330 三十三番雪蹊寺 [Oct 19, 2016]


この図表はカシミール3Dにより作成しています。

禅師峰寺の坂を下り、古い住宅街を歩く。禅師峰寺から高福寺(雪蹊寺)まで一里半、うち一里は海辺と真念「道指南」にある。そして、渡船場がある種崎まで、遍路地図には6.0kmと書いてあるのだが、こちらも五台山からの道と同様、それ以上に距離がある道なのであった。

午後5時に下り始めて、雪蹊寺まで一里半だから種崎までならそれより短いし、6.0kmなら1時間半あれば余裕で行けるだろうと思っていた。住宅街の道を抜けると幹線道路に突き当たる。遍路地図ではまっすぐの田舎道もあるのだが、もう日がすっかり暮れて暗いので、安全な幹線道路を進む。それでもところどころ足下が見えなかったから、田舎道はちょっと厳しかったものと思われる。

この幹線道路は国道ではなかったけれどキロポストがあって、歩くペースが把握できた。それによると、幹線道路に出てからずっと㌔13分そこそこのラップで歩いていたから、この日の午後五台山と禅師峰寺で山の登り下りをこなした割にはがんばっていたと思う。

しかし、着かないのである。時刻はもう午後6時近く、 もうすっかり日が暮れてしまった。進行方向左手には、空高く道路が持ち上がって街灯が光っている。高所恐怖症の人は歩かない方がいいとされる浦戸大橋である。右手には港に置いてあるクレーンらしい物体に照明が当てられている。ようやくそのあたりで分岐点にたどり着いた。

右に折れてしばらく歩くとファミリーマートがある。あとはもう楽勝だろうと思い、寄ってクーリッシュとミネラルウォーターを買う。ついでにレジの人に渡船場の位置を尋ねると、その先を左に折れてまっすぐだという。ただ、目印はありますかと聞くと、「右に行く場所に、そう書いてあるので分かると思いますが」と微妙なことを言う。

歩き始めて、ちょっと口ごもっていた意味が分かった。渡船場までには相当の距離があるし、街灯もなく真っ暗な道を行くのである。遍路地図によると1.7kmしかないはずなのだが、2km以上歩いているように感じた。そして、道案内など見えないくらい暗い上、住宅街でほとんど人が歩いておらず聞く人もいない。

午後6時半を過ぎて、まだ着かない。渡船の時刻は6時40分だから、半分あきらめた。ちょうどバス待ちをしているおばあさんがいたので、「船着き場はどこですか?」と尋ねると、「引き返して左だけど、その先を右に曲がって堤防沿いに行けばいいよ」と教えてもらった。どうやら、行き過ぎてしまったようである。言われたとおり進むと、3、4分で待合室の灯りが見えてきた。

帰ってからGPSのデータを見てみると、禅師峰寺から種崎渡船場までは6.9kmあった。㌔13分のペースで歩いて1時間35分だから、急がなければ遍路地図のいう1時間半では無理である。まったく、五台山といい禅師峰寺といい、参考にすると痛い目に遭ってしまうのが遍路地図なのであった。

ゆっくり待つ時間もなく船が着いて乗船。私の他に待っている人はいないように見えたのだが、乗客は4、5人いた。乗船料は無料というのがうれしい。きっと、橋ができるまでは多くの人に使われていたんだろう。

待っている時間と同じくらいで向こう岸の長浜渡船場に到着。船着き場の先は、やはり真っ暗な道である。すぐに歩き始めたのだが、10分ほど休んだだけで、体のいろいろなところが痛む。加えて、汗が乾いて服とすれて痛い。

真っ暗な中、携帯が鳴って奥さんからメールが来る。午後7時なので、もうホテルに着いたかというメールであった。まだ歩いていると返事を打つと、驚かれてしまった。15分ほど歩いて、ナンコウスーパーが見えてくると長浜バス停はもうすぐである。7時5分に到着。7時20分のバスは遅れて30分に着いたので、ホテルに帰ると午後8時を過ぎてしまった。

この日歩いた歩数は51,666歩、距離は30.6kmと、神峯寺以来の30km超えとなったのでありました。

 


禅師峰寺の坂を下りて西に向かう。古い住宅街だ。この時はまだ明るいのだが。


種崎渡船場に着いた時には真っ暗になっていた。禅師峰寺からここまで6kmでは足りないと思う。


県営渡船。なんと無料の行政サービス。ありがたいことです。

 

日が暮れて真っ暗な中を歩くことになり、ホテルに着いたのが午後8時を過ぎてしまったことについては、見通しが甘かったと大変反省した。その時には、前日に高知駅か少なくとも薊野駅まで歩くべきだったとか、当日の朝ゆっくり食べていないで7時45分の路線バスで出発すべきだったとか考えていたのだが、帰ってからよく考えると別の方法があったことに気がついた。

