213 梨木香歩 「冬虫夏草」 [May 11,2015]

駆け出し文士の綿貫征四郎とゴローによる身辺雑記「家守奇譚」の続編。雰囲気は前作を引き継いでいるが、舞台は琵琶湖周辺から始まって鈴鹿の山中まで、広い範囲となっている。

この作者の以前の作品、「からくりからくさ」とか「沼地のある森を抜けて」とはかなり作品のトーンが違ってきているようだ。登場人物の性格も、作者の関心の範囲も、「家守奇譚」の頃とはかなり違っているように思う。その意味では、「家守奇譚」の続編というよりも、「海うそ」の続編と考える方がしっくりくるような気がする。

(「海うそ」は作品の舞台も登場人物も全く違うのだが、川に沿って山の奥深く入るところや、神仏分離に関する記述など、共通するところが多い。)

私自身も山歩きをするので、とても自動車では通れない山奥に廃村跡や廃屋を見ることがある。おそらく数十年前まではここに人が住んでいたのかと思うと、なつかしいような寂しいような、複雑な思いがする。鈴鹿の山奥にも多くの廃村があると聞くけれども、この物語はそれらの集落にも人々が暮らしていた時代を描いている。

この作品の白眉と言えるのが、イワナの宿の話である。愛知川の支流・茶屋川の奥深くにイワナの夫婦がやっている宿があるという。主人公はいなくなった飼い犬のゴローを探しに鈴鹿山中に向かうのだが、イワナの宿の話を聞いてぜひ泊まりたいとも思っているのである。これ以上はネタバレになってしまうので、興味のある方はお読みいただければと思う。

先日、奥多摩小屋でたいへんな扱いを受けたのだけれど、その時思ったのは、イワナでさえちゃんとお客をもてなそうという心がけがあるのに、人間がそれをできないというのはどういうことだろうということであった。

私も最近歳をとってきたのか、意思の疎通ができるのは宇宙万物すべてではないのだろうかなどと考えたりする。その一方で、どうしても共感できない「人間」がいるというのも寂しいことである。

そういう意味では、前作「家守奇譚」でも動植物などとの交流が描かれていたのだが、今回はそれらに加えて神仏、精霊、過去と未来などさらに範囲が広がっている。いろいろと考えさせられる作品で、ここ2ヵ月で、もう4、5回読み返している。


この作者の作品は、トーンが変わってもなぜか違和感なく読めます。不思議です。

[May 11,2015]