864 吉田覚「働かないふたり」 [Oct 6, 2014]

宣伝を見てニートの生態を描いた作品だと思って買ってみたら、そうではなかった。作者がそう意図しているかどうかは定かでないが、これはユートピアを描いた作品である。

おにいちゃんと春子の兄妹は、高校卒業後も親の家にいて、昼夜逆転の生活を送っている。おにいちゃんの部屋で寝落ちするまでテレビゲームやレンタルDVDをみる「合宿」が、対人恐怖症である妹の何よりの楽しみである。おにいちゃんは少しは外向的で、図書館でドストエフスキーを借りてきたり、高校時代の数学の問題を解き直したりしている「エニート」である。

働いているのは父親のみであるが、特に兄妹にプレッシャーをかけるでもなく、「父さんはもう寝たいのだが」といいつつ兄妹とテレビゲームをしている。大好きなサクマドロップをハッカ以外全部食べられたり、靴の匂いを嗅がれたりあまり大事にされていないようだが、結構仲が良かったりする。母親は「まあ結婚できればなんとかなるから」と妹には温かく対応しているようだ。

この兄妹が現実のニートと最も違うと思うのは、働かないから貧乏であり、おカネの大切さをよく知っているのと(でも、働かない。働いて新しいゲームを買えと言われると「それをいっちゃあ、お終いだよお」)、携帯もスマホも持たずネットとも繋がっていないという点である。

髪が伸びて強制的に美容院に連れて行かれると「4800円もかけるのなら、中古ゲームを買っておにいちゃんと遊びたいなあ」と思うし、4万円のコートを買ってもらうと、「2千円の中古ソフトが20本買えて、1本50時間として、・・・・1000時間遊べるよお」と言っている、まことに浮世離れした妹なのであった。

考えてみれば、ニート自体「カネがすべての世の中」に対するアンチテーゼであるし、カネに困らない境遇の人が働かないで過ごすのは、いま始まったことではない。明治時代には高等遊民と呼ばれる人達がいたし、良寛さんにせよ一休さんにせよニートとたいして違わない。音楽や演劇、文学などなど、全く生産性に寄与しない人達は古今東西絶えることはない。

親の世代が住宅ローンを支払って経済的負担なしに住むところがあり、経済成長のおかげで公共施設も充実している(だから図書館で本が借りられる)というのは、現代の若い世代の特典といっていいことで、変な上昇志向さえなければ、働かなくても食べていける時代なのだ。(だから妹は、「地球温暖化で家が水面下に沈んだら、働かなければならない」と思っている)

携帯もスマホもないからテレビとゲームで楽しみ、父親のパソコンで検索をし、数少ないながら友人ともご近所とも付き合っているというのは、カネ儲けばかりに関心があって24時間働いているよりずっと人間的といえなくもない。そして、そうした親・兄弟・友人・ご近所といった実体ネットワークが生きていれば、人生そう悲惨なことにはならないということなのかもしれない。

ネットもパソコン通信の時代にはもっと血の通ったものだったのに、いまではメアド交換禁止・オフ会禁止がネット社会のルールのようだ。いつからこうなったのかよく分からないが、そうしたルールができた瞬間に、「世の中になくても構わないもの」に位置づけられてしまったとしたら、パソ通で多くの友人関係を築いてきた自分にとってちょっと悲しい。

ともあれ、千円札や梅ガムを見つけて大喜びしたり、みかんやサクマドロップ、オムライスを食べていれば大満足な女の子は、現実社会にはいないんだろうと思う。その意味でも、作者が意図しているかどうかはともかく、ユートピアを描いたということになるだろう。(倉敷誘拐犯も、もしかするとこの世界が理想だったのかもしれない)


WEBマガジン「くらげバンチ」連載中。「祝祝土日土日日」だそうです(w。なぜかとても楽しそうなニート兄妹。もしかしたら、みんながみんな働かなくてもいいのかもしれない。

[Oct 6, 2014]