363 米長邦雄「人間における勝負の研究」 [Sep 20, 2005]

先週に引き続き、将棋の棋士が書いた本である。米長は後に名人になったが、この本を書いた当時は同年代のライバル中原誠の全盛期であり、十段や棋聖といったいわば「マイナータイトル」を獲得するにとどまっていた。この後にいろいろな本を書いており、東京都の教育委員会委員にも抜擢されたように元来多才な人だが、確か将棋以外の著作はこの本が初めてである。

昔の囲碁・将棋のプロたちの間で、よく「指運」ということがいわれていた。囲碁や将棋の変化はいわば無限であり、限られた持ち時間の中ですべての変化を読みきる(検討し尽す)ことは到底できない。だから、実力差が紙一重のトッププロ同士の対戦において、その時その場でどの手を選ぶのか、ひいては勝つか負けるかの境目というのは、いわば運なのだという考え方である。

だから、当時の棋士たちはどうしたら「運」を呼び込むことができるか真剣に考えた。そのために、というかそれを言い訳にして、競輪や競艇(平日でもやっている)にのめり込む者も多かった。そうした中で、米長なりの回答を示したのがこの本である。エッセンスだけいうと、「運を呼び込むためには、人生において貸し方に回らなければならない」ということである。

この場合の貸し方とは、簿記会計における借方・貸方とは少し違う。「債権者」といい方がより近い言葉になるだろう。例えば、第二次大戦前に相当の土地を持っていた米長家は、戦後の農地解放によりその資産の大部分を失うことになるのだが、これを米長は「米長家は日本国に貸しがある。だから、この先悪かろうはずがない」と考えるのである。また、女性と別れる際には、相場より多い額を渡すことが貸し方に回る、ということだそうである(経験のない私にはコメントできない)。

そのように、人生に借りを作らず貸しを作ることが「さわやかな生き方」であり、幸運の女神はこのような生き方をする人を好むはずである、というのが米長の主張である。だから、当時彼を評して「さわやか流」というような表現がなされたし、実際、後に将棋界の最高峰である名人となったのだから、それも一つの考え方である、ということはできるのだろう。

20年以上の時を経て、わがリゾートカシノ界においては、ちくわさんを初めとする生独+我中の人たちが「善行」を励行されている。もしかしたら、これは普遍的な運勢向上法なのかもしれない。

 

[Sep 20, 2005]