065 木村義徳「ボクは陽気な負け犬」 [Sep 13, 2005]

将棋界は名人を頂点としてA級、B級1組、B級2組、C級1組、C級2組のそれぞれ順位戦と呼ばれる各クラスに分かれていて、この順位戦を1年間戦った結果、それぞれの上位・下位が入れ替わって翌年度の順位戦のランキングが決まる仕組みとなっている。名人に挑戦できるのはこのうちA級の棋士10人の総当り戦で1位になった棋士であり、A級はいわば一流棋士の代名詞ともなっている。

この順位戦の歴史の中で、ただ一人2年連続昇級してA級、そのすぐ後に続けて2年連続降級してB2という記録を作った棋士がいる。木村義徳九段といって、木村義雄十四世名人(戦前の名人である。月下の棋士で「わしは一度しか指さん」と言ってインチキで勝った村木名人のモデル)の子息であり、確か大学院から将棋界に転じた異色の棋士であった。

連続昇級は実力ある棋士には珍しくないが、そうした棋士は連続で降級することはない。氏は後に「弱いのが強いのに勝つ方法」「ボクは陽気な負け犬」といった著書でその秘密の一端を明かしている。

木村のA級昇進は昭和54年のB級1組順位戦であるが、当時のA級というと大山康晴十五世名人がまだまだ健在。名人は「突撃しまーす」で有名になった中原誠、中原のライバルで後に名人になった米長邦雄(林葉の師匠でもある)、「神武以来の天才」と呼ばれた加藤一二三などが将棋界のトップクラスであった。

氏はどう逆立ちしても彼らのようにはなれない、という観点から、それでも何とかして勝つにはどうしたらいいか考えた。なにしろ、将棋界において勝つということは名誉だけでなく、生活もかかっているのである。

彼の至った結論は、「長い勝負になれば実力の差が出る。弱いのが強いのに勝つには短期決戦しかない」ということである。将棋の作戦には急戦と持久戦があり、急戦の場合6~70手で勝負がつくが、持久戦の場合百数十手の勝負となる。この場合、迷うことなく急戦を選択するのである。当然の帰結として、早い段階で攻める将棋となる。また、決断も早く行わなければならない。ある種、「負けてもともと」という思い切りも必要となる。

氏はその戦法を駆使して、その年のB1順位戦を勝ち抜いた。そして、次の年のA級順位戦で全敗、その翌年のB1順位戦でも1勝11敗でその下のB2に降級した。それでも、あまり本人は気にしていない。なにしろこの本の副題が「強いばかりが人生じゃない」なのである。勝負師の著作としては異色この上ないといえる。

気がついた方がおられるかもしれない。私のポーカーの戦法はまさにこれである。つまり、私にとって非常に有意義な本であった、ということである。

 

[Sep 13, 2005]