360 三十六番青龍寺 [Oct 20, 2016]


この図表はカシミール3Dにより作成しています。

2016年10月20日、今回の区切り打ち最終日である。飛行機は翌21日の昼便を取ってある。

出発前にはどこまで進めるか分からず、あまり細かい計画を立てると楽しくないということもあって、歩き始めてから天候や体調をみて決めようと思っていた。結果的に天気に恵まれ、体調もよかったので、最終日には想定した最も先の札所である三十七番青龍寺に直接向かうことができた。

前々日は大苦戦して、真っ暗になった中を歩きホテルに帰ったのが午後8時過ぎであった。そして前日は清滝寺にお参りした後、午後5時前に帰りのバスに乗ってはりまや橋に向かうことができた。えらい違いである。この日はまだ開いていた大丸の地下に行き、お弁当とお惣菜を買った。そのあとファミマでエビスビールと入浴剤を買って、ゆっくりお風呂に入った。

結局、この遠征では最初から最後までそうだったのだが、夕方宿に着いて、お風呂に入って洗濯を済ませ、夕飯を食べるとあと残っている体力はなかった。高知市内では、せっかく市の中心に泊るのだから1日くらい外食しようと思っていたのだけれど、そんな余裕は残っていなかった。1日約30kmを毎日歩くというのは、気力も体力も消耗するものである。

そして、高知2日目の夜のもう一つの仕事として、荷物を自宅に送り返すという作業があった。今回のお遍路にあたっての荷物は、もちろん着替えが大半なのだが、45リットルのリュックに詰めて持ってきた。とはいえ、それで全部という訳ではなくて、バッグに入れた予備の荷物を自宅から土佐ロイヤルホテル、土佐ロイヤルから高知リッチモンドホテルと送っていたのである。

あと残す日程は2日なので、最後の2日間に使う着替えと荷物だけを残して、あとの荷物は自宅に送り返した。長袖のトレーナーとかジャージの下は、寒くなるといけないと思って持ってきたが結局毎日暑かったので、ほとんど使わないまま送り返すことになってしまった。このあたり、次回以降の教訓である。

朝食ハーフバイキングは、前の日はかつおヅケ丼だったが、この日はトースト。目玉焼きは両面きっちり焼いてもらう。

この日の朝、ちょっと気がかりなことがあった。というのは、前日に長浜郵便局でお金を下ろしたのだけれど、早くも残り少なくなってしまったのである。最大の要因は雪蹊寺で産地直売の山北みかん5,000円を買ったためなのだが、夕飯代や宅配便代、仁淀川大橋からの帰りのバス代などがかかって、あっという間に残り1万円を切って千円札が数枚になってしまった。

これからかかる費用を計算してみると、仁淀川大橋へのバス代、巡航船の運賃、須崎からのJR、空港へのバス代、羽田からの電車代など交通費だけで数千円かかる。その他に食事や飲み物などこまごまとした費用を含めると、手持ちだけでは何かあった時(神峯寺のようにタクシーを使わざるを得ない場合など)に厳しいことになりそうだった。


清滝寺から山を下りて、仁淀川大橋近くの中島バス停まで戻る。ここで宇佐行きと高岡行きのバスが分かれるので、翌日どちらのバスでも来られるからだ。


この日の夕飯は大丸のデパ地下弁当。せっかく高知市街まで来たのに、余力がなくて毎日デパ地下やコンビニご飯でした。


前日に寄ったドラッグストアの前で国道56号線と分かれて宇佐方面へ。宇佐といえば大分にもあるが、こちら高知にもある。後方の山の中腹に清滝寺がある。

 

バスを下りたのは8時45分、通勤時間帯であったため渋滞がひどくて、市内を抜けるのに時間がかかった。市街地のホテルは風呂も食事も一人でプライバシーが保たれるし、設備が整っているので何をするにも安心なのだが、移動に時間がかかるのがネックである。

今回の場合、往復で1時間半から2時間くらいロスしたようである。スケジュール的に須崎より先に行くのは厳しかったので結果的には同じだったけれど、高知市内に戻らなければもう少し楽に、時間に余裕をもって歩けたのではないかと思った。例えば、朝食バイキングをとらずに早立ちするとか、工夫が必要なのではないだろうか。これも、次回以降の検討材料となるだろう。

仁淀川大橋を渡って、中島バス停で下りる。このバス停、高岡方面行と宇佐方面行ではバス停が違うようなので注意する必要がある。前日の高岡方面行きは国道沿いにあるのに、宇佐方面行きは側道に入ったところにバス停があるのだ。

