370 三十七番岩本寺 [Mar 30, 2017]


この図表はカシミール3Dにより作成しています。

第六次お遍路2日目の朝になった。移動翌日の朝は、これから一日中歩きになるため、若干の緊張感がある。そして、この日の行程は岩本寺までで、大坂遍路道が工事中で通れないという情報もあったのでそれも気になっていた。

そもそも真念「道指南」による久礼から床鍋までのルートは「そえみみず坂」である。久礼から少し戻り、北を流れている長沢川を遡る。ただ、現在ではあまり使われないルートで、道がやや荒れているとの情報もある。大坂遍路道は一本南を流れる大坂川を遡るルートで、山の中を歩く距離が最短で済む。ただし、森林組合の作業をしているため通行できないという情報もあった。

その場合は途中で国道に迂回しなければならないが、見たところ特に注意書きもないので谷川に沿ってゆるやかに登って行く。道は舗装道路だし人家はほとんど見当たらないのに、三相三線の電線(この区切り打ちの時期ちょうど職業訓練中で、そのあたりを習っていたのだ)が2組頭上の電柱に続いているので、この先それなりの施設があるのだろうと思って進む。

土佐久礼から30分歩くと、集落が現われた。コミュニティバスの時刻表も貼ってある。こちらの集落を奥大坂というのだが、へんろ道を歩いているとこうした集落を通ることがよくある。学校はどうしたのだろうとか、買い物はどうするのだろう、自分だったらどう生活するだろうと考える。

おそらく実際に住んでいる人達はさほどの不便もないのだろうし(それこそネット通販を使えば都会と同じである)、かえってごみごみした都会の生活など送りたくはないだろうが、毎日をここで暮らすとなるといろいろな意味でのタフさが必要となるのではないだろうか。例えば私なら虫がダメである。

しばらく進むと、集落の真ん中に空高く橋脚が立ち上がり、その上を高速道路が通っている。近くまで行くと橋脚に、「この橋は四国で一番高い橋です」と書いてある。ビル10階分では足りないくらいの高さで、よくあんな空中に作ったものである。その高速道路とは別に、山の中腹を迂回しつつ国道が左上にずっと登り勾配で続いている。

最後の民家のあたり、前日「ゲストハウス恵」で隣の部屋に泊まった若者に抜かれた。「どこまで登るんでしょうか」「向こうに見える橋のあたりですかね」などと話をする。彼方に見える橋までさらに標高差200mほどありそうに見えたので、あそこまでは登らないだろうと思ったのだが、実際そこまで登ることになった。ここまではたいして登っていなかったのである。

さて、最後の民家を過ぎても三相三線2組の電線は続いていたのだが、高速道路橋の方向に分かれて行き、電柱も何もない登山道になった。心配していた登山道の補修は終わったようで、通行止めの注意書きもないし迂回の指示もない。しばらく前から砂利道だ。最後の民家から15分ほど歩いたところの川沿いに休憩小屋が現われた。

中を覗くと、リサイクルの応接椅子やテーブルが置いてあって、建設会社や地元有志の協力で作られたことが書かれている。小屋の向こう側にトイレもあった。ありがたく休ませていただく。

小屋の中には人生訓がワープロ打ちで掲示されている。「年をとったら出しゃばらず」「知ってる事でも知らんふり」「勝ったらあかん負けなはれ」「お金の欲は捨てなはれ。いくら銭金あったとて死んだら持っていけません」「山ほど徳を積みなはれ」おそらく土地のお年寄りが書いたのだろうけれど、勉強になる。勝ったらあかん、のか。ワープロ打ちというのがまたいい。

小屋のすぐ先から、いよいよ本格的な登山道が始まる。傾斜も格段にきつくなり、ここまで軽とか4WDならなんとか通れる道だったのが、馬でも無理な細い道である。それでも、最近の工事で整備したようで、真新しいピンクテープが道端に等間隔で続いている。スイッチバックの急坂が4つ5つと続き、しばらく川に沿って登ると、再び急坂になる。

登山道入口には「七子峠まで1.0km」と案内があるので標高差を考えても1時間はかからないと思っていたが、40分ほど歩くと予想通り最後の階段が現われて、峠まで登り詰めることができた。七子峠到着は8時55分。宿を出発して2時間半ほどで、久礼八幡宮や休憩小屋に寄ったことを勘案すれば、正味2時間ほどで到着した。


