316 森巣博「神はダイスを遊ばない」 [Apr 19, 2005]

この作品を最初に読んだときの衝撃をどう表現すればいいのだろう。まだ学生の頃に阿佐田哲也の「麻雀放浪記」を読んで以来、ギャンブル小説でここまで感激したことはない。今でも繰り返し読んでいるのは、それだけこの作品の完成度が高いということであろう。

とにかく、鯨賭人ケリー・パッカーの話から始まって、アインシュタインの”God does not play dice.”の解釈で終わるまで、息つく間もない展開が続く。通常のギャンブル小説では、「ギャンブルを題材に人生を語る」ものが多いが、この作品は「人生を題材にギャンブルを語」っているのがすばらしい。

ディーラー上がりの大口賭人ミーガンと、「常打ち賭人」ヒロシの出会いと連携、そして歯医者を相手にした乾坤一擲の大勝負。最後のヒロシの自爆的バカラ勝負に至るまで、全編にギャンブルのエッセンスが詰まっている。「知れば知るほど負けるもの」「懼れを持った者が負ける」「博打に必要なのは確信である」などなど、他の森巣作品に登場するフレーズもてんこ盛りである。

また、この作品で取り上げられているカシノ種目が「牌九(パイガオ)」である。おそらく氏の作品以外で登場することのないこのゲーム、実は私も大好きである。カシノゲームは単に勝負がつけばいいというものではない。もしそうであれば、世界中のカシノは「カジノウォー」(注.日本では「戦争」という名で知られるカードゲーム。2人がカードを引いて大きい方が勝ち)ばかりになってしまう。そこには、考える楽しさ(考えたから結果が変わるのではないにせよ)や途中経過の楽しさ、信じ・祈る楽しさがなければならない。

だからといって、将棋やマージャンは強い者が勝つことになっているのでカシノゲームとはなり得ない。牌九はそのぎりぎりの所に位置するゲームである、と氏はいう。クライマックスのミーガンと歯医者の勝負はまさにそういう展開になっている。

これ以上はネタバレになるので言わないが、この作品を読めばカシノ賭博の泥沼にはまり込むこととなるのは必定である。氏はこの作品の後も「越境者たち」「ジゴクラク」「非国民」「悪刑事」「蜂起」と大作を発表し続けているが、私はこの作品がいちばん好きである。


著者にはリゾカジでお会いしています。連載時の題名は全作品「打たれ越し」で、単行本になって改めて名前が付きます。マカオで牌九台を一生懸命探したことを思い出します。

[Apr 19, 2005]