下りてから国道56号に戻り、前日に寄ったドラッグストアの前の角を左折する。ここから宇佐までは約6kmの一本道、真念「道指南」でいうところの「つかち村 宇佐坂 うさ村」である。

はじめは道の左右の山はかなり後方にあり、川沿いの土地はかなり広くビニールハウスなども見えたのだけれど、それが少しずつ狭くなる。山が迫ってくるからである。露地の畑に植わっているのは生姜だろうか。かなり大規模に作られている。看板があって「宇佐ショッピングセンター 次の信号右」と書いてある。宇佐だから、トンネルをくぐって5km近く先のはずである。そこまで信号がないのかなと思った。

歩き始めて4、50分、県道脇に塚地休憩所が見えてきた。ここまで、山は迫って来たもののそれほどきつい登りはない。道路の右側が休憩所になっていて、かなり広い。トイレも東屋も自販機もある。

水が流れて水車が回っていて、その傍らに苔むしたアンパンマンの人形がある。やなせたかし氏の出身地は高知なので、高知駅の発車の際には「アンパンマンのテーマ」が流れる。アンパンマンやトトロは私が子育てした頃の作品だが、次世代に残りそうなのは何よりである。

そのアンパンマンの水車を流している水に、「大師の泉」と石柱が立っている。おそらくこれから行く塚地峠から流れているのだが、残念ながら保健所の指導により飲用不適であると注意書きがある。それほど標高の高いところを流れている水ではないので、仕方のないことかもしれない。

高岡と宇佐は現在どちらも土佐市だが、かつては別の村であった。そして、2つの村を隔てていたのは真念「道指南」でうさ坂と呼ばれた塚地峠で、久しぶりの本格的な山道である。休憩所の奥から登山道が始まっていて、「四国のみち」の標識も立てられている。

歩き始めると、たいへんよく整備されている道である。トンネルができる前までは、生活道路として人や物資が運ばれていたと説明板に書かれている。このあたり、海も近いが山も近く、海沿いを歩いていると思ったらすぐに山道になる。この日の午後の浦ノ内湾もそんな感じだった。

塚地休憩所を9時40分頃に出発して、塚地峠に10時ちょうどくらいに着いた。それほどきつい傾斜でもなく擬木で階段状になっていたので、特に休むほどのことはなかった。標高差は150mほどあるのでそれほど楽ではないはずなのだが、まだ朝の内だし前の日それほど疲れなかったので、元気だったのだろう。

塚地峠には、休憩所から登ってきた方向、宇佐に向かう方向とさらにまっすぐ遊歩道が続く3方向に大きな行先表示がある。そしてその他に、手作りの小さな表示があって「歩いて1分、展望台」と書いてある。見た感じ1分では着きそうになく実際3分ほどかかったのだが、竹を切って作ったベンチの置いてある展望地に出た。

この展望地からは、眼下に大きく宇佐湾が広がり、遠くにこれから渡る宇佐大橋が見える。もっとも、普通に峠から下る途中にも同じ角度から宇佐湾が見える場所があるので、そちらで見てもいいかもしれない。


宇佐は彼方の山を越えた向こうにある。次の信号がショッピングセンターという看板があったが、トンネルの先まで5km以上信号はない。


塚地峠休憩所。ここで国道と遍路道が分かれる。トイレ・自販機あり。ただし湧水は保健所の指導により飲めない。

休憩所の裏手から峠道に入る。ここはトンネルができるまで、高岡と宇佐を結ぶ生活道路だったそうだ。よく整備されている。

 

10分ほどで下りに移る。この日はひとつだけ時間的な制約があって、浦ノ内湾の巡航船が13時47分発なのである。これに乗れないと宇佐から高知に引き返すことになり、次回の区切り打ちは宇佐からスタートということになる。宇佐も須崎も高知からかかる時間は変わらないから、ちょっともったいない。

巡航船に乗るためには、逆算すると12時半くらいには青龍寺を出なくてはならない。あと2時間あるので余裕があるように思えるけれども、さきほど塚地峠から見た宇佐大橋が結構遠かったのでちょっとあせった。

そして、この下りはなかなか難路なのであった。スイッチバックでくねくね曲がって下る道なのでスピードが出ない。その上「まむし注意」の看板が頻繁に出てきて気になる。すぐ横が沢なので、いかにもまむしが現われそうな雰囲気である。早く舗装道路になってくれと祈りながら歩く。こんなことなら、最初からトンネルを通ればよかったのだ。

