371 番外霊場真念庵 [Mar 31 – Apr 1, 2017]

 
この図表はカシミール3Dにより作成しています。

翌朝起きた時にはまだ傘なしでも外に出ることができたが、朝のお勤めが終わって宿坊に戻る頃には雨が降り出していた。

岩本寺の本堂は、何年か前に建て替えた際に天井画を公募し、その中にマリリン・モンローを描いた絵があることで有名である。本堂入ってすぐの頭の上にある。午前6時にお勤めが始まって間もなく、すぐ横の土手を走り過ぎる列車の音が聞こえた。

お勤めは、もともとの札所である五社のご本尊それぞれにお経をあげるので、それなりに時間がかかる。それと、まだ若いご住職(同宿した人が朝食で話していたところでは、副住職らしい)の説教が気合が入って長かったので、その間に雨が本降りになった。

朝食はご飯・味噌汁とさば文化干、焼き海苔、梅干し、大根おろしという純日本風。これだけ食べれば十分である。部屋に戻って雨用のフル装備、モンベルのレインウェア上下を着てリュックにカバーをする。この日は札所はないので、納経帳はまとめてリュックの中にしまってある。

雨天時の遍路姿というと、傘は差さずに菅笠をかぶり、手には金剛杖というのが定番であるが、私の場合は汗っかきなので菅笠(洗えないので汗をかいたらそのまま)というのがどうにも気が進まない。この日は登山用のストックをリュックに結わえつけて、折り畳み傘を左手に持って右手を自由にするというスタイルにした。

出発して間もなく、前日同宿した単独の方に「傘差していくの?峠道はどうかな」と言われてしまった。確かに下り坂にはストックがあった方が安心だが、両手ふさがってしまうのは危険だし、まあ、山歩きほどの傾斜はないだろうという読みもあったのである(先の話になるが、峠道は予想通りストックなしでも大丈夫だったのだが、それとは別の要因で傘の限界を思い知ることになる)

岩本寺から金剛福寺までは80.7km、札所間では最大の距離である。真念「道指南」にもこの間の距離は二十一里と書いてあり、当時でも二泊以上は必要としたが、宿を貸してくれるのは伊田村の弥兵衛など数少なかった。そこで真念らが尽力して市野瀬に真念庵というお堂を建て、遍路に宿を貸したり、打戻りのための荷物預かりをしていたのである。

岩本寺から真念庵までは、いったん四万十川に別れを告げ、峠を越えて土佐湾に出る。この道は中村街道といって、江戸時代の真念もこのルートをとっている。片坂峠まで約5km、そこまで1時間以上の登りである。そして峠越えは、市野瀬遍路道と呼ばれる山道である。お勤め前後から降り出した雨はかなり激しく、止む気配がない。

窪川市街からは、結構長い登り坂である。電子国土で調べると窪川が海抜220m、片坂峠が310mだから標高差100mくらいしかないのだが、200~300m登っているように感じる。そういえば、神山温泉から十三番大日寺に向かった時も雨で、やはり起伏のある国道を1時間ほど歩いたことを思い出した。

「すっぽん買います」と珍しいことが書いてある看板を過ぎ、登ること約1時間、午前8時半にお大師様と小坊主の石像が立っている曲がり角に着いた。「へんろ道→」の表示があるし、手前にある広場は四国電力の廃棄物保管場所(遍路地図には資材置場と書いてある)だから、ここで間違いない。

国道をそれて遍路道に入ると、しばらくは農家の間を通る舗装道路だが、トラックの止まっている車庫のあたりを過ぎると山道になる。雨であたりが暗く、たいへん心細い。道は再び登り坂になった。


国道56号線を登ること1時間、お大師様の立つ分岐点を左に折れる。傘を差していたので、像がなければ見逃したかもしれない。


倉庫のような建物の脇を回り込むと、遍路道への入口になる。雨が一段と激しくなる。


遍路道は峠に向かってさらに登る。木立に囲まれて暗い中を進む。たいへん心細い。

 

雨がまた激しくなり、木立の間を進むと真っ暗になったように感じる。へんろ道と書いてあるので間違いないのだが、前にも後ろにも人がいない。山道を10分ほど歩くと国道のトンネルの上に出た。このあたりが片坂峠のようである。ちょうど9時だから、お大師様の分岐から30分かかったということである。

ここから先は下り坂である。ところどころ岩肌の見える油断できない登山道だが、ストックを出さなければ危ないというほどではない。折りしも雨が激しくなってきたので、引き続き傘を差しての歩きである。

