018 井上靖「しろばんば」 [May 12, 2016]

小学生の頃はじめて読んで以来50年、折に触れて読み返している本である。まさか伊豆に転勤になるとは思わなかったから、改めて読み返している( 同じような本としては「吾輩は猫である」がある)。

主人公の洪作は、井上靖が自分のことを書いているとされる。時代は大正年間、事情があって祖父のお妾さんで、羽振りのよかった祖父が下田の芸者を身請けしてきたという「おぬい婆さん」と暮らす彼は、伊豆の山奥、天城湯ヶ島の土蔵で暮らす小学生であるが、そうした環境もあったのかどうか相当の自意識過剰である。

洪作の周りで起こる事件は、なんということもない日常的なものである。いまの時代と似たようなことも結構あるものの、大正時代のことであるから、神隠しの騒ぎがあり、結核で若くして亡くなる人がいて、そういう時代だったことが分かる。そして、いまの私の境遇上うれしくなってしまうのは、おぬい婆さんと洪作が馬車に乗って豊橋の父母の許を訪れるくだりである。

「街道の左手に見えたり隠れたりしている狩野川」は私の住んでいる借上げ社宅のすぐ横を流れているし、「馬車の終点である大仁部落へはいる手前で、馬車は大仁橋という大きな橋をわたった」の大仁橋は、週何回か通っているスポーツクラブのすぐ近くである(頑丈なものに架け替えられているが)。

「馬車は終点の大仁駅前で停まった。ここから軽便鉄道が三島町へと走っていた」の軽便鉄道は、伊豆箱根鉄道駿豆線になって修善寺まで伸びている。大仁駅には、地元温泉旅館の名前がはいったタイル貼りの水飲み場があって、往時の雰囲気をいまに伝えている。しかし、軽便鉄道だった頃とは異なり、いまでは東京まで直通の特急踊り子が走っている。

そんなふうに楽しんで読んでいたら一冊終わってしまった。あれ、この本には石川啄木の短歌が出てきたり、教師が自殺騒ぎを起こしたりするんじゃなかったかなと思って「あとがき」を読んでみたら、なんといまの子供向け「しろばんば」の本は前半だけで、後半は載っていないのだった。改めて少し上の年代向けの本を借りて続きを読んでみた。

(ちなみに、この前半・後半というのは便宜的な区分けではなく、1960年に主婦の友に連載された時の題名が「しろばんば」「続しろばんば」だったことによるそうである。)

すると、昔読んだ記憶が次々とよみがえってきた。つまり、深く記憶に刻み込まれている名場面は、前半よりも後半の方が多かったということである。あいかわらず洪作は自意識過剰だし、村の子供たちに対する上から目線も気になるところであるが、それなりに責任感らしきものがあるし、弱者に対するやさしさもうれしいことである。

そして後半でも、シイタケ栽培の話とか、伊豆長岡から三津(みと)に抜けていく道の話とか、伊豆に住んでいる者の琴線に触れる話題が満載である。シイタケは現在でもわさびと並ぶ伊豆の名物で、修善寺のアジ寿司屋ではシイタケ弁当も売っている。

そして、物語のフィナーレ近く。おぬい婆さんが亡くなって洪作は父母とともに豊橋に移ることになるが、このあたり井上靖の筆はまさに神がかり的で何度読んでも圧倒される。あまりつきあいのない親戚の人やご近所、土地の知り合いのほとんどすべてが、最寄りのバス停まで見送りに来る。わが国のおける旅立ちは、もともとそういうものだったのであろう。

さて、今回のあとがきを読んでいて知ったのだが、この「しろばんば」にはさらに続編があって、青年になった洪作が柔道に打ち込むという内容なのだそうだ。そして、その柔道というのが、講道館ではなく高専柔道なのである。高専柔道といえばあの木村政彦とも縁が深く、いまのグレイシー柔術につながる伝統の格闘技である。

家業である医師をめざすべく勉学に励む洪作が、なぜ高専柔道に行ってしまったのか、これは何としても続編を読まなければならなくなった(ちなみに、井上靖本人も高専柔道の経験があり、実際に医者にはならず新聞記者となり、さらに作家となったのは中年を過ぎてからである)。


井上靖本人が、「私の作品がすべて読まれなくなったとしても、しろばんばだけは残るだろう」と言ったそうだ。残ってほしいという願望でもあるだろう。風林火山も残りそうだが。

[May 12, 2016]