奥大坂から七子峠に向かう。山の中に見えているのは高速道。四国で一番高い橋とのことです。


峠道の奥まったところに遍路休憩所。小屋の奥にトイレもある。


いよいよ急勾配の峠道に向かう。最近まで整備が行われていたため、ピンクテープも真新しい。

七子峠まで登ってしまえば、あと岩本寺までの道にはそれほどの起伏はない。関東に住んでいると、峠の先には登ると同じくらいの下りがあるはずと思うのだが、七子峠は峠まできつい登りなのに、その先は平坦なのである。室戸の金剛頂寺もそうだったが、四国特有の地形ではないかと思う。

峠まで登山道そのものの険しい道が数十分続いたのに、峠から先は水田の続く平坦な道というのは、すごく違和感がある。JRの線路もこの間トンネル続きで標高を上げるのだが、歩くと余計に不思議に感じる。峠からは国道と合流し、休憩所・展望台がある。展望台からは、いま登ってきた谷間の道を久礼の街まで見下ろすことができる。

ここでしばらくゆっくりしたかったのだが、変なじいさんが近づいて来て話しかけてきた。世間一般では「和顔施」といって遍路はあいそよくするものだそうで、普通に対応するしていると、甘く見られたのかずっと話しかけてきて煩わしい。仕方がないのでリュックを背に早々に出発する(どうやら、この先で接待しているので来いということのようだった)。

改めて今回の荷物はというと、10kgのリュックを最初から最後まで背負い続けての歩きである。前回のようにリュックをホテルに預けて身軽にという訳にはいかないので、なかなかハードなのであった。中でもこの大坂峠越えは難所とされているので、クリアしてほっとしたことは確かである。もちろん、ここから先さらにつらい道のりが待っていたのであるが。

さて、七子峠から五社まではほぼ国道沿いの一本道である。12km先の道の駅「あぐり窪川」で岩本寺への道と分かれて四万十川に出る。とりあえず目指すのは道の駅である。国道は時折トラックが通るのでへんろ道の表示のある田舎道に入ったのだけれど、家並みの間を曲がりくねっていてかなり距離をロスするような気がして、早々に国道に戻った。

国道に戻って間もなく、「甦る仁井田米の里」の石碑が建っている。平成十八年建立と比較的新しいもので、1997~2004年に区画整理した結果、全国コンクールで優勝するくらいおいしい米ができるようになったという内容が記されている。四国の米というとそれほど味はよくないという印象があるが、よく考えるとこのあたりは四万十川の上流であり、水は間違いなくおいしい。であれば、米もおいしいはずである。

平坦な道はゆるやかなカーブを描きながら続く。山並みは意外と近くまできているが、川に沿っているので大きな起伏はない。大きな荷物を持つ身には、ありがたいことである。国道の表示板に「気温16℃」と出ている。前回(2016年秋の牟岐~須崎)とは打って変わって涼しい気候で、これもありがたい。

七子峠から約1時間、JR駅のある影野近くの休憩小屋「雪椿」でひと休み。トイレはないが、東屋があって木のテーブルと椅子が置かれている。テーブルの上には、この先にお接待の休憩所があって、トイレも飲み物もありますなんてことが書かれている。もしかすると、峠のじいさんが言っていたのはここのことかもしれない。

「雪椿」休憩所からも、時折左右に山が迫る間を、ほぼ平坦な道が続く。JRの駅でいうと影野から六反地、仁井田と進み、窪川の手前に道の駅「あぐり窪川」がある。遍路地図でみると7kmほどあるのだが、「雪椿」から約1時間半、意外に早く11時半に「あぐり窪川」に到着した。

さて、大善寺のところで書いたように、今回の区切り打ちはしっかり昼食をとる方針である。「あぐり窪川」はかなり規模が大きくてレストランも広かったが、それでもテーブルはほぼ満席であった。1人だったので合席用の大きなテーブルに案内されて、とんかつ定食をオーダーする。同じテーブルにほぼ同年輩のお遍路姿の人がいて、今日は岩本寺ですかなどと話をした。

食事の後はアイスクリーム屋さんに行き、ベンチに座って食べる。このあたりにこういう施設が少ないのか、ひっきりなしに車が入ってくる。観光客というよりも、地元の人とか工事関係者のように見える。道の駅には結局1時間ほどいた。あとは五社に行って岩本寺だけであり、あまり早く着いても宿坊に入れてもらえないかもしれないから少しゆっくりしたのだ。


