112 佐々木隆「『千と千尋の神隠し』のことばと謎」 [Feb 11,2013]

ドーキンスの「神」について考えていたら、図書館でこの本がたまたま目についた。

こうした謎解き本はあまり好きではない。というのは、小説にせよ映画にせよ、表面上のストーリーとは別にメタファー(隠喩)としての筋書きがある。ストーリーについては正しい読み方があるとしても、メタファーには個人個人で別の読み方があっていいと思うからである。例をあげると村上春樹の1Q84など、読む人それぞれで受け取り方は全然違う。

ただし、「千と千尋」のメインテーマの一つは神と言霊(ことだま)であるから、こうした謎解きはありうるものと思う。言霊とは日本古来の信仰で、「言葉にして口に出せば、それによって世界を動かすことができる」というものである。もともとはシャーマニズム(=呪術)から発生したと思われる。聖書も「始めに言葉ありき」で始まるくらいだから、もしかすると世界共通の信仰なのかもしれない。

物語の中で、「湯婆婆が名前を奪って支配する」というのは言霊信仰そのものである。だから明治維新で戸籍ができるまで、「諱(いみな・本名)」と「字(あざな・通称)」は別で、諱は限られた場面でしか使用されなかった。女性の諱など家族しか知らなかったので、紫式部や清少納言の実名は不明である。また、万葉集にそうした和歌(実名は口にしてはならない)が数多く残されているのはよく知られている。

さて、主要登場人物である「千尋(ちひろ)」と「ハク」の名前に作者・宮崎駿の意図がこめられているのは当然である。千尋の「尋」が湯婆婆に握りつぶされて「千」となり、ニギハヤヒコハクヌシが「ハク」となること、「ハク」は琥珀であり白であり百に通じることは筆者の推測のとおりだろう。

とはいえ、映画の中で至るところに出てくる誤字を筆者は重要視しているのだが、私はジブリの遊び(中韓スタッフが間違えたのをそのまま使ってみた)だと思うので、あまり深読みするのもどうだろうか。特に、「め」が多いことを指摘しているが、ひらがな一字で最も看板に使われているのは「め」と「ぢ」なのである。「ぢ」が使われなくてよかった。

中国や韓国のスタッフが羽田で入国して蒲田あたりで「め」の看板を見て強い印象を受け、新宿あたりの飲み屋に連れて来てもらって、「生あります」が一番印象に残ったのかもしれない。そういえば、香港のアバディーン(水上レストラン)には、ああいう生ビール宣伝ポスターは貼ってなかったように記憶している。

さて、この物語のもう一つ大きなテーマは、「人は労働を通して成長する」ということで、これもどちらかというと日本的な思想である。われわれには、千が「おくされさま」のお世話をして「にがだんご」をもらい、それが次の展開への鍵となるというストーリーに全く違和感はないが、これが世界に共通かというとそんなことはない。

儒教(中国)ではあまりこういう考え方はしないし、キリスト教でこうした考え方が出てくるのはカルヴァン(宗教改革)以降である。インドでは雑巾がけをすると低いカーストとみられるらしいし、アメリカの学校には掃除当番がないというからやはりこうした発想はなさそうだ。もしかするとこの映画を見ても、「児童虐待だ」と言われたりして。

「千と千尋」はいい映画で私もDVDで何十回と見ているのだけれど、なかなか外国に受け入れられないのは多神教が背景にあることと、児童虐待に見えるからではないかと思っている。私の好きな映画は、「スワロウテイル」にせよ「真夜中の弥次さん喜多さん」にせよ、いろいろ問題があって次世代まで残りそうもないのは残念である。

 

[Feb 11,2013]