ようやく舗装道路が現われて、道も平らになる。さて、このあたりから宇佐の市街地で家もたくさんあるのだが、青龍寺にはどう行ったらいいのか道案内がない。まあ、方向としては海に出ればいいので間違いようがないのだけれど、あまり遠回りすると時間が押してしまう。なるべく太い通りを通って、ファミリーマートの前あたりで海岸に出た。

この時点で11時、あと1時間半。それほど時間に余裕はなくなってしまった。ファミマでこのお遍路の定番となったクーリッシュを買って、お昼代わりに食べながら宇佐大橋へ向かう。この橋ができたのは昭和48年ということだから、1973年。私が高校生の時である。それまでは渡し船が交通手段だったそうで、江戸時代から昭和までのお遍路はそうやって回っていた訳である。

その後、有料道路として供用されて、償還が終わったので一般道路となった。もともと有料道路はすべて償還が終わったら無料とする建前で作られているので、首都高や東名道がいつまでも有料というのは本来はおかしい。それで外環や第二東名を作って、まだ償還が終わらないということにしているという説もある。

さて、この宇佐大橋。渡ってみると、かなり海面から高いところを通っている。青龍寺へはここを通るしかないのだが、歩道は車道より一段高くなっている。欄干が腰の下あたりまでしかないので、揺れてふらついたら下に落ちそうで結構怖い。その歩道を、地元の人は自転車に乗って平気で走っている。よく怖くないものだと感心する。私だったら、絶対に車道を走るだろう。

橋を渡りきった右手に駐車場とトイレがあり井の尻休憩所と書いてある。真念「道指南」に書かれた「いのしり村」である。江戸時代はここから横浪まで船が出たそうだが、いまは対岸の埋立から巡航船が出る。

「道指南」には、井の尻で荷物を預けて青龍寺に行くようにと書いてあるが、それはここから山道を行ったからで、距離的にはそちらが近道のようだ。いまは海岸沿いを通る道路があるので、そちらを通る人が多く、この日も海岸沿いの道で歩き遍路の人4、5人とすれ違った。その中には、前日清滝寺で見かけた外人さんもいた。

井の尻から15分ほど歩くと、岬の突端のようなところに、トイレや水道、自販機のある大きな駐車場があった。夏場には海水浴客が来るのかもしれない。塚地休憩所以来、久々にトイレのある休憩所である。

この休憩所のある岬を過ぎると、すぐに三陽荘が見えてくる。歩き遍路にも使われることの多い、大きな旅館である。三陽荘の先で、右折してへんろ道の案内があり、そこから4、500mは集落の中を歩く。蟹ヶ池の説明看板を過ぎ、造りかけてやめた公園の遊歩道のような原っぱを通り過ぎると青龍寺。正午前の到着、結構ぎりぎりになってしまった。


塚地峠の峠道は整備されていてたいへん歩きやすい。ただし、まむし注意。


塚地峠から3分ほど登ると、地元有志の方の手作り休憩所がある。宇佐湾が望めるすばらしい景色である。小さく見える宇佐大橋、渡るとかなり海面から高い。


峠道を越えてから国道まで結構歩く。道案内はあまりないが、海に向かって行けばいいので、迷うことはない。

 

独鈷山青龍寺(どっこさん・しょうりゅうじ)。清滝寺のところで書いたように、青龍寺は唐の長安で、空海が実際に修行した寺である。

山号の独鈷山は青龍寺のある山の名前で、真言宗の仏具である独鈷杵(どっこしょ)からきている。空海が日本における聖地を占うべく自らの独鈷杵を空に投げたところ、青龍寺の建つこの地に舞い降りたという伝説がある。

そして、これは空海とは関係ないが、青龍寺のすぐそばに明徳義塾の国際キャンパスがある。歩いている時は地元の中学校かなと思っていたら、明徳高校だったようだ。ドルゴルスレン・ダグワドルジが朝青龍明徳と名乗ったのは、青龍寺と明徳義塾に由来している(朝青龍は明徳を中退しているが)。

歩いていた時は、左手の山の上にあるのが明徳義塾かと思っていたのだが、後から調べるとそれは国民宿舎土佐で、明徳義塾は三陽荘と青龍寺の間にある。遍路地図だと縮尺や高低差が分かりづらいので、よく地図と現地を見比べないと分からないことがある。加えて、地図が間違っていることもあるのでいまひとつ信用できない。

