070 景戒「日本霊異記」 [Dec 17,2012]

日本最古の説話集である日本霊異記は、正式名を「日本国現報善悪霊異記」といい、薬師寺の僧・景戒が選んだものである。

説話集として成立したのは平安時代初期と考えられるが、薬師寺は奈良にある寺であり、内容をみても聖武天皇以前の記事が多いことから、説話自体は平城京時代にはすでにあったものとみられる。正式名に“現報善悪”と入っていることでも分かるように、基本的には正しい行いをしないとよくないことが起こるという話がほとんどである。

仏教が正式に日本に伝わったのは飛鳥時代(聖徳太子の少し前)、国として仏教を制度化したのは奈良時代(聖武天皇の時代、東大寺大仏の建造)だから、まだ伝来後間もない。幅を長くとっても200年ほどのことである。にもかかわらず、説話集に取り上げられているのは現世利益のことがほとんどである。

いまの仏教は葬式仏教であり、宗教の本質からいってどうなのかという指摘が折に触れて出てくるけれども、こうした現世利益的な傾向は昨日今日のことではなくて、千年以上前、仏教伝来当初からそうだということである。理念としての宗教意識が強かったのは、もしかすると一向一揆、法華一揆などがあった戦国時代のごく一時期だけのことであったのかもしれない。

思うに、「仏の教えを信じればこんないいことがありますよ」とか「仏の教えをないがしろにするとこんな悪いことがありますよ」などということをゴータマ・シッタータが言ったなどということはない。いいこと・悪いことが観念上(死後の世界)であればまだしも、現在生きている世界のことであるとすれば、それは商取引であって信仰ではないだろう。

従って、お寺や神社にお参りするとき本当はお願いごとをすべきではないし、少なくとも観念的抽象的な願い(「平和で過ごせますように」とか)にとどめるべきというのが私の考えである。けれども、これは他人に強制すべきことではない。何しろ千年以上前の日本霊異記に、熱心にお祈りしたら食べ物やおカネが思いがけず手に入ったなどという話がてんこ盛りなくらいである。

もっとも、法華経そのものが現世利益的な要素を含んでいる(観音様はオールマイティーに願い事を叶えてくれる)ことも確かである。日本霊異記が選ばれた時代にはまだ比叡山延暦寺はないし、日蓮宗もないけれども法華経に関する記事が多い。また、法然も親鸞も生まれていないのに浄土に関する記事が多い。それだけ、日本人の風土気質に合っているということである。

もう一つ興味深いのは、この説話集が薬師寺の僧侶によって選ばれたということである。ちなみに、ここから300年ほど後の「平家物語」は比叡山延暦寺のバックアップがあったし、この時代の芸術作品のほとんどはお寺に納められたものである。

お寺において信者に話すことを前提に説話集を編集するというのは、日本の文化伝播の典型的なパターンとして、この時代以降長きにわたって続いたのではないか。その意味では、「歎異抄」も「正法眼蔵」も、「日本霊異記」の系統にあると考えることも可能なのである。

[Dec 17,2012]