261 藤沢秀行「人生の大局をどう読むか」 [Oct 1, 2005]

先週先々週、と将棋の棋士の本を紹介したが、囲碁の棋士の本にも面白いものがある。その最右翼は藤沢秀行の著作だろうと思っている。

囲碁のタイトルにおいて別格なのは「本因坊」である。これは、江戸時代から続く囲碁の名人の名跡(他にも安田とかがある)であり、本来、茶道の千家や相撲(行司)の木村家と同様、家元やその弟子筋が世襲するはずのものであった。ところが、本因坊家の当主は、「囲碁の名人である本因坊を名乗るのは、一番強い棋士であるべきである」との信念のもと、これをタイトルにしてしまった。

だから、昔は本因坊のタイトルをとると「本因坊秀格」(高川格)とか「本因坊栄寿」(坂田栄夫)とか名乗るものだったのだが、現在では、「趙治勲本因坊」というように、タイトルとして苗字とは別に表記するようになっている。

名人のタイトルができたのは戦後大分たってからで、この第一回を制したのが藤沢秀行である。それから20年近くたって、名人に匹敵する高額賞金タイトルの棋聖ができたとき、やはりこれを制したのは藤沢秀行であった。このことから、棋界では彼を評して「初物食いの秀行(シュウコウ)」と言ったのであった。

しかし、彼を有名にしたのは、碁打ちとしての才能、実績というよりも、その借金と奇行であった。このあたりを述べたのが本書であるのだが、この中で秀行は「酒を飲んでも競輪に溺れても、毎日の碁の勉強を怠ったことはない」という。

もちろん、何十年にもわたって一線級を張っていくのに、生活が乱れて勉強ができないのではとても無理だろう。しかし、常人には、当時ですでに億単位にのぼったという借金を抱えて、平常心でいられる訳はないから、その意味でも稀有な才能(図太い神経)をもっていたことは間違いない。

ちなみに、秀行が今でいうとおそらく十億単位の借金を作った理由は競輪であるといわれているが、どうもそうではなく、いろいろな事業に手を出した末に、会社をつぶしたり保証人になって逃げられたりしたのが原因であるらしい。

もっとも、関東近郊のとある競輪場で、彼が買っていた先行選手が差されないように、金網をつかんで「がまん~、がまん~」と叫んでいたら金網が広がってしまったという「藤沢秀行がまんの金網」というのは、本当にあった話とのことである。

 

[Oct 1, 2005]