七子峠を登りつめると、その先は広々とした平地。四国でよく見る地形だが、登ったのに下りがないのは何だか違和感がある。


七子峠から1時間、影野にある雪椿休憩所。東屋・ベンチのみ。


道の駅あぐり窪川。売店・レストランはじめ、施設が充実している。五社方面へのハイキングコース案内あり。

仁井田五社は江戸時代の札所である。岩本寺からは四万十川を渡った山側にあり、霊場記の絵図を見ると五つの嶺がご神体だったようで、それぞれに鳥居がある。

この仁井田五社、もともとは古墳だったともいわれ、 社伝によると伊予の豪族・越智玉澄の創建という。越智氏は後に河野水軍となる一族であるが、例の「遍路の元祖」右衛門三郎も河野氏ゆかりとされるように、四国遍路との関わりが深い。五十五番札所三嶋宮(南光坊)も河野氏の氏神である。

遍路地図だけでは心許ないので、道の駅入口近くにあるハイキングコースマップを見る。五社にお参りするにはここから国道を離れて南西に向かうようだ(例によって遍路地図は、このあたり北が上でないのでたいへん分かりにくい)。時間的には1時間かからずに着けるようなので、あまり急がなくてもよさそうだ。12時半、道の駅を出発する。

しばらく平和な田舎道が続く。ところが5分ほど歩くと道は登り坂となり、林の中に入って行く。左側は川に向かって斜面となっており「ゴミ捨て禁止」の立札が何回か現れる。こうした立札は人通りのない道によく立てられているので、ちょっと心配だ。そういえば道の駅からこちら、誰ともすれ違わない。

資材置き場のような広場で右に折れると、下り坂となる。どうやら低い山をひとつ越えたようだ。遍路地図だとよく分からないような山だが、七子峠からここまで平坦な道が続いてきたのでちょっときつかった。ここからは四万十川に沿って五社まで下り坂となる。ちなみに、遍路地図等では四万十川と書いてあるが、橋の表示をみると地元では渡川というらしい。

眺めが開けて、前方に斜めの稜線が立ちはだかる。妙な稜線で、鋸の歯のような凸凹が5つある。あるいは、あれが五社のもともとの発祥だったのかもしれない。きっとあの山の麓が五社に違いないと想像しながら歩くと、まさにそのとおりだった。山裾を回り込んで、最後は橋を渡った直線道路が五社まで続く。1時10分着。

五社は高岡神社、仁井田明神とも呼ばれ、5つのお社の総称である。中央にある中ノ宮は大山祇尊(おおやまつみのみこと)をお祀りしており、これは五十五番三嶋宮と同じである。このあたりの民家の門には三嶋宮のお札が貼られているが、あるいはその関係かもしれない。正面の鳥居に「高岡神社中ノ宮」の扁額があり、拝殿と社務所が置かれている。

小さいながら休憩ベンチも置かれているが、私がお参りした時には誰もいなかった。手水場のところに「元三十七番札所福円満寺の跡」と彫られた石碑が立てられているが、四国遍礼霊場記によると江戸時代の別当寺はすでに岩本寺であり、福円満寺は寺伝によると弘法大師が五社に置いた寺である。明治までは神仏混淆なのだから「元三十七番札所五社の跡」でいいと思うが。

高岡神社中ノ宮を真ん中に、左に2つ、右に2つ大きな鳥居が置かれている。高岡神社のすぐ脇に、もう一つやや小さめの鳥居があるが、神様のお名前をみると五社とは別の神様のようで、あるいはこれは村の鎮守かもしれない。まず中ノ宮にお参りする。神様だから、読経はせずに柏手を打つ。続いて高岡神社の脇から左の二社にお参りする。

いちばん左のお宮は丘のいちばん上に建てられていて、石段も一番長い。扁額には「森ノ宮」と彫られていて、頂上に建てられた拝殿はかなり古くなっているけれども、それでも江戸時代からずっとあるものではなく、戦後間もなくくらいに建てられたもののように見えた。二つ目のお宮「今宮」は、森ノ宮よりは低い位置にある。拝殿の古さは森ノ宮と同じくらいだろうか。

続けて右の二つのお宮にお参りする。「今大神宮」は道沿いの鳥居からずいぶんと奥の方にあり、よくある古いお宮である。拝殿までの参道には民家や納屋が並んでいて、霊場記挿絵のように鳥居、拝殿、本殿がすぐ近くにある訳ではない。一番右が「東大宮」、こちらは鳥居からすぐに石段そして拝殿があり、霊場記挿絵の雰囲気に近い。それぞれお参りしてから中ノ宮に戻った。