それは、種崎で切り上げてバスに乗ればよかったということである。禅師峰寺からバス便がほとんどないことから、種崎もそうだと思い込んでいたのだが、調べると1時間に1本、種崎からはりまや橋に直通バスがある。そもそも、渡船場への道を聞いたおばさんはバスを待っていたのだから、そのバスに乗ってはりまや橋に向かえば、1時間早くホテルに着くことができたのである。

幸いに、ケガもなく、事故なく歩くことができたからよかったようなものの、足下が見えなくて何かにつまづいたり、衝突したり、転落したりしたら、それ以降歩けなくなるところであった。遍路地図がいい加減だと腹を立てる前に、冷静に最善の方法を考えなければならなかったのである。

さて、結果的には高知一泊目で長浜まで来ることができたので、今回の遠征で予定していた少なくとも清滝寺というスケジュールは達成できそうである。出発する前は、清滝寺を打って高知に戻るか、あるいは青龍寺まで打って戻ることも想定していたのだが、ここまで来ると青龍寺から内ノ浦湾巡航船に乗って須崎まで歩くという想定した最長のコースを歩くことができそうだ。

高知市周辺はちょうど弧を描くように札所があり、その中心にはりまや橋があるので、ある程度自由にスケジュールを組むことができる。二十八番大日寺から三十七番青龍寺まで、便の多い少ないはあるにせよ、とさでんバスに乗れば直通ではりまや橋に通じている。だから、ホテルに荷物を置いて身軽で歩くことができる。

今回もそれでリッチモンドホテルに3泊して、かなり楽をすることができた。それと、今回は幸いに雨が強かったのが夜中だけだったけれど、風雨が強かったり体調が良くなければ、スケジュールを半日で切り上げたり1日ずらしたりする必要がある。そうした場合も、連泊というのは調整が利きやすいのだ。

この日のスケジュールは長浜スタートで清滝寺までと比較的余裕があるので、ホテルのハーフバイキングでゆっくり朝ごはんをとり、8時のバスで長浜に向かう。高知中心街は少し混んでいたため、8時40分に長浜到着。ちょうど開いた郵便局のCDコーナーでお金を下ろす。バス停の先十字路を右に折れるとすぐに雪蹊寺である。

高福山雪蹊寺(こうふくざん・せっけいじ)。真念「道指南」によると、もともとの名前は高福寺であり、江戸時代初期には両方とも使われていたようである。「雪蹊」とは、この寺の修復に大いに貢献した戦国大名・長宗我部元親の法号である。だから、江戸時代以前にはもっぱら高福寺と呼ばれたということである。現在では「高福」の名前は山号に使われている。

朝早いので参拝客はまばらである。最近、納経開始時間を午前7時から午前8時に繰り下げることが検討されていると聞くが、私自身もこれまで7時にお願いしたことはないから、宿坊泊まりのお遍路さん以外は8時でもあまり影響はないかもしれない。むしろ、終了時間を午後6時に繰り下げてくれるとありがたいのだが。

街中にあることもあって、境内はそれほど広くない。本堂の引き戸の上には、墨で大きく書いた「高福山雪蹊寺」の額がある。左から右に書かれているから、それほど古いものではないのだろう。山門前には、山頭火の「人生即遍路」の石柱もある。山頭火が注目されたのは戦後になってからなので、こちらも比較的新しい。

スケジュールに余裕ができてお金も下ろしたので、気が大きくなって境内で売っていた山北みかんを1箱買い、家に送る。山北といえば関東では富士山麓だが、高知では南国市の北、大日寺のあたりである。

極早生(ごくわせ)だそうで小ぶりなのだが、食べさせてもらうとすごく甘い。皮が薄くて一個いっぺんに食べられるくらい小さいのに、すごくジューシーだ。長年みかんを食べてきたけれど、こういうみかんは初めて食べた。遍路歩きの思わぬ収穫である。

[ 行 程 ] 禅師峰寺 16:55 →[6.9km]18:35 種崎渡船場 18:40 → 18:45 長浜渡船場 18:45 →[1.3km]19:05 長浜バス停 →はりまや橋→リッチモンドホテル(泊)→はりまや橋→ 長浜バス停 8:45→[0.3km]8:50 雪蹊寺 9:15 →


高知リッチモンドホテルの朝食はカツオのヅケ丼。ハーフバイキングで、サラダその他はバフェ方式。


雪蹊寺山門。江戸時代はじめまでは高福寺と呼ばれており、現在は山号に残されている。「人生即遍路」と山頭火が言ったらしい。


雪蹊寺本堂。境内にはみかんの売店があり、山北みかんの極早生(ごくわせ)を買って家に送る。実は小さいのにとても甘くておいしかった。

[Jul 12, 2017]