ご本尊は不動明王。寺では波切不動明王とお呼びしている。札所のご本尊はほとんどが如来と菩薩で、天部(四天王や帝釈天、吉祥天、弁財天など)や明王がご本尊となっているお寺は少ない。天部や明王は古い時代には如来・菩薩の脇侍として作られたので、単独でお祀りされるのはかなり時代が下ってからという印象がある。

清滝寺のところで書いたように、もともと唐の青龍寺の日本版として作られたのは清滝寺であって、青龍寺は中国本土で仏教が禁じられた会昌の廃仏後に造られたというのが私の仮説である。だから、ご本尊を比較しても、清滝寺の薬師如来の方が、青龍寺の不動明王よりも古い時代のものと考えられる。そして、青龍寺には空海の師匠である恵果阿闍梨の墓がある。

恵果は真言宗の寺のほとんどで絵姿や仏像が遺されている真言八祖の七番目の僧で、最後の八番目が弘法大師だから、中国本土における最後の継承者、空海の直接のお師匠さんということになる。とはいえ、恵果が唐の青龍寺で育てた弟子は数千人と言われ、空海はその中の一人にすぎない。

数多い弟子の一人ではあるが、遠く日本から来た修行僧ということで目をかけられたことは十分ありえることだし、会昌の廃仏により中国本土における法脈(師匠・弟子の系統)が途絶えたとすれば、結果的に空海が高弟になってしまったということになるだろう。墓は遺骨がなくても作れるから、日本に来たことのない恵果の墓が日本にあってもおかしくない。

青龍寺の山門までは、それほど登らなくても着く。独鈷山って山があるんじゃなかったのかなと思っていると、山門から先はかなり急な石段が本堂まで続いている。看板に偽りなしである。本堂で今回の区切り打ち最後となる読経。不動明王はご真言が長いので大変である。

さて、ご朱印をいただく時になって、お寺の人から「ご朱印帳が濡れていますよ。色が変わるといけないから、乾かした方がいいですよ」と言われた。見てみると、隅の方がぐっしょり濡れていて、墨がにじまなかったのが不思議なくらいである。

白衣のご朱印用に置いてあるドライヤーを当てて乾かしながら考えた。この遠征中、遍路バックに入れてあった遍路地図が水気を吸って破れてしまったので不思議だと思っていた。もしかすると、あまりに大量に発汗するものだから、遍路バックの中が結露しているのではないだろうか。

今回の区切り打ちではもうご朱印帳は使わないので、きちんと袋に入れて背中のデイパックに入れる。次回以降、歩きが長い場合、ご朱印帳の保管場所には注意しなくてはならないと思った(先の話になるが、この後のお遍路で大雨に遭遇し、リュックの中までびしょ濡れになってしまったもののご朱印帳には被害はなかった。経験はしてみるものである)


宇佐大橋を越え、湾に沿って歩くこと1時間。三陽荘の先を曲がり集落の中を進むと、やがて谷の奥に青龍寺が見えてきた。丘の上にあるのは国民宿舎土佐。


「独鈷山」の額が立つ山門。本堂まで、ここから山に向かってきつい傾斜の石段を登る。


青龍寺本堂。ご本尊は波切不動明王。ご真言は不動明王のものと変わらないが、非常に長くて唱えるのが大変である。

 

青龍寺を出発したのが12時20分。巡航船が1時47分で1時間半近くあるから大丈夫そうだが、3km以上離れていて場所がはっきりしないので、そんなにゆっくりしてはいられない。宇佐大橋までは来た道を引き返す。結構飛ばして、1時前に到着。ほっとして巡航船乗り場を探す。

巡行船の案内WEBをみると、宇佐大橋から巡航船乗り場までは海岸沿いの道を進む。高校の脇を通り、橋を一つ渡る。資材置き場に使っていたようなコンクリの小屋があり、お遍路さんの絵が描いてあるので休憩所なのだろう。中をのぞくとベンチが置いてあった。左にとさでんバスの車庫を見て、 曲がり角にさしかかるとそこが武市水産。この裏が巡航船乗り場のはずである。

さて、この武市水産。建物の前が広くなっていてそこで作業をしていたところからすると、土地は武市水産のものなのだろう。作業の邪魔をしないように通り過ぎると、コンクリの岸壁に巡航船が接岸されていて、その前が待合所になっている。待合所はあるのだが、トイレとか水道、自販機はない。船の中にもトイレはないようだったが、差し迫った人はどうするのだろう。

