360 柳澤健「1976年のアントニオ猪木」 [May 15, 2007]

中学校の時、交換授業でアメリカンスクールの生徒達が来たことがあった。そのとき、自由に話していいということだったので、私が同じくらいの年の奴に聞いたのは、「ブルーノ・サンマルチノを知っているか?」だった。

そいつの答えは「知らない。聞いたこともない」だった。その頃ジャイアント馬場とアントニオ猪木のことを知らないという日本の小中学生はまずいなかったから、すごく不思議に思ったのを覚えている。(ブルーノ・サンマルチノは当時のWWWFヘビー級チャンピオン。東海岸で抜群の人気者、と言われていた)

そんな疑問に回答を与えてくれるのがこの本である。つまり、アメリカではそもそもプロレスはショーであると広く認識されており、だからインテリ層(死語?)が見るものではないとされていたこと、そしてその原点はテレビ草創期のスポーツ中継において、プロレスくらいしかできるものがなかったこと、があるのであった。

当時、野球やアメフトが放送できるような中継施設もなく、VTRもないのでそれらの人気スポーツはライブで中継することができなかった。ボクシングであれば設備的には可能であったが、早く終わってしまったら目も当てられない。

かたや日本では、何人も国会議員になってしまうくらいプロレスラーの知名度は高いし、元ジャイアンツの馬場や柔道日本代表の坂口や小川、大相撲の三役力士力道山や天龍、ラグビー日本代表の草津や原などアスリートからの転進が当たり前なので、レスリングのプロがプロレスだと認識されている。だからこそ、浜口京子の親父がアニマル浜口だとみんなうれしくなるのである。プロレスにそういうイメージを確立させたのは、馬場ではなく猪木だというのも衆目の一致するところであろう。

そして、その分岐点が1976年の猪木vsアリ戦にあるというのも間違いないことである。この試合、アリとの契約があるのか試合の動画が再放送されることもDVD化されることもなく、実際にテレビで見ることができたのは今では貴重な経験になってしまった。その舞台裏にはさまざまないきさつがあったのだが、ともかく現役のボクシング世界ヘビー級チャンピオン、モハメド・アリが、いまUFCとかプライドでやっている異種格闘技戦をリアルファイトで戦ったのであった。

この試合、ご存知のようにアリは立ったまま、猪木は寝たままで15R戦ったのだが、当時お付き合いのあった古武道(棒術)の専門家が、「本気で戦えばああする他に方法はない」と言っていた。あれから30年を経て、今でも打撃系と寝技系が戦えば猪木vsアリの状態になることは珍しくない。

しかし今では戦法や技術がより洗練され、寝技系は寝たままでも相手の関節を極めに行けるし(例えばノゲイラ)、打撃系は相手のガードする足を越えて殴りに行ける(例えばヒョードル)。その意味で、あの試合が膠着したのは時代が早すぎてお互いにそれだけの技術がなかったからであるというのがこの本の結論で、これには全く同意するものである。

いまや、馬場や猪木の全盛時代を知る人も少なくなりつつあり、もしかするとこの本もあまり売れないまま絶版になってしまう可能性もあるので、興味がある方はいまのうちに入手されることをお奨めする。決して、読んで損はない本である。ちなみに、私がインド国歌を聞いたのは、後にも先にも猪木vsタイガー・ジェット・シンのNWFヘビー級タイトルマッチだけである。

 


猪木が現役のプロレスラーだった時代を知ることのできる貴重なノンフィクション。ゼロからスタートした猪木が、どのようにして現在の知名度を獲得したか。好き嫌いは別として、猪木の努力とアイデアには敬意を表します。

[May 15, 2007]