350 三十五番清滝寺 [Oct 19, 2016]


この図表はカシミール3Dにより作成しています。

種間寺から仁淀川大橋までの間も、かつて歩いたことのある道である。記憶では15分ほど歩くと細い道の両側に農協か何かの建物があって、昔は村の中心だったのかと思ったように覚えている。しかし今回は、種間寺を出てすぐ、工事標識で通せんぼされていて、前にガードマンの人がいる。

「歩きでも、通れないんですか?」と尋ねると、「舗装工事中なので通れない。あそこに見える細い道を西に向かって下さい」と北の方角を指して言われた。50mくらい先に、工事中の道路と並行して農道が通っているのが分かる。あそこを行けばいいらしい。

そして曲がり角まで行ってみると、軽トラなら通れそうだが普通車ではすれ違いがちょっと難しいくらいの狭い農道だった。脇に用水路が流れていて道路との境が何もないので、車だったら落ちないかちょっと不安で、地元の人以外は通ることはないだろう。

用水路に沿ってこの迂回路を進む。周囲はまさに田園地帯で、水田があり畑がありビニールハウスがある。時折周囲を防風林で囲われた農家があり、大きな倉庫のような建物もある。誘導されなければ、お遍路が歩く道ではなくもっぱら地元の人が農作業に使う道のように思えた。

この道路工事は結構長い区間で通行止めにしているようで、向こうの方の農道に普通車が走っているのが見える。いま通っている道は通行止めの道路と平行に走っているはずだが、ちょっと先でスライスしているようだ。左手に見えている山から離れると不安なので、次の角で左に折れる。

すると、ちょうど先ほどの工事中の道路のあたりに、先ほどとは逆向きに通行止めがされていてガードマンがいたので、たまたま通行止め解除のあたりで左折したようである。ここで正規の道に復帰する。そこからすぐに太い通りを横断し、案内にしたがって古い住宅街に入る。

蔵のような建物や由緒ありそうな神社の脇を抜ける。そういえば、前にここも通ったなと思い出す。このあたり、真念「道指南」のいうひろおか村なのではないかと思う。倉庫のような建物のところに、「お遍路さん休んで行ってください」とベンチが置いてある。トイレはないものの、自動販売機も置いてある。種間寺からちょうど1時間歩いたので、ありがたく休ませていただく。

10分ほど休んで出発。すぐそばが堤防で、その先には仁淀川大橋が架かっている。江戸時代は船で向こう岸に渡ったという。前回はここから高知市内に引き返したので、仁淀川大橋からは初見の道となる。ここは国道56号。55号は徳島から高知だったが、高知から松山までは56号となる。

大きな橋である。しばらくは河川敷の上を通っているが、やがて川幅のある仁淀川の上を渡る。雄大な景色である。三方を山に囲まれた上流のような景色であるが、流れはゆるやかである。すぐ先が海なので、もう河口が近いのだ。橋を渡りきるまで10分近くかかった。

 


種間寺から西の県道は道路工事中のため、並行する農道に誘導される。すぐ脇を農業用の水路が流れる。


仁淀川沿い弘岡のあたりは、かつて栄えた名残りが残っている。民家の庭先にベンチがあり、「お遍路さんお休みください」と書いてあるところもある。


仁淀川を渡って土佐市内に入る。前回はここまでで、これから先は未知のルートとなる。

 

仁淀川大橋を渡ると、土佐市内である。遍路地図を見ていた時には地方都市のような風情を予想していたのだが、片側2車線の道路の両側に大きなロードサイド店が続く風景は、首都圏の郊外と変わらない。

ショッピングセンターの中に、ドラッグストアの看板が見えたのでそちらに向かう。というのは、痛み止めや睡眠導入剤を忘れたので代わりに風邪薬を飲んでいたところ、予備がなくなってしまったからである。それと、あせもの範囲が広くて、用意したワセリンもなくなってしまった。併せて、あせもによさそうなベビーパウダーを買うためである。

