921 見市温泉 [Jul 14, 2017]

いまホームページをWordpressに移行する作業をしていて、この間「温泉」の記事をひととおり移し終わったところである。作業をしていて、北海道で入った温泉はもっとたくさんあるなあと思った。しかし、昔行った温泉はデジタル画像が残っておらず、画像なしでは迫力がないので記事にしないまま今日に至っている。

ポリテクセンターも修了し、これからは時間に束縛されないで毎日を過ごせるようになったことから、家の中をひっくり返して昔の記録があるかどうか調べてみた。ところが驚いたことに、デジタル画像どころかアナログ画像すらほとんど残っていないのである。

仕方がないので、すべて忘却の彼方に去ってしまう前に、覚えていることだけでも書き残しておくことにした。いつかどこかで書いたけれど、北海道には公私とりまぜて4、50回行っていて、宿泊日数を合計したらおそらく1年近くになるはずである。温泉も結構な数行っていて、十勝川温泉とか登別温泉とか、何度も訪問しているところもある。

今回紹介する見市温泉は、過去2回行っている。1回は独身の頃で昭和五十年代後半、もう1回は子供を連れてだから平成初め頃のことである。

見市温泉は江差から20kmばかり北、それも日本海から山の中に少し入ったところにある。JR江差線の走っていた当時でさえ不便なところであったが、江差にも松前にも電車が来ない現在ではどうなっているのだろうか。

初めて行った時は、江差からバスに1時間以上乗った。日本海沿いの熊石という所で下りて、そこまで宿の人に迎えに来てもらった。私ひとりだけだったので申し訳なかったが、まだ車の免許を持っていなかったし、他に交通手段がなかったのである。

下の写真は最近建て替えたもので立派になっているが、当時はまだ古い建物だった(パンフレットが出てきたのでスキャンしてみた)。そして、それ以上に古色蒼然としていたのは浴槽で、長年にわたる石灰質が堆積してすごいことになっていた。もっとも、当時はそれが温泉のスタンダードで、二股カルルス温泉とか、それで売っているところもたくさんあったくらいである。

お風呂には説明書きがあって、この温泉はそもそも日露戦争の傷病兵が湯治に来たことから開けた温泉で、以来数十年を経て今日に至っているなんてことが書かれていた。日露戦争は1904年から1905年、明治時代の日本が近代化を果たし欧米と肩を並べた(と思った)戦争である。「八甲田山」「二百三高地」「坂の上の雲」の世界である。

われわれにとって日露戦争は映画とか歴史上の事件だが、印西市の奥の方に行くと日露戦争死没者の大きな石碑が建っているし、江田島に行くと東郷元帥の遺髪が大事に保管されている。関係者の方々にとっては決して過去ではないということであろう。

二度目にお伺いしたのは子供が大きくなってからで、雲石国道を車で走って行った。八雲ではケンタッキーのやっている農場のレストランに行き、そこから日本海側に峠を越えて行った。八雲ではまだ多かった車通りが峠越えではほとんどなくなり、雲石峠には電話ボックスがあるだけで売店もなければ自動販売機もなかった。

建物はすでに新しくなっていて、浴槽もいま風にきれいになっていた。ロケーションだけは何十年経ってもかわらず、すぐ前に見市川が流れ、向こう岸はすぐ山という景色は変わらなかった。見市温泉は代を重ねて六代目だそうで、それだけ長く同じ場所で続けられるということに意味がある。

日本海に出たところの熊石には、昔、ひらたない荘という国民宿舎があり、行ったことがある。「虫が入るので窓を開けないでください」と書いてあるのが印象に残っているが、建て替えて温泉旅館に衣替えしたようだ。当時から近くで養殖しているあわび料理に力を入れていたが、現在では見市温泉もあわび料理を出すらしい。昔はそんな高級なものは出さなかったが。


見市温泉のホームページより。最初に行った時はこんなに立派な建物ではありませんでした。


古い写真の中から、昔のパンフレットが出てきました。