057 そんなにめでたいか沖ノ島世界遺産 [Jul 17, 2017]

沖ノ島がユネスコの世界遺産になって、読売新聞は大喜びである。まあ、どっかの事務次官が歌舞伎町でいかがわしい店の常連だったとかいう官邸リークを記事にしている志の低い新聞だから気にすることもないのだが、地元でも盛り上がっているなんて記事を読むと、なんだかおかしいなと思う。今日はそのことについて整理してみたい。

世界遺産なんて制度そのものがユネスコの資金稼ぎみたいなものであり、ある意味オリンピックや万博とよく似ている。世界遺産に登録しましょうなんて運動をすることで地方自治体からカネが出るが、そうやって公金が出ること自体、後々の観光収入やら映像権やらの見返りを期待しているのである。世界遺産になると、どこからかカネが沸いて出てくる訳ではない。

まず指摘しておかなければならないのは、沖ノ島は宗教施設(宗像大社の神領である)で、一般人の立ち入りが厳しく制限されているということである。昔と変わっていなければ女人禁制のはずだし、男でも原則として禊をしなければ上陸できない。オリンピックのゴルフ会場が女性会員禁止ではよろしくないと騒ぎになったが、そんな生易しいものではないのである。

だから、本来は宗像大社が自身の予算の中から維持管理をしていく筋合いのもので、国や地方公共団体に支援を期待すべきものではない。それが嫌だったら、せめて明治神宮並みにゆるい規制にすべきであるし、島に他人は入れないが補助金だけはほしいというのは欲張りの考え方である。

話は変わるけれども、私がいま取り組んでいる四国札所歩き遍路にも世界遺産の動きがある。確かに、この間訪れた真念庵は地元教育委員会の努力はあるものの寂しい状態だし、かつて訪れた焼山寺道の浄蓮庵も、もう少しなんとかならないかという感じだった。

だから、有志が現れて施設に手を入れることはありがたいことだと思っているが、それが世界遺産になって国・地方公共団体のカネでやるのだということになると、それは違うんじゃないかという気がしている。お遍路だけでなく宗教はあくまで個人の信心が基本になっているのであり、どこかがバックアップすることを求めているのではない。

本当のところ、そうした施設の維持管理に自分のカネを出そうというのが本来の意味での旦那(もともと、寺のパトロンという意味)であり、余裕あるカネを手にした者のノブレス・オブリージュだったはずである。(パトロンとノブレス・オブリージュは、実は語源が同じで、聖ペテロに由来する)

宗教施設ということにはもう一つ問題があって、ユネスコ(一応、国際機関である)の認める施設である以上、「異教徒にも」開かれたものでなくてはならない。バチカンのピエトロ大聖堂も世界遺産のはずだが、イエス・キリストを信じない者の立入りができないという話は聞いたことがない。沖ノ島は禊をしていない一般見学者の立入りを認めるつもりはあるのだろうか。

実はそうしたこと以上に私が気に入らないことがある。それは、おそらく国・地方公共団体はこの世界遺産指定を盾にとって、これまでにもまして島への立入りを厳しく制限するだろうということである。

この間読んだ本で、鳥島(島全体が天然記念物である)への上陸は東京都が厳しく制限していて、たとえ自分のカネで船をチャーターしても、許可がない限り上陸させないそうだ。それでも、その海域には近くで密漁している中国船がうようよしており、台風でも来て緊急避難を求められれば、断るすべはないらしい。全く、小役人根性というやつである。

おそらく、世界遺産の指定で、いままでにも増して沖ノ島への上陸は難しくなるだろう。これまでは宗像大社にツテがあれば工事に随行して上陸することはあるいは可能だったかもしれないが(鳥島にはそうやって上陸できた)、これからは「世界遺産ですから」といってそれも難しくなるだろう。それでも、政府関係者やユネスコ関係者はきっとフリーパスなのだ。

別に、国やユネスコが制度を使って好き勝手することを今更嘆いても仕方がない。でも、それをさも国民的祝賀行事のように騒ぐ人(新聞)の気がしれない。だからせめてもの自衛策としては、これをカネ儲けのタネにしようとする下心に何の関心も持たなければいいのである。


沖ノ島は玄界灘に浮かぶ長辺1kmほどの孤島で、対馬と博多の中間点にある。朝鮮半島との航路にあることから、古代の遺品が多く残る。(出店:電子国土ポータル)

[Jul 17, 2017]