314 村上春樹「多崎つくると巡礼の年」 [Jun 7,2013]

正しい題名は、「色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年」。某タレントが「良くない」と言っているけれども、佐藤優が書いた書評をみて急に読みたくなった。まあ、基本的に「村上商店」の品物だし、これが気に入らないと言われるなら「すみません、お時間をとらせました。」と言って、次の客を迎える準備を始めるというのが作者のスタンスであろう。

作品的にはエルサレム賞スピーチの延長線上にあり、私には十分に面白く読めた。どこかに書いていたがもともと短編として構想された作品で、そのせいか全体に構成がすんなりしている。他の長編に比べて、読み終わった時に「?(疑問符)」として残るものも少ない。そういったところが、一部の読者にはもの足りないのかもしれないとは思う。

「最後までストーリーにぐんぐん引き込んでいって、疑問符が残る」というのは、1Q84の中で空気さなぎについて述べられていたことだが、作者が意図してやっていることである。今回の作品では表面的な疑問符はあまり残らない。ちょっと説明しすぎかなとも思わないでもないが、作者にしてみれば、「こんな料理も出せますよ」ということなのかもしれない。

とはいえ、村上春樹の読み方としては、表面のストーリーはストーリーとして楽しみ、サブストーリーはサブストーリーとして楽しみ、自分の世界に引き直してメタファーを楽しみ、バックグラウンドとして作者の世界観・生活観を楽しむという重層的な構造が必要とされるように思う。表のストーリーだけ論評しても始まらないのである。

バックグラウンドについては、いつもの村上作品と同様である。「規則正しく清潔な生活と、まっとうな食事は、生きていくための基本である」ことが、繰り返し述べられていて安心する。さすがに歯磨きは朝晩だけだが(会社で歯磨きするのは好きではない)、激しく同意するところである。

表のストーリーがさっぱりしているのは、もともと短編としての構想であったことに加え、2012年に作者がチャンドラーの“The Big Sleep”(大いなる眠り)を翻訳していることがあるのかもしれない。わずかな手がかりから先に進んでいくところや、先生の秘書やタマルのような切れる登場人物が出てこないのは、チャンドラーで十分楽しんだということなのかもしれない。

今回の作品で表のストーリー以上に読みごたえがあるのは、サブストーリーの部分である。トークンを持ったピアニストの話や、人材啓発セミナーの話、そして駅の話。村上春樹のサブストーリーでは「羊」のアイヌ青年の話が最高だと思っているが、この作品もなかなかのものである。

ちょっと気にかかったのは、同級生が殺されて犯人も分からないというのに、つくるのところに警察が何も言ってこないというところ。作者のバックグラウンドの一つに「頭と手間をかけてしらべれば、たいていのことは分かる」というのがあるのだが、これでは愛知県警は何も調べていないということになってしまう。「文学」がいたら許してくれないだろう。


村上作品は好みが分かれるところが多く、個人的には「羊」以上の作品には出会っていません。1Q84も悪くはないんですが。

[Jun 7,2013]