022 大木金太郎「伝説のパッチギ王」 [Aug 5, 2008]

高校時代に、古くからいた先生がいうことには、「この学校が体育館を作ろうとした時に、プロレスの興行をしてその収入を充てようということになった。苦労してなんとか興行を行うことはできたのだが、収益の多くはヤクザに持っていかれてしまった」そうである。

本当かホラ話なのかよく分からないが、うちの高校の近くのゴルフ練習場には、馬場とか鶴田(そういえば、二人とも故人である)が来て試合をしていたこともあったので、いくぶんかの真実は含まれているのかもしれない。

それはともかく、戦後のテレビジョン草創期に力道山のプロレスに日本中が熱狂したというのは、歴史的事実である。私の子供の頃はまだ日本プロレス全盛期で、力道山の弟子であるジャイアント馬場、アントニオ猪木、大木金太郎が三羽烏だった。

この本はそのうちの一人、大木金太郎ことキム・イルの自伝である。大木が韓国籍だというのはよく知られていたのだが、当時日本と韓国の間には国交がなく、漁船の乗組員として日本に不法入国したというのは初めて知った。

力道山自身が北朝鮮籍であり、そのこともあって大木金太郎は「目をかけて」もらえるのだが、巨人の選手だった馬場や、ブラジルからスカウトしてきた猪木と違って、いわゆる「押しかけ弟子」である大木は彼ら以上に苦労させられたこともよく分かる。

また、大木のトレードマークであるハゲ頭は、頭突きのしすぎでなった訳ではなく、力道山が急死した後に「韓国に帰れ」という圧力があり(そもそも大木は不法入国者であり、力道山が身元引受人になることで日本滞在が許された経緯がある)、そのため円形脱毛症になったことが原因というのも驚きである。

前に「1987年のアントニオ猪木」をとりあげたが、猪木が力道山の路線から現代の異種格闘技への橋渡しをした存在であるのに対し、大木は力道山路線をそのまま継承した。韓国の高度成長期には、ちょうど日本における力道山のように、韓国のテレビで大木の試合が高視聴率を獲得したそうである。

そして、政治家に接近しすぎるという点でも大木は力道山によく似ており(力道山が日韓国交正常化に一役買ったこともこの本には書かれている)、プロレスファンであった朴正熙大統領が暗殺されることにより、大木もスターダムから転落する。そうしたプロレスラーとしての一生があまり感情的にならず、むしろ淡々と述べられている。

昔は、大木金太郎対ボボ・ブラジルの頭突き対決などというと非常に盛り上がったものであるが、いまでは頭突きを多く使うことは選手の健康管理上避けられるようである。他にもジョー樋口(レフェリーとして有名だが、もともとレスラーで大木のデビュー戦の相手)、吉村道明、星野勘太郎、ユセフ・トルコ等々なつかしい名前がいろいろ出てくる。古いプロレスファンにはぜひお奨めしたい一冊である。

 

[Aug 5, 2008]