106 苦闘の第7次四国札所歩き遍路 ~せいうち日記106 [Oct 30, 2017]

ギリヤーク尼ヶ崎師匠の新宿公園を観戦した後、7回目となる四国札所歩き遍路に挑戦した。今回の区切り打ちは当初は13泊の予定だったのだけれど、これまでとは全く違って本当に苦しいお遍路歩きとなったのでした。

スタートは前回歩いた土佐清水まで飛行機・電車・バスを乗り継いで行って、そこから歩く。とにかく暑い。10月半ばだというのに30度を超える暑さで、じりじりと照りつける日差しは半端でない。暑いのには慣れているはずの宿の人からも「暑いですね。夏みたいですね」と挨拶されるくらいである。日焼け止めを塗っているにもかかわらず顔は真っ赤、鼻には火ぶくれさえできた。

そんな暑さが2~3日続いた後は、1週間以上ずっと雨である。はじめの1日2日は「暑いより少々の雨の方がいいや」と思っていたのだけれど、来る日も来る日も雨。降らない時間帯もあるにはあったのだが、降水確率10%の予報でもしっかり本降りとなる引きの強さで、結局最終日までずっと雨降りが続いたのである。

そして極めつけは、季節外れの大型台風の襲来である。当初の予報では帰ってから日本に近づくはずだったのに、どんどん早くなった。まさに帰りの便を予約してある日が危ない気配である。台風接近に伴い数日前から梅雨前線が刺激されて大雨、ときおり突風が吹く中のお遍路で、最後は飛行機が飛ぶかどうか分からない、ということで予定を1日繰り上げて帰って来たのでした。

そういう次第で、今回の区切り打ちは天候に試練を与えられた2週間だったが、奥さんには「台風が接近してすごいことになってる日に、すんなり戻って来られるというのは運がいい」と言われてしまった。確かに、その日の羽田便は、ANAの午前中の便が欠航ということで朝一番から満席であり、空港はかなり混雑していた。

そういう状況でなぜ帰りのエアを押さえられたかというと、かなりのラッキーがあった。第一に、台風の状況が怪しくなった2、3日前に久万高原から松山市に入る山の中にいたのであるが、幸い遍路宿にwifiがあってネットが通じていた。だから情報収集も適確にできたし、飛行機のネット予約も可能だったのである。

そして、私がJALのサイトを照会したまさにその時、22日のエアはほとんど満席だったのに、朝一のclass Jに1席だけ空席があったのである。その時点では新幹線とか夜行バスの選択肢もあったのだが、こういう時は躊躇しない方がいい。普通料金じゃ高いとは言っているヒマはない。とっさにクリックして便を押さえ、無事帰りのエアを確保したのであった。

結果的には、もし陸路を選択していた場合、東海道山陽新幹線は台風で遅延して夜中どころか朝まで運転していたから、大変なことになっているところだった。奥さんとも激しく同意したのだけれど、こういう場合おカネがどうこうではなく、早く確実に戻ってくることが大切である。時間もムダになるし余計なストレスがかかる。心身の疲労だって比較にならない。

もうひとつ幸運だったのは、今回は毎日持って歩く10kgのリュックの他に予備の荷物があって、それを4~5泊置いて次の宿に送っていたのだが、松山だけは同じ宿に2泊する予定にしていて、その荷物もちゃんと回収できたことである。申し訳ないことに2泊予定を1泊キャンセルすることになってしまったが、台風のせいなので勘弁してもらおう。

そしてその宿というのが松山市では街中からはやや遠い場所にあるのだが、そこを2泊押さえた理由というのが、なぜか市街中心地のホテルが2ヵ月前からみんな一杯で、予約できなかったからなのである。なぜそんなに混んでいるのか分からなかったが、松山に来てみたらなんと国体の開催中だったのであった。全く知らなかった。

そういう次第で22日の午前中には家に戻ってくることができて、何よりのことであった。今回は選挙に行けないと思っていたのに(公示前に出発したので期日前投票もできない)、きちんと投票できたのもうれしいことだし、ホテルでも見られただろうけどボクシングも開票速報も家で落ち着いて観戦できた。幸い、足の爪の具合が悪いくらいで体調は良好である。

歩いている間は毎日雨で、正直なところ気が滅入ってしまうこともあったのだが、無事に帰って来られればすべてよしとしなければならない。予定していた場所よりも数十km前で止まってしまったけれど、リカバリーはどうにでもなる。ちなみに、土佐清水から松山まで、11日間で歩いた歩数は513,177歩、GPSで測った移動距離は287.7kmでした。

[Oct 30, 2017]


今回の白眉ともいえる岩屋寺の古い行場。岩の頂上に白山大権現が祀られていて、梯子でそこまで登る。鎌倉時代に描かれた「一遍上人絵伝」と同じ場所である。