119 塩見鮮一郎「貧民の帝都」 [Feb 14,2012]

最近、貧困や格差についての本を読んでいる。特に興味があるのは明治時代の貧民窟(スラム)に関するもので、現代と比較していろいろ考える材料となっている。

なぜ明治時代かというと、現代に関する資料を読めば読むほど、「やらせ」とまでは言わないにしても、どう考えても緊急に対策が必要なようには思えないからである。書名は挙げないがある「ネット難民」に関する本など、ニートの若者がある日思い立ってネットカフェで暮らし始めるというものであった。勝手にやってろというだけのことである。

さて、明治時代の貧民に関する資料としては、横山源之助「日本の下層社会」、松原岩五郎「最暗黒の東京」が古典的なテキストであるが、いかんせん表現が古過ぎてそのままでは読みにくい。本書は2008年の出版だから、いま読むには違和感はないし、この両方の古典について記述や挿絵などを引用した部分が多いので、明治時代の貧困問題についてアウトラインを知るには適切である。

加えて、明治時代に書けなくて現代なら書けるのは、それらの貧民窟がいまどうなっているのかということである。結論から言うと、明治時代に貧民窟だった場所は関東大震災で壊滅的な打撃を受け、さらに東京大空襲で東京中が焼けてしまったので、現在は全く普通の市街地になっている。

ただ、空襲で焼け野原になったといっても、もともとの地形がすべてなくなってしまった訳ではない。本書にはどこに貧民窟があったのかの地図も示してあるが、地形や周辺の立地から、なるほどと思う場所も少なくない。バブル以前の東京を覚えている世代としては、昔の景色を思い出して感慨深いものがある。

この本では、まず明治時代の貧民窟の成り立ちから話を始める。明治維新の混乱時、江戸から東京となる時期に東京は一時無政府状態になり、混乱を極めた。富裕層が財産を持って逃げ出すのは、明治維新の江戸でもベトナム戦争末期のサイゴンでも変わらない。

やがて新政府による管理が始まったが、江戸幕府がかろうじて保っていた秩序維持のための取組みは新政府に引き継がれなかった。加えて、江戸時代には許されなかった移動の自由が認められたため、多くの困窮者が東京へと流入したのである。ここで問題だったのは、その中に大量の子供達が含まれていたことである。つまり、貧困階層が再生産されたのである。

本書の表現を使うと、「子殺しと飲酒と喧嘩、こそ泥と売春、乞食」「梅毒とハンセン病と精神病」が常態化しているのが明治時代の貧民窟であって、これはおそらく現代の発展途上国におけるスラムと変わらない。心臓には非常によろしくないが、本当の貧困問題とはどういうものかを考える上では忘れてはならない視点であろう。

 

 

こうした事態に立ち向かったのが渋沢栄一(第一銀行、東京証券取引所等の創始者である実業家)、賀川豊彦(キリスト教徒であり社会運動家)といった人々であった。困窮民を保護するための養育院の歴史や経緯、世間がこうした施設をどのようにみていたかといった点についても詳しく考察されている。

(ちなみに、本書には触れられていないが、有馬記念にその名を残す日本中央競馬会2代目理事長・有馬頼寧[よりやす]も、社会運動・慈善活動で財産をかなり使ったことはよく知られている)

現代の日本は、役所の不手際で時々悲惨な例があるとしてもそれは圧倒的少数で、さまさまな角度からセーフティネットが施されている。確かにホームレスの人達は気の毒であるが、さまざまな理由で住所氏名を隠す必要があったり、親類縁者とは連絡を取れない事情があることが多い。赤の他人が先頭に立って解決すべきだとは断言できない。

私が思うには、格差問題が社会的に喫緊の課題となるとすれば、それは(社会階層として)上位者と下位者の間に、社会的にも文化的にも乗り越えられない壁ができてしまう場合である。

社会階層としての上位者も下位者も話す日本語が同じで、上位者でも聞いている音楽がAKB48で、下位者の方がむしろ美術館や博物館に行って文化に触れる機会が多く、1日の日給程度の支出で大抵のぜいたく品(酒や高級食材)が手に入るのであれば、それは乗り越えられない壁というべきなのであろうか。

(ちなみに、仮に日本の人口がこのまま減少して、大規模な移民受け入れを行うような場合に、上に述べたような問題が顕在化するだろう。)

本当に社会全体として取り組むべきなのは、「絶対的」な格差なのであって、「相対的」な格差ではないのではないか。いまの世間の論調は、「相対的」な格差さえ許さないというように聞こえる。これは行き着くところ、小学校の運動会で全員同時にゴールさせるようなもので、私にはその方が問題であるように思えるのである。

 

[Feb 14,2012]