あぐり窪川から約1時間。仁井田五社はあの奇妙な形の山の麓にある。


道路際に鳥居が並ぶ風景は、「四国遍礼霊場記」のさし絵のとおり。


仁井田五社中ノ宮。江戸時代はここが札所だった。

さて、中ノ宮まで戻ったものの、依然として社務所には人の気配がない。ベンチとトイレがあるのはありがたいものの、自販機が置かれていないのでペットボトルを補充できない。有名な五社だから売店か自販機くらいあるだろうと考えていたのだが、迂闊なことであった。

よく探すと、社務所の窓の横に「ご朱印は○○様宅でお受けします」と書いてあり、地図も描かれている。せっかくだからお伺いすることにした。いったん鳥居をくぐって道路に出て、往きに通った橋の方向に少し戻ったお宅である。庭に入らせていただき玄関のドアホンを押すと、奥様が現われた。

「神職がおられれば筆で書いていただけるんですが、いまはこれだけなんですよ」とすでに半紙に書かれたご朱印を示される。東洋大師のところで述べたように出来合いのご朱印はいまひとつ歓迎しないのだが、 わざわざ玄関まで呼び出しておいて我儘は言えないのでありがたく頒けていただく。

ご朱印をいただくとちょうど午後2時、こちらには50分ほどお参りしたことになる。往きに通った直線道路を戻ろうとすると、「こんにちは」と声をかけられた。五社でははじめて自分以外の参拝客とお会いしたなと思ったら、前日に久礼の「ゲストハウス恵」で隣の部屋に泊った単独行の男性であった。

彼もまた私と同様の区切り打ちで、この日は大坂遍路道を登る前に抜かれている。岩本寺にお参りして帰ると言っていたが、早く着いてしまったので五社にもお参りしてみたということであった。五つお宮があるので小一時間かかりますよ、ご朱印はこちらのお宅で、などと話をして別れる。

再び橋を渡って、岩本寺へ向かう。遍路地図では窪川駅方向に丘をひとつ越えるのだが、現地の案内板では岩本寺は窪川駅とは別方向に、丘を回り込む川沿いの道を指示している。峠越えの坂道は結構大変だったので、案内板にしたがって川沿いの道を進む。

このあたり、四万十川は中流といっていいくらいの川幅があり、傾斜もなだらかになっている。とはいえ川面はごつごつした岩であり、その間を水が流れていく。川の流れもゆったりしていて、清流四万十川という雰囲気ではない。やがて道は川と離れて畑と農家が続く農道となる。依然として自販機はなく、道の駅で仕入れたペットボトルも残り少なくなってきた。

丘をぐるっと回り込んで窪川の街が見えてきたあたりで、ようやく自販機がみつかった。コカコーラではなくダイドーの自販機というあたりがローカルである。それでも150円でペットボトルが買えることに感謝しなくてはならない。道の駅を出てから五社経由ここまで5km以上、お店も自販機もない地域が続いたのであった。

自販機の少し先で、これまでの農道から車の通る太い道路に出た。ここから岩本寺までは大きな道案内があるのでその通りに進む。太い通りをずっと進んで右折し、また少し先で右折する。これじゃ戻ることになるなと思ったら、同じ郵便局の正面と裏口を両方通っていた。どうやら車用の案内だったようで、少し遠回りしてしまったようだ。

みかん販売店の角を左に折れると、岩本寺の山門が見えてきた。時刻は午後3時少し前。これからお参りすれば、おそらく宿坊に入れてもらえる時間になるはずである。この日の歩数は44,927歩、歩いた距離は24.9kmだった。


五社参拝の後は、四万十川に沿って岩本寺に向かう。橋の表示は「渡川」となっていた。


窪川の市街。ここがJR土讃線の終着駅で、この先中村までは土佐くろしお鉄道になる。


みかん屋さんの角を曲がると、岩本寺の山門がすぐそこに。

 

この日の泊まりは岩本寺である。宿坊に泊まるのは、十楽寺、鯖大師、金剛頂寺に次いで4寺目になる。通りを曲って奥まったところにある山門はそれほど大きいものではないが、山門をくぐった境内の懐は広い。

入ってすぐ右手に鐘楼と大師堂、左手に納経所がある。奥に進んで右の本堂は白・赤・黄・緑・青五色の幔幕で囲われており、左奥が宿坊である。突き当たりは土手になっていて、その上を線路が走っている。JR土讃線は窪川までなので、ここは土佐くろしお鉄道になる。

