215 夏目漱石「坑夫」「三四郎」 [Mar 1, 2013]

冬になってなかなか外に出られない。昨日は猛烈な北風が吹いた。その前にも雪が降った。天気のいい週末は大抵仕事が入る。仕方がないから、図書館から借りてきた本を読むことが多い。最近は、前に読んだ本ばかり読んでいる。書評でいいことが書かれている本でも十中八九外れなので、なかなかレパートリーが広がらないのである。

この間は村上春樹の「海辺のカフカ」を7、8年ぶりに読んだ。前回は、ナカタさんを中心に読み進めたが、今回は大島さんを中心に読み進めた。同じ作品なのに違った色合いが見えてくるのが不思議である。高松の図書館でカフカ少年が漱石のこの作品について述べる場面があり、読んでみたくなって図書館で借りてきた。

主人公の青年は東京での生活に嫌気がさし、当てもなく家を出て北に向かってゲタを履いて歩いているところを口入れ屋に丸め込まれ、鉱山にやってくる。この主人公は家柄もよく高等教育も受けているという設定で(漱石だから東京帝国大学ということになる)、家を出た原因も女絡みのいざこざである。

先輩坑夫からは「おおかた女郎買いでもして、しくじったんだろう」と言われるが、それほど大げさなことではなく、親の決めた許嫁の他に好きな女ができた程度のことのようである(断片的に回想するくらいなので、詳しいことは分からない)。にもかかわらず、これで世の中が終わってしまうように思い込んでいるのは、現代にも通じるようで面白い。

現場監督から、とりあえず坑道を見てこいと言われ、意地の悪い先輩に連れられて鉱山の奥まで下ろされる。時には水も出ているし、どこまで続くのか分からない暗闇の中で、多くの坑夫が作業をしている。その中で、わずかな灯を頼りに博打をする坑夫もいる。そんな地下奥深くで、主人公は置き去りにされるのである。

その地下深くで迷った末にたまたま出会い、主人公を連れて上がってくれた坑夫から、「学問のある人はこういうところに来てはいけない。他にやることがあるはずだ。」と懇々と諭される。それでも主人公は鉱山にいることを望むのだが、結局健康診断で落とされて、半年ほど事務仕事(帳場)をして東京に戻るという小説である。

鉱山の迷路のような坑道を抜けていくという話はゴルゴ13にもあったような気がするが、他にも、南京虫だらけの布団で寝られなかったり、南京米(というのがどんな米だかよく知らないが)が食べられなかったり、病人や死人が絶えない過酷な鉱山の様子が描かれている。

職業に貴賤はないというが、そんなに甘いもんじゃない。世の中には、理想を圧倒する現実というものがあり、その前には一人の人間などちっぽけなものだ。人間には分というものがあり、できることとできないことがある、というのがこの小説のテーマとなっている(ように思う)。

一説によると、漱石はノンフィクションとしてこの作品を構想したとも言われる。当時漱石が契約していたのは朝日新聞だし、この作品も朝日に連載された。そうした潜入取材は新聞記者の得意とするところなので、あるいは参考としたところはあったかもしれない。漱石の他の作品と似ているのは、鉱山まで行く経緯や鉱山の人達とのやり取りであり、鉱山内部の描写は他の作品にはみられない部分である。

ところで、漱石全集で「坑夫」とカップリングされていたのが「三四郎」であったので、こちらも何十年ぶりかで読み返してみた。覚えているところより覚えていないところの方が多かった。こちらは明治という新しい時代と、大学に入るため上京した主人公の視点から、未知の世界、まだ見ぬ未来への「憧れ」を大きなテーマとしている(ような気がする)。

この作品にちなんで「三四郎池」という池があるのだが、そんなに大きくもなくきれいでもない。主人公が憧れた世界も、実はそれほど大したものではないのかもしれない、というのがこの作品の読み方だろうと勝手に思っている。

本筋に全く関係ないが気になったのは、三四郎が駅弁の空き箱を汽車の窓から捨ててしまうところ。なるほど、ロードサイドでやたらと車から捨てられたゴミがあるのは、こういうところにルーツがあったのである。村上春樹によく出てくる酒を飲んでの運転と同様、未来の読者が眉をしかめるところであろう。

