211 長塚節「土」 [Jun 30,2009]

時は明治時代、場所はわが家から利根川をはさんで反対側の茨城県南部。小作人の親子が貧困、病気、災害に苛まれながら、日々の生活を送っていく物語。作者である長塚節(ながつか たかし)は地主でいわゆる高等遊民であり、長塚家に小作料を納める人達をモデルに書いた作品であるといわれている。

文庫版のあとがきに書かれているとおり、冒頭の文章「烈(はげ)しい西風が、・・・痩(やせ)こけた落葉木の林を一日中苛め通した」が、この小説のテーマであり内容のすべてではないかと思う。

体調が悪いにもかかわらず行商に出た小作人の妻が、ようやく夜になってわが家に帰り、隣の家に「もらい湯」に行く。風呂に入っている間は温かいが、しまい湯に入った娘を待っている間に再び体は冷え切ってしまう、というのが最初のエピソード。亭主はというと、小作だけでは食べていけないので、利根川の工事現場に日雇いに行っているのである。

その日雇いも、天気が悪くて工事休みが多く、米代と薪代だけが取られてしまう。節約しようと工事現場までは歩いて(!)行くのだけれど、常総あたりから利根川べりまで、1日では難しい距離である。いまでもそうなのだが、利根川をはさんで茨城県と千葉県では気候風土や雰囲気が違う。それは、成田空港に関わる公共事業支出だけの問題ではないような気がする。

女房の具合が悪くなり、亭主は工事現場から汽車で帰ってくる。節約して残した米とわずかな魚が女房にとっての滋養なのである。亭主の稼ぎのほとんどは女房の薬代でなくなってしまうが、破傷風の女房は助からない。以下、これでもかこれでもかというくらい、不幸が不幸を呼ぶ、暗くて重い話である。

ただし、その不幸の中には自ら招いたものもあり(盗み癖とか)、貧乏人同士の足の引っ張り合いもある。現代の見方では不幸でも、もしかすると彼ら自身にとっては普通のことなのかもしれない。とはいえ読んでいるうちに、毎日おいしいご飯が食べられること、清潔で健康な生活を送れることが、きわめて幸運であるということが実感できるのであった。

これが、朝日新聞に連載されていたというのだから驚く(明治43年、1910年)。読者にとってかなり気が滅入る連載であったと思われるが、逆にこういう小説だからこそ100年経った今日まで読み継がれているということであろう。渡辺淳一の人気連載小説が、1世紀後の読者に読まれているとは限らないのである。

ところでこの小説、最後まで明るい展望が開けないまま結末を迎えるのであるが、個人的に、この小説の続編に位置づけたいと思っている作品がある。それは同じ常総を舞台とする「下妻物語」である。明治時代に小作の人達がつらい日々を送ったからこそ、平成の時代に深キョンが、原宿までロリータファッションを探しに行くことができたのかと思うと、ちょっとだけ救われるのである。

 

[Jun 30,2009]