時間ちょうどに、船長さんがやってきて乗船。行先を聞かれて運賃を払う。操舵するのも客の相手も全部ひとりでやるワンマン船なので(待合所にも誰もいない)、大変忙しそうである。横浪まで、松ヶ崎、下中山、深浦、塩間、長崎、今川内、福良、須ノ浦と8つの乗船場があるのだが、沖合から見て誰も待っていないと岸に付けないでそのまま次に向かう。地元の人で慣れていないと、途中から乗るのはなかなか大変である。

このあたり、真念「道指南」に「いのしりへ戻り よこなみといふ処迄三里 舟にてもよし」と書かれている由緒正しい海路である。浦ノ内湾の別名が横浪三里というのだが、江戸時代から広くそう言われていたのだろう。ちょうど1時間の船旅である。

この日は塚地峠の峠越えをして、青龍寺まで早足で往復したので、船が動き出すと眠くなってしまった。せっかくの江戸時代からの景色を楽しもうと思っているのに、ちょうどいい揺れ具合で強烈に眠気が襲ってくるのである。少しうとうとすると、窓から奇妙なものが見えた。海の上に、家が建っているように見える。

何だろうと思って窓のところまで行ってみると、確かに海の上に家が建っていて、その横に7、8人乗りくらいの船が着けている。船があるということは海の上なのであり、ある程度の水深があるはずである。よく見ると木を組んだ筏(いかだ)の上に家が建っていて、船もそこに着けているのであった。

「ここは50年前の香港か」と思ったが、帰ってから調べてみると、これは筏釣りの基地で、釣り客をここに船で運んできて、筏の上から釣りをしようというものなのであった。だからこの家も、釣り客が食事したり雨宿りしたりするのに使うのだろう。見たことがなかったので、たいへん不思議に思ったものである。

珍しく思うのは私だけではないようで、ここは「釣りバカ日誌」でロケ地に使われたそうだ。「釣りバカ日誌」はあまり好きな作品ではないので、ビッグコミックオリジナルに載っていた時も読まなかったし、映画ももちろん見ていない。そういえば、「釣りキチ三平」も当時の少年マガジンは毎週読んでいたのに、抜かして読まなかった。

2時50分、横浪乗船場に到着。埋立同様、コンクリの簡単な岸壁であり、そこがそのまま堤防になっている。乗船場の内側はJAの建物で、どこにも乗船場の目印は見当たらない。船を待つ人はどこで待っていればいいんだろうとちょっと不思議に思った。


武市水産の庭先を通って、埋立の巡航船待合室へ。コンクリの簡単な乗船場だ。


浦ノ内湾には筏の上に建っている家が見えて、「ここは50年前の香港か」と思った。その名も筏釣りといって、ここで釣りをするらしい。


船の上から岸壁を見て、乗船客がいなければ船着場には付けずに先に進む。この便の乗客は私ひとりで、横浪までどこにも寄りませんでした。

横浪乗船場の周辺には事務所や商店があり、通りの奥に郵便局のマークが見えた。これからまだ交通費がかかるのでおカネを下ろそうとそちらに向かう。すると、ATMが1台しかない上に、前のお客さんが操作が分からず局員を呼んでなかなか終わらない。7、8分はかかったので、もしかするとこれが最後に響いたのかもしれない。

しばらくは浦ノ内湾に沿って歩く。海岸沿いにきれいなトイレがあったので使わせてもらう。その先には「お接待みかんの木」というのがあって、お遍路さんは食べていいのだそうだ(残念ながら残っていなかった)。浦ノ内湾が見えなくなってさらに進むと、湾の南側から来る道路と合流する。船を使わなければ、ここで今回の道と合流することになる。

このあたり、人家も少ないし休憩所もない。そして、道は徐々に登り坂となる。須崎との境である鳥坂トンネルへの登りである。トンネルの入口が工事中で狭くなっていたが、特に迂回の指示等なかったので先に進む。

今回の区切り打ちでは、最初に八坂八浜のトンネルがあり、最後にこの鳥坂トンネルまで、トンネルの多い道のりであった。このトンネルを越えて、下りに移る。これがまた、山と山とに囲まれた谷間の道で、登りはトンネルまで左右が開けていたのに随分と狭く感じる。下りだというのに、歩くのがおっくうである。区切り打ちも終わりに近づき、疲れが急に出てきたようである。

