315 群ようこ「れんげ荘」 [Nov 3, 2014]

過去の書評を調べたら、群ようこの作品をこれまでとりあげたことはなかったが、実は作品のほとんどを読んでいる。千葉県出身の椎名誠の弟子だからである(「別人群ようこのできるまで」に書いてある)。この作品は、WEBの貧乏サイトで紹介されていたので図書館で借りてきた。大金持ちになった群ようこが貧乏話が書けるのかと思って読んだのだけれど、やっぱり書けてなかった。

まず気になったのは、月10万円で暮らしていかなければならないという主人公のリアリティである。作中には、「預金を取り崩していけば80まで持つ」ということなのだが、誰でも知っている大手広告代理店に25年勤めていれば間違いなく年金受給資格がある。だからそもそも65歳から後は国民年金と厚生年金があるので、月に10万円以下ということにはならない。

そもそもそんなにおカネがなかったら、なぜハローワークに行って失業保険受給の手続きをしないのだろうか。私の実体験から言っても、会社を辞めて最初にすべきは失業保険の手続きであり、次に勤めるかどうかとは別問題である。あえて行かないというのなら、なぜ行かないのか、説明がないとおかしい。

それと、「これで今月やっていかなければ」と銀行から10万円下ろしてくるのだが、手元の現金で10万円なら、家賃は?健康保険は?税金・年金は?公共料金はどうするのだろう?という素朴な疑問が最後まで解決されない。自分が貧乏生活をしているなら最も気になる点だし、毎月赤字なら通帳の残高が減っていくストレスは相当のものになるはずである。

その点について、続編「働かないの」にもう少し詳しく書いてある。家賃その他もろもろ含めて10万円という設定である。これで、税金や年金や健康保険料、全部払っているという。これは相当きついはずだが、主人公は喫茶店に行ったり外食したり銭湯に行ったり、古本屋行ったり自然酵母パンを買ったり除湿虫よけグッズを買ったり、親戚の子にプレゼントだ何だしている。いったいおカネはどこから出てきたんですかという話である。

師匠・椎名誠の「哀愁の町」では、アパートでは布団を干せないので、中川放水路の土手に干しに行く話があって、ここの部分はとても好きなのだけれど、狭い庭の1階で日当たりの悪いはずのれんげ荘なのに、なぜ外に洗濯物を干せるのか。師匠と弟子でリアリティに差がありすぎる。除湿器をフル稼働しないとやっていけないのに、食器を洗った後の布巾は乾くのか。「哀愁の町」ではそのあたりも細かく描写しているのに、「れんげ荘」にはそれがない。

そして、計算すると家賃が月に全部で7万円以下しか入らないのに(2階は老朽化して貸していないという設定)、なぜ不動産屋さんが掃除したりするんだろう。大家は固定資産税や不動産屋さんへの手数料を払って、正味いくら入るんだろう。一体何のためにアパートをやっているんだろう。どう考えても、普通は売ってしまって建て替える。都内の便利なところだそうだから。

また、家賃3万円という限界低家賃アパートなのに、住んでいるのは比較的常識範囲内の方々というのも現実離れしている。再び「哀愁の町」を引き合いに出すと、一晩中「おまえおまえおまえおまえおまえ」と言い続ける アルコール中毒の生活保護受給者みたいな人がいてもおかしくないのが現実であろう。せめて、1軒を数人でシェアする外国人労働者くらいいないと。

はっきり書いていないけれど、主人公の持っている貯金は4千万円くらいと推測できる。それを使って、年間120万円で30年余りという計算のようだけれど、500万円くらいの中古公団住宅(首都圏でもいくらでもある)を買えば風呂もついて共益費7、8千円、貯金の残りと60歳から繰り上げ年金受給をすれば、家賃負担なしの月々10万円で問題なく暮らせるはずである。

私には、生活設計と優先順位付けができない主人公が、会社を辞めても同じような人間関係の中で同じようなことを考えて毎日を過ごしているようにしか読めなかった。まあ、群ようこ自身、若くして成功して大金持ちになり、何百万の和服を買ったり親兄弟に家を買ったり贅沢してたんだから、貧乏小説に期待する方が間違いだったということだろう。


群ようこの「無印」シリーズは何回も読み返したし「あたしの帰る家」も面白かったけれど、この作品はちょっと。貧乏サイトの人達も、なんでこれを誉めるのだろう。

[Nov 3, 2014]