005 新聞をとるのをやめた [Nov 13, 2017]

先月一杯で契約が切れるのを機に、新聞をとるのをやめた。

社会人になってからずっと続けて来た新聞の宅配だけれども、このところ紙面の半分以上が広告だし、記事もほとんど読まなくなっていた。奥さんからも、「○○さんも△△さんも新聞やめたよ。その分食費に回してくれたらうれしいな」ということだったので、半年前から解約は既定方針だった。もちろん、やめたからといってすぐに困ることはない。

最近までとっていたのは読売新聞だが、例の事務次官歌舞伎町通いの記事にみられるように官邸発表の垂れ流しなのでたいへん不愉快だし、巨人の記事にもフィギュアスケートの記事にも興味はない。アメフトとボクシング、朝のテレビ体操と天気予報くらいしか見ないからテレビ欄もいらない。もともと朝刊だけとっていたのだけれど、それすら苦痛になるくらいの体たらくだった。
 
最近では、人生相談とスーパーの折込チラシしか見ていなかった。その人生相談もマンネリだし、久田恵を除いて読む前からどう回答したのか分かるくらい底が浅い。昔、朝日に載せていた車谷長吉とまでは言わないが、少しは刺激がないと読む価値がない。安売りチラシだってネットで入手できるし、そもそもチラシを見ないことでスーパーに行かなければ最大の節約効果がある。 
  
振り返ってみると、サラリーマン生活の初期には一般紙と日本経済新聞、日経金融新聞の3紙をとっていたから、新聞代だけで月に1万円を超えていた。当時はネットなどないから、株価を知るには証券会社の店頭に行くか1日に2、3回しかないテレビ・ラジオの株価情報、あとは短波放送しか手段がなかった。1日遅れの情報だってそれなりに価値はあったのである。

ところがいまや、昔であれば証券会社の店頭で得られた以上の情報がネットから入ってくるし、個別銘柄の動きはもちろん、オプションや先物といったデリバティブの情報だってリアルタイムに入手できる。わざわざ1日遅れの情報を新聞で見る必要はない(それ以前に、その業界からリタイアして久しい)。

一時期、競馬や公営競技に関心があった頃はスポーツ新聞もとっていた。その当時は、わずかな間でも情報から離れると挽回不能になってしまうという恐怖感があったが、いまとなってはどうということはない。ジャパンカップだって日本馬がなかなか勝てない頃が一番面白かった。いつも日本馬が勝つのでは天皇賞や有馬記念と同じである。

そんなこんなで、長らく見続けてきた新聞だが、もう宅配でとることはないだろう。家は老夫婦だけだが、奥さんいうところの新聞をやめた家の中にはまだ子供が同居している家もある。それでも、いまの若い人達はネットとスマホで用は足りるようで、新聞をやめることにそれほどの抵抗はないようだ。

おそらく、こうした動きは加速することはあっても、とどまることはない。そもそもネットと新聞では情報の早い遅いに決定的な差があり、しかも古新聞が残るので環境にも優しくない。昔は新聞配達というとおカネが必要な若い人の最後の手段だったが(山口百恵だったか、子供の頃に新聞配達をしていたはずである)、そういう時代でもなくなった。

ここ数年ということはないだろうが、いずれ新聞宅配というマーケットは消滅してしまうだろう。現在、多くの雑誌が廃刊あるいはネット化されているが、新聞もいずれ同じことになる。新聞社の多くは民放テレビ局と系列化されているが、テレビ局だっていつまで続くか分からない。そもそも人口がどんどん減るのに、売上増などと言っている方がどうかしているのだ。

[Nov 13, 2017]