前を歩く、雨合羽に菅笠姿のお遍路さんが見えた。下り坂を慎重に下っている。道幅が狭いのでパスするのが大変だなあと思っていたら、後ろから足の速い人が来て私もろとも抜いて行ったので、ついでに私も先に行かせていただく。と、声を聞くと、昨日岩本寺で泊った「時速3kmの彼女」であった。

朝食会場からは私の方が早く出たので、当然私の方が前を歩いているものと思っていたら、なんとここまで先行されていたのであった。下り坂を慎重に歩いているので追いついたけれども、ここまで1時間半は前を歩く姿さえ見えなかったのだから、少なくとも時速3kmなどということはない。大したものである。狭い道なので、挨拶だけして通り過ぎた。

私はというと下り坂は得意であるので、傘を手に快調に下って行く。10分ほどで、西尾自動車脇の休憩所までたどり着いた。こちらでは、トイレと水を使わせていただけるし、なにしろ屋根がある東屋というのはありがたい。ここで10分ほど休んだのだが、後ろから「時速3kmの彼女」は追いついてこなかったから、よほど慎重に下っているようであった。

実はこの山道でちょっとしたミスをした。休憩所でこれからのルートを確認しようと探したのだが、ポケットに入れておいたはずの遍路地図コピーが見当たらないのである。この日歩くのは約35km。大雨だし、途中で土佐くろしお鉄道にエスケープすることも考えられたから、地図がないというのはかなりリスキーだが、まさか戻って探す訳にもいかない。このまま歩くしかない。

西尾自動車の東屋に、「次の休憩地・こぶしの里まで3km」とあったので、とりあえずそこを目標に歩き始めた。片坂峠を越えると、これまでの四万十川から伊与木川の流域となる。町の名前は「伊与喜」、川の名前が「伊与木」で少し紛らわしい。それはそれとして、国道をそのまま進めばいいはずである。

川に沿って標高を下げて行く。土佐佐賀温泉は「こぶしの里」という名前だが、このあたりは拳ノ川という地名で土佐佐賀はまだ数km先である。拳ノ川だから「こぶしの里」なのかとひとりで納得しながら歩く。雨は引き続き激しい。

まだ午前中なのでそれほどバテることはなかったが、ずっと雨に降られたので、こぶしの里の東屋で休憩できた時にはほっとした。時刻は午前10時ちょっと過ぎ。雨の中、わき目もふらず歩いたので、西尾自動車休憩所から40分くらいで着いた。

ちなみに、岩本寺のある窪川で宿を取らないと、こちら土佐佐賀温泉まで泊まるところがない。この日、岩本寺から約3時間かかったから、お昼過ぎくらいに岩本寺を出ないとちょっと厳しいだろう。五社に寄らなければぎりぎり何とかなるかもしれないが、そうなると1日のうちに七子峠・片坂峠と二度の峠越えとなる。あまり無理しない方がよさそうだ。

「こぶしの里」の東屋にはお大師様の石像が立っていて、白衣まで着ていらっしゃるものだから、遠くから見たら先客がいるのかと思った。中は広くて、回りに板が張ってあるので雨が吹き込まないのもありがたい。リュックを下ろして一息つく。


国道トンネルの上を通るあたりから、今度は下り。雨の中、白衣と金剛杖の遍路姿がぼんやり見える。


ようやくへんろ道を抜けたところが、西尾自動車休憩所。東屋・トイレあり。かなり安心する。


再び国道を1時間、こぶしの里休憩所。白衣のお大師が目印。

「こぶしの里」で10分くらい休んで、再び大雨の中を出発する。すごい勢いで雨が降ってくるので、景色を楽しむゆとりもない。こぶしの里あたりでは道路の反対側で工事をしていたようであたり一面の木が伐採されていたが、5分も歩かないうちに再び左手は森、右手は下方に集落が見える。

このあたり、国道を歩くよりも集落の道を歩いた方がいいのにと思いながら歩いたのだが、後から遍路地図を見るとそういう道もあったようである。しかし、前に述べたように山道のどこかで遍路地図コピーをなくしてしまったので、分かりやすく国道を進む他はないのであった。

荷稲(かいな)、小黒の川、不破原と真念「道指南」に載っている古くからの村を通り過ぎる。とはいえ民家は右手ずっと下の方にあり、国道の現地点表示にそう書いてあるだけである。伊与木川に沿って下り勾配のはずだが、山腹にある国道はアップダウンを繰り返すので楽ではない。

そして、朝から降り続く雨で、路面にはどこもかしこも大きな水たまりができている。トラックやトレーラーが通るたびに、歩道まで豪快に水しぶきを上げる。レインウェアを着けているので少々の水しぶきなら大丈夫とはいえ、頭から水をかけられると顔にまでかかって気持ち悪い上、スボンの裾からウォーキングシューズの中に水が入る。

こんな天気で歩いているから遍