310 増田俊也「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」 [Sep 25, 2013]

いま、柔道が格闘技最強だと思う人はほとんどいない。北京の金メダリスト石井慧がプロ格闘技に転向したのも、高額の契約金、ファイトマネーがほしかったんだろうと思われていて、柔道の可能性を世に問うためだとは思われていない。

なぜ多くの人がそう思うようになったかというと、総合格闘技(Mixed Martial Arts/MMA)が最強であるというコンセンサスができたからである。そのMMAの総本山であるUFCの第一回で優勝したのがホイス・グレイシーであり、その父であるエリオ・グレイシーを柔道ジャケットマッチで破ったのが木村政彦なのである。木村全盛期の強さはUFCヘビー級チャンピオンクラスということになる。

われわれの世代には木村政彦は、力道山にKOされた男として記憶されている。プロレス全盛当時から、この戦いはブック(談合)ができていたにもかかわらず力道山が途中からガチンコ勝負を仕掛けたという説が有力であり、果たして事実はそのとおりであった。その後、木村はいずこともなく消えたということになっていたのだが、この本を読むと事実はそうではなかった。

というのは、やがて木村は母校拓大柔道部の顧問として柔道界に戻り、東京五輪に際しては外国選手を指導し、さらに1971年の全日本選手権者・岩釣兼生を育てるなど、指導者としての実績を残したのである。もっとも、その指導方法は現代ではいろいろと騒がれるものであったろうとは思うが。

前にどこかで書いたように、アスリートの人格と競技能力にあまり関係はない。柔道が強いからと言って必ずしも人格的に優れている訳ではないし、人生において成功が約束されている訳ではない。だから、「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」だからといって、カネや地位や尊敬がセットでついているということはない。

だから、戦後のどさくさに紛れて外国で大山倍達らと巡業して大金を稼ぎ、一部は病気の妻に医薬品を送ったかもしれないが、大部分を酒と女遊びに使ってしまった人生もありかもしれないし、母校の柔道部顧問として柔道を教える人生もありである。どちらがどうということはない。

別の言い方をすれば、柔道で日本一だからといって興行の世界で必ずしもメインイベンターであるとは限らず、その意味では力道山の方が一枚上だったということだろう。リアルファイトでどちらが強いかということはあまり関係がなく、舞台裏まで含めた交渉力ということである。まして木村はそういった裏も知っていて、強さをカネに代えていたのである。

木村の強さの背景として、作者は戦前の柔道の大勢力であった高専柔道と武道専門学校(武専)にも多くの筆を割いている。いずれも、戦後のさまざまの状況下で勢力をなくし、現在は柔道=講道館となってしまったが、戦前には講道館ならざる柔道もあったのである。

そのうち武専は、軍国主義につながるものとしてGHQにより解散させられ、その教官のうち何人かは天理大学に移った。だから天理大学のHPには、「武専の流れをくみ」とはっきり書いてある。当然、上級生が下級生をしごくなどということは伝統であったと思われるが、これが問題となって天理大柔道部は無期限活動停止ということになってしまった。(もっとも、最近活躍したOBが篠原だからなあ・・・)

いまの時代、柔道にせよMMAにせよ、強くなりたい者は自分でジムを探して練習して強くなるべきで、学校推薦やら体育会の伝統やら、上級生・下級生なんてことは関係ないということであろう。ちょっと首をひねるところでもあるが、もともと学校や企業がスポーツを宣伝に使う方が間違っていると思うので、行き過ぎはあるとしても仕方のないところだと思う。


大宅壮一ノンフィクション賞(2012年)、新潮ドキュメント賞(同)を受賞した力作。もともとの連載は「ゴング格闘技」、昔の「ゴング」である。必ずしもメジャーでない雑誌の連載だったが、卓越した内容で一般読者にも注目された。

[Sep 25, 2013]