まず、本堂と大師堂で読経しご朱印をいただく。こちらの本堂は天井画が有名だが、翌朝のお勤めで見ることができるはずである。八十八札所用の納経帳を使うのは半年ぶりになる。ご朱印係のおばあさまと、「さっきの人は北海道から来て暑いと言っていたけれど、こんなのは寒いくらいですよ」なんて話をする。その時は言わなかったが、私もむし暑いと思っていたのだった。

宿坊の受付をお伺いすると、「宿坊でしたら売店の方に誰かいるはずですよ」と言われて宿坊入口にある売店で待つと、ほどなく受付の人が現われた。まだ3時半過ぎだけれど、問題なく入ることができた。すぐ後から何人か続けて受付したので、今回はひとりということはなさそうである。

部屋は和室の6畳。すでに布団が置かれていて、その上に浴衣まで用意されている。浴衣があれば全部着替えることができるのでありがたい。早速着替えて、何はともあれコインランドリーに向かう。前日のゲストハウス恵で洗濯できなかったので、2日分の洗濯物がたまっていた。洗濯機・乾燥機とも3台で、一番乗りだった。

洗濯物を洗濯機に放り込み、部屋に戻って改めて荷物の片付けをしてから、午後4時開始のお風呂に向かう。この遠征はじめての大きなお風呂でゆっくりする。汗を流してさっぱりする頃には、洗濯物を乾燥機に移す時間になる。ちょうど洗濯機・乾燥機が女湯の入口にあるものだから、この時間に到着した女性が入ってきた。

「すみません。すぐに移し終わりますから」「いいですよ」なんて立ち話をした人が、この区切り打ちでは何回も会うことになる「自称時速3kmの彼女」なのであった。もちろん、この時にはそんなことは知らなかったのであるが。

食事は午後6時から。川魚のおさしみ(鱒かな?)があって、鶏のフライとコロッケがあって、かぼちゃの煮つけ、切干大根、ほうれん草のおひたし、酢の物がある。個室で浴衣も付いて、これだけの食事が出て1泊2食6,800円だから、格安である。前後の行程から考えて窪川で宿をとらないと厳しいから、ありがたいことである。

ビールは瓶で、日本酒も「土佐鶴」を1升瓶から注いでくれる。前の日ゲストハウスではアルコール抜きだったので、最初にビール、続いて土佐鶴をお願いする。食堂に集まったこの日の宿泊客は8名。これまで経験した宿坊で最多の同宿者であった。

アメリカから帰省中のご夫婦(奥さんがイリノイ出身とのこと)がいて、一緒に歩いている年配のグループがいて、単独の男性が何名かいる中に、さきほど浴室前ですれ違った女性がいた。単独行の若い女性で、通し打ちでここまで来ているらしい。「私は時速3kmでしか歩けないから」と話しているのが印象的であった。

アメリカから来ているご夫婦は、八十八の順序にこだわらず歩いているそうで、今回は高知を選んだそうである。奥さんは、われわれと話すときは日本語で、旦那さんと話す時は英語というのがおもしろかった。

そしてグループの人達は、「いやしの宿八丁坂」を何とか予約できたと話をしていた。この宿は四十五番岩屋寺の前にあり、まだこれから10日前後かかるはずなのだが、そのくらい前に予約しないと厳しいのだそうだ(区切り打ちで時期は異なるが、私がこの後八丁坂に泊まったのは11泊後になる)。

うれしいことにこの岩本寺ではwifiが使えたので、夕食後は部屋に戻って情報収集。これから先、いよいよ足摺岬まで約70kmの今回の正念場が待っている。そして、予報では翌日、降水確率80%の雨予想なのであった。

[ 行 程 ]
土佐久礼 6:00 →
[4.4km]8:05 奥大坂休憩小屋 8:15 →
[1.0km]8:55 七子峠 9:05 →
[4.5km]10:00 雪椿休憩小屋 10:10 →
[7.0km]11:35 道の駅あぐり窪川 12:30 →
[3.5km]13:10 高岡神社 14:00 →
[2.5km]14:40 三十七番岩本寺(泊)

[Nov 4, 2017]

岩本寺本堂。中の天井には、有名な天井画がある。土手の上を時折、土佐くろしお鉄道が走る。


岩本寺宿坊。整った施設です。1泊2食6,800円はお値打ち。


朝のお勤めを終えると雨。この雨は一日激しく降り続いたのでした。