263 古田武彦「古代は輝いていた」 [Mar 17,2005]

今から15年以上前のバブル経済華やかなりし頃、総武線快速で都心まで通勤していた。朝は5時起きで帰るのはたいてい真夜中過ぎ、今では考えられないが当時は周りもみんなそうだったから当たり前だと思っていた。

隔週の週休2日がようやく完全週休2日になったが、休日も職場の行事やゴルフでたびたびつぶれ、通勤の朝はいつも疲れていた。市川を過ぎると、ぎゅうぎゅう詰めの車内から、江戸川の河原が見えた。

東京都と千葉県を分けるこの川をはさんで両側には河川敷を利用したグランドが広がり、その外側には堤防を兼ねた土手が築かれ芝生が広がっていて、いかにも寝転がると気持ちよさそうに見えた。ああ、会社なんか行かないで一日あそこで寝ていたいなあ、と思った。

その後、考えるところがあってそれまで10年とちょっと勤めていた会社を辞めて、2ヵ月足らずだけれど「無職」の浪人生活を過ごした。その時真っ先にしたのが、図書館に行って本を借り、例の河原に寝転がって読むことだった。

それまで公立の図書館には行ったことはなく、借りたとしても読む暇などなかったので、この機会に思う存分読みたかったのである。思ったとおり、図書館には本当にいろんなジャンルのたくさんの本があった。河原も思ったとおり気持ちよく、日が西に傾くまで本を読んだり居眠りをしたりして過ごした。梅雨どきだったから、雨の日には自習室の机を借りて一日本を読んだ。

ジャンル的には、郷土史から始めて、日本史、特に古代史の本を読むことが多かった。いま一番記憶に残っているのは古田武彦氏の一連の著作である。この人はもともと中学だか高校の先生で(後に大学教授)いわゆる学閥に属していなかったし、その後一種の山師的な人物と組んでオカルティックな方向に行ってしまったこともあって「荒唐無稽」との評価が固定しているけれども、根底にあるのは政治的思惑を離れて根拠となる文献そのものを検証しようというごく真っ当なやり方である。

「邪馬台国(氏によれば邪馬一国)の所在は、魏志倭人伝を素直に読む限り、九州北部以外ではありえない。」

「隋書倭国伝を素直に読む限り、『日出処天子』は阿蘇山の近くに政権があり後宮に数百人の女性がいるのだから、聖徳太子とは別の人物である。」

「以上の事実及び逸年号といわれる大化以前の年号(大化は大和朝廷最初の年号)が風土記や仏像光背銘文等に残されていることから、大和朝廷以外の政権が九州に存在していたことが推定される。」

「白村江の戦いに大軍を派遣してしかも大敗したにもかかわらず、大和朝廷にはほとんど深刻な影響がみられないことから、この時に大和朝廷が(それまでの『倭』から)『日本』として日本列島を代表する政権となった可能性が高い。」

氏のこれらの主張を明確に論破した人はたぶんいないと思う。このあたりの話は日本の「学界」といわれるものの問題もいろいろ含んでいるので、またいずれ。

[Mar 17,2005]