116 J.D.サリンジャー「キャッチャー・イン・ザ・ライ」(村上春樹訳) [May 29, 2007]

アメリカ文学というとこの作品が出てきてしまうのかもしれないが、題名とは違ってロマンティックな作品では全くない。1951年発表の作品で、日本語訳は野崎孝「ライ麦畑でつかまえて」が有名。ただ2003年の村上春樹訳の方が読んでいて違和感がそれほどない。ところどころ、村上春樹になってしまっているところも味わい深い。

高校を中退させられた主人公ホールデンが、学生寮をぶらぶらした後自宅にまっすぐ帰りたくないからニューヨークのホテルに泊まってさらにぶらぶらする話、といってしまうとどこがいいのだか分かりにくいが、実際そんな話である。テーマは、「世の中にいる奴はみんな嘘つきのろくでなしだ」というところにあるが、そういうホールデン自身がかなりの嘘つきでろくでなしなので、主人公に感情移入するのはかなり難しい。

この主人公がほとんど唯一心を許しているのが小さい妹のフィービーなのだが、その妹に、「じゃああんたは、何になりたいわけ?」と聞かれて答えたのが、「子供達がライ麦畑でいっぱい遊んでいて、その脇には危ない崖があるのだけれど、誰も大人が見ていない。そういう場所で、子供達が走ってきて崖から落ちそうになると捕まえてあげる、そんなものになりたいんだ」というのがこの作品の題名である”The catcher in the rye”なのである。

若い頃読んだときには、なんとなく分かったような気がしたのだけれど、いま読むとだから何なんだ?って気がちょっとする。遊んでいる子供より見張っている自分の方が上だというような見下したところがあるのが嫌だし、遊んでいる子供だって見張られるのは嫌だと思う。「ノルウェイの森」でちょっと似た表現がある(草むらには小さな深い穴が開いていて、そこに落ちない人は決して落ちないのだが・・・というような)ところをみると、訳者である村上春樹もかなり影響を受けているのかもしれない。

ちなみに、ちょっと別のところに書いたことがあるのだが、私のなりたかったものは「灯台守り」である。他に誰もいない灯台で、近くを通る船が事故に遭わないように毎晩きちんと海を照らしている。うーん、かなり似ているというか、そのまんまのような・・。ということで、へんなところで人格形成に係わっている作品なのでありました。

[May 29, 2007]