郊外店にありがちなことだが、すぐ近くに見える建物が意外に遠くて、ドラッグストアまで15分かかってしまった。薬のついでにアイスも買って、再び、国道56号に戻る。山の方向をみると中腹まで道が続いていて、その上に大きな建物が見える。あれが清滝寺だろうか。種間寺から清滝寺まで9.6km、すでに仁淀川大橋まで4.5km歩いているからあと5km、それにしては遠く感じる。

ドラッグストアを出たのが1時10分過ぎ。遍路地図によると街中にへんろ道があるようなのだが、道案内もないので無難に国道56号を進む。コンビニやファミレス、マクドナルドの看板も見えるので、お昼を食べたり休んだりするところには不自由しない。この日は、種間寺とさっきのドラッグストアでアイスを食べてお腹は落ち着いているので、このまま進む。

遍路地図には、国道56号線沿いに天神へんろ小屋があると書かれているのだが、清滝寺へのハイキングコースを示す標識にしたがって進むと、この小屋にはぶつからない。代わりにあるのは、国道から折れてすぐの駐車場にある「笹岡ハイヤー休憩所」である。

こちらの休憩所は、タクシー会社の事務所に併設されている施設であり、水、ベンチ、トイレと、歩き遍路の求めるすべてが整っている(自販機もある)。また、清滝寺の行き帰りに荷物も預かってくれるそうだ。私はこの日デイパックだったが、私がひと息ついている時に清滝寺から帰ってきたお遍路さんが、預けていた荷物を背に次の札所に向かって行った。

笹岡ハイヤーまで来ると、いよいよ清滝寺が目の前になる。とはいってもそこまで2kmの登り坂なのだが、目的地が見えるだけにがんばって歩くしかない。ここからは道案内が頻繁にあるので、それにしたがって高速道路の下から水田の脇、農家の間の道を過ぎて行く。

清滝寺の登り口から、とたんに道が狭くなる。ここを車で上がって行くのだろうかと思うくらいであるが、登る車も下りる車もここを通る。幅が狭すぎるので、車が来るといちいちよけなければならない。しばらく登りがあって、やがて左手に登山道が分かれる。車道を歩くと迷惑だろうと思い、ここからは登山道を歩くことにする。

この登山道、驚いたのは道の端に結構な量の水が流れていることである。特に水路が掘ってある訳ではないのだが、どこから流れてくるのか、簡易舗装の上を小川のように水が勢いよく流れている。さすがに清滝という名前がつくだけのことはある。

笹岡ハイヤーから30分ちょっと、登山口からは10分ほどで清滝寺に到着。山門は登山道の方にあって、車で来るとちょっと歩かないと見ることができない。

 


土佐市内には遍路小屋がいくつかあるということだが、国道56号線に沿って行くと、笹岡ハイヤーくらいしか見つからない。もっとも、コンビニやファミレスがたくさんある。


国道沿いを歩いている頃から、山の中腹に建物があることは気づいていた。近づくにつれて、あれが清滝寺と分かってその高さにちょっとびびる。


車道の幅が狭いので、仕方なく登山道を進む。その脇を水が流れていくのは、なるほど清滝の名前にふさわしい。

 

医王山清滝寺(いおうざん・きよたきじ)。山号の医王とは薬師如来のことで、ご本尊からとられている(二十三番薬王寺も医王山であった)。では、「清滝」の寺名はどこからきたのかというと、寺伝では、空海が錫杖で地面を突くと清らかな水が噴き出したことが由来という。

実際に、いまでも登山道の脇を水が流れており、どうやら山中のいろいろなところから湧水があるようだ。ご詠歌にも「すむ水を汲めば心のきよたきじ」と詠われており、本堂の奥にも小さいながら滝があるくらいだから、昔から豊富な湧水があったものと思われる。