 

 

 

月曜日に「坑夫」と関連して「三四郎」について書いたところが、火曜日に読んだ内田樹「街場の読書論」に「三四郎」のことが載っていたのでびっくりした。考えてみると、こういうシンクロはよくあるような気もする。

内田先生によると、街鉄(いまの営団地下鉄か?)の技手(エンジニア)になった坊っちゃんや、同じ頃東京帝国大学に進んだ三四郎の年代は東条英機や山本五十六と同じであり、そのまま年齢を重ねると、第二次世界大戦時には50歳過ぎ、つまり社会の中で指導的な立場にいたことになるそうである。

この世代が戦争を指導し、さらに敗戦後に中心となって社会を復興してきたことになる。さて、この作品の中で、登場人物の一人・広田先生が三四郎にこう言う場面がある。

——-<以下、内田先生から引用>——–

この西洋に対する劣等感と日露戦争後の戦勝気分とがないまぜになった片付かない心持ちで、三四郎は列車で向かいに乗り合わせた「髭のある男」にこう話しかける。

「然しこれからは日本も段々発展するでしょう。」すると、かの男は、すましたもので、

「亡びるね」と云った。

歴史はこの男の見通しが正しく、彼を「国賊取扱いにされる」人間だと思った三四郎の方が間違っていたことを教えてくれる。

——–<引用終わり>——–

 

広田先生は三四郎より二十くらい上の世代に造形されているので、おそらく1867年(明治維新の年)生まれの漱石自身がモデルとなっている。つまり漱石世代が、幕末から明治維新にかけての雰囲気を全く知らずに育ってきた明治半ば以降の世代に対して、そのように思っていたということになる。

漱石自身は、正岡子規と道後温泉で遊んだことで有名なように、子規と同世代である。正岡子規の登場する「坂の上の雲」は秋山兄弟が主要登場人物であるが、この兄弟は、日本陸海軍の指導者となり日露戦争の勝利に大きく貢献した。

よく言われるように、日露戦争の戦後交渉では国際的な状況を冷静に判断して、ある程度は相手方に譲歩するだけの戦略眼があった。ところが日本国内では勝ったにもかかわらず腰が引けた交渉だと非難を浴び(いわゆる三国干渉)、その後は強気一辺倒で第二次大戦での惨敗に至るのである。

そうした歴史を鑑みると、三四郎や坊っちゃんの「気負い」と広田先生(漱石)の冷静な判断というのは興味深い。何しろ、漱石がこれらの作品を連載した当時、第一次大戦さえ起こっていないのである。

前回も書いたけれど、この作品の大きなテーマは、未知の世界、まだ見ぬ未来への「憧れ」であるように思う。熊本から東京に出てきた三四郎は、西洋人に驚き、都会の教養人や資産家たちに驚き、許嫁である御光さん(途中まで「ごこうさん」と読んでいたが、「おみつさん」が正解のようだ)と都会のお譲さん方を比べ、故郷の暮らしぶりと都会の暮らしぶりを比べるのである。

都会の暮らしぶりや都会のお嬢さん方、都会の教養人や資産家に憧れた三四郎がその後どうなったかは書かれていない(なにしろ、漱石は三四郎執筆後7、8年で死んでしまうのだ)。ただ、上の三四郎のセリフの「日本」を「自分」と読みかえると、大体の想像はつくような気もする。

また、ある意味では、東京から松山に赴任して結局戻ってくる「坊っちゃん」とは、逆のルートということになる。両者に共通するのは、主人公の周辺でやたらと策略めいた動きがあり、それに対して「坊っちゃん」は積極的に、「三四郎」は消極的に、否定的な意見を持つということである。この世代は昔から、リークやら怪文書やら、策略が大好きだったことがよくわかる。

いずれにせよ、漱石のこれらの作品は、数十年後の日本を正確に見通していたという点で、読み返す価値があるというべきであろう。

 

[Mar 1, 2013]