鳥坂トンネルから先、ずいぶん苦戦した。しかし後から確かめたところ、横浪からトンネル入口まで3.7kmを50分(郵便局でのロスタイム10分弱を含む)、トンネル出口から休憩所まで1.4km20分だから、まずまずのペースである。この区切り打ちの初日に宍喰のあたりで、平地にもかかわらず1km18分かかったことを思うと、そんなに時間がかかった訳ではなかった。

須崎のへんろ休憩所には午後4時ちょうどに着いた。ここのへんろ小屋には屋根があり水があり、奥に入るとトイレも使わせていただけるようだ。歩き遍路向けのパンフレットもいくつか置いてあって、その中には須崎市街の案内図もある。遍路地図では須崎市内の経路がよく分からないので(須崎に限らず肝心なところでよく分からない)、さっそく見せていただく。

すると、ここから目印となるコンビニまでまず1km、そこから住友大阪セメントの正門までさらに1km、目指すJR多ノ郷駅は、縮尺が正しければさらに1km以上はありそうだ。須崎を4時50分、3分後くらいに多ノ郷を出る列車に乗れれば6時過ぎにホテルに戻れると思っていたのだが、あと3km強であと50分では、ぎりぎりというよりは無理かもしれない。

そもそも、遍路地図には横浪から須崎市街の入り口まで6kmないし8kmと書いてあるものの、どこを通ればそうなるのかよく分からない。多めに8kmとみて、横浪から2時間あれば大丈夫と計画を立てたのだが、例によって遍路地図の距離表示がいい加減であった(実際に歩いたのは横浪から多ノ郷まで9kmである)。

とはいえ、あと3km強なら絶対無理というものでもない。5分休んで、4時5分にリスタートした。と思ったら、歩き始めてステッキがないのに気づき、休憩所まであわてて引き返して5分のロス。半分以上あきらめたのだが、ともかく早歩きで須崎に向かって行く。

後からGPSのデータをみると、このあたりは時速5~5.5kmと、私にしてはすごいハイペースで歩いているのである。それでも、住友大阪セメントの正門の前を4時40分、あと1kmを10分しかないのではとても無理だ。これも後からみてみると、へんろ休憩所から住友大阪セメントまで2kmではなくて2.6kmくらいあるのだ。

へんろ休憩所にあったパンフレットをもとに、ケーズデンキの前で折れて、マルナカの角を曲がる。そこに、すき家の看板があった。どうせ間に合わないなら、ここで夕飯にしてしまおうとすきやに入ってカレーをお願いする。カレーはちっとも辛くなかった。道中、うどんに味がなかったりアイスクリームしか食べたくなくなったり、この回の区切り打ちは味覚障害に悩まされた。

すき家から多ノ郷の駅までは、国道56号を渡り、跨線橋を越えて300mほどである。幸い、駅について10分後に次の列車が来た。次回の区切り打ちは、ここ多ノ郷からスタートということになる。最終日の歩数は44,437歩、歩いた距離は25.6kmだった。今回の区切り打ち9日間で歩いた距離は242.5km、1日平均では26.9kmであった。

[ 行 程 ]清滝寺 14:40 →
[4.9km]15:55 中島バス停[→ 高知リッチモンドホテル(泊)→] 8:45 →
[4.0km]9:35 塚地休憩所 9:40 →
[0.8km]10:00 塚地峠 10:10 →
[3.3km]11:00 宇佐町ファミマ 11:05 →
[3.5km]11:50 青龍寺 12:15 →
[4.4km]13:25 埋立巡航船乗り場 [13:47 浦ノ内湾巡航船 14:40 →]横浪巡航船乗り場 14:50 →
[5.4km]16:00 須崎へんろ休憩所 16:10 →
[3.6km]16:55 すき家 17:15 →
[0.3km]17:20 JR多ノ郷駅 [ → JR高知 → リッチモンドホテル(泊) ]

[Sep 8, 2017]


横浪の家並み。巡航船の案内がどこにもなかったので、地元の人以外は場所が分からないだろう。郵便局は通りから入ったところにあり、キャッシュカードが使える。


須崎に入る県道は舗装道路だがかなり起伏がある。1時間と少し歩いて、須崎のへんろ休憩所へ。須崎市内の道案内などが置かれていてありがたい。


へんろ休憩所から2.6kmで住友大阪セメント正門前は4時35分。4時50分須崎発の列車はあきらめ、すき家でカレーを食べて高知に戻る。今回の区切り打ちはここまで。