空海が杖でついたから水が出た訳ではないだろうが、それはそれとして、個人的には一つ別の考えを持っている。それは、次の三十六番青龍寺との関係である。「青龍寺」にさんずいを付けると、まさに清滝寺になるのだ。

よく知られているように青龍寺は唐の長安で、空海が実際に修行した寺である。それが深く印象に残っていた空海が、「青龍寺の日本版」として、まさに湧水の豊富なこの地に造ったのが清滝寺ではなかっただろうか。ご本尊が薬師如来というのも、空海の時代にふさわしい(青龍寺のご本尊は不動明王)。

その後、中国本土で仏教が力を失う一方でわが国は仏教全盛となったことから、まさに同じ名前の青龍寺が後から造られたのではないか。つまり、設立の順序は、清滝寺→青龍寺ではなかったかと考えている。

清滝寺と青龍寺の造られた年代の手がかりとなるのは、高岳(たかおか)親王との関係である。清滝寺の麓の街を高岡町というが、これは平城天皇の皇子である高岳親王にちなんで名づけられたもので、霊場記にもそのことが書かれている。この高岳親王の供養塔や関連する説話が、清滝寺には残されている。親王は空海と同時代である。

高岳親王は皇太子であったのだが薬子の変に連座して廃され、平城天皇の系統そのものが皇位から遠ざけられた。臣籍降下した在原業平は甥にあたる。その後仏門に入り、真如法親王と称した。真如法親王は空海の弟子となり、のちに空海の十大弟子の一人とされるようになった。高野山の宿坊のひとつに親王院があるが、ここを開いたのが真如法親王である。

真如法親王は60歳を越えてから唐に渡るが、時あたかも会昌の廃仏の時代で唐では仏教は認められておらず(当時、入唐求法巡礼行記の円仁は危ういところを帰国した)、さらにインドに向かおうとして消息不明となった。これは伝説ではなく、史書で確認される史実である。

つまり、清滝寺が高岳親王ゆかりの寺ならば空海と同時代だし、青龍寺が空海の修業した寺にちなんで名づけられたとすれば空海より後の時代ということになる。そうなると、清滝寺は青龍寺よりも起源が古いと考えられるのである。

いずれにしても、清滝寺は空海の時代から開かれたたいへん由緒ある寺なのであるが、山の中腹にあるという立地上の制約があり、境内はそれほど広くない。本堂・大師堂のすぐ下が駐車場であり、庫裏(納経所)には駐車場を通って行かなければならない。私の時はたまたま大きなトラックが止まっていて、納経所への道がなかなか分からなかった。

納経を終えたのが午後2時半過ぎ。これから13km先の青龍寺まで行くのは時間的に間に合わない。青龍寺に向かう宇佐への道は、仁淀川大橋を渡ってすぐ左に曲がる。だからそこまでは打戻りということになる。

時間に余裕があるので、下りの田舎道をのんびりと歩く。途中でファミマに寄って、おやつ兼栄養補給にクーリッシュを買う。昼を食べていないので多めに食べてもよかろうと思い、バニラ味とみかん味の2つ買った。一つ食べ終わっても、もう一つは凍ったままだった。

午後4時前に仁淀川大橋まで戻り、中島バス停で待っていたところ、5分も待たずにバスが来た。たいへんスケジュールに余裕のある1日だった。この日の歩数は39,860歩、距離は22.3kmと、フルに歩いた2日目以降では最も少ない距離であった。

[ 行 程 ] 種間寺 11:15 →[3.1km]11:55 新川休憩所 12:05 →[3.0km]12:55 ドラッグストア 13:10 →[2.2km]13:35 笹岡ハイヤー休憩所 13:45 →[2.2km]14:15 清瀧寺 14:40

 


清滝寺仁王門。登山道から来ないと、ここは通らない。


清滝寺本堂。時計は止まっているのか、全然違う時間です。


寺名の由来となった清滝。水不足の時でも枯れることはないとか。この滝の他にも、山中のいろいろな場所から水が出ています。

[Aug 2, 2017]