と認識する。陸上100m走の計測単位が1/100秒なのは、それより細かくしても脳には区別がつかないということである。

そんなふうに脳に関する話題を展開していくのだが、この本によれば、まだまだ脳には開発の余地があるらしい。著者自身が、老化に関心があって研究しているのだけれど、よく言われるところの、脳細胞は再生しないので年を取ると減る一方であるとか、だから物覚えが悪くなるのは当り前というのは、必ずしも正しいこととはいえないとのことだ。

確かに脳細胞は毎日減っていくけれども、それでも千億単位の脳細胞が残っている。また、記憶を処理する海馬の神経細胞は、年をとっても必要に応じて増える。そして、単純な数字の羅列を覚えることにかけては若い脳の方が優れているが、物事を関連付けて考察することについては、回路ができ上がった中年以降の脳の方が優れているとのことである。

もう一つ印象深かったのは、脳は意外とお調子者で、自分に都合のいい解釈をするということである。最初に述べた錯覚(遠近法)もそうだし、実際にはコマ切れでしか見ていないのに連続した動きを見ているように思うのもそう。また、脳の側の都合で、見えないはずなのに見ているものとして処理したり(例えば盲点)、見えたとしてもなかったものとして認識しないということもある(例えば自分の鼻)。

題名の「進化しすぎた」という意味は、人間の脳は体に対して進化しすぎてしまい、実際には未開発(未使用)の部分が多く残されているという意味である。つまり、いくつになっても、新しい刺激を受け、それを加工してアウトプットするよう心がければ、脳は衰えないということらしい。そろそろ老年の入り口に入ろうとする我々にとって、心強い話である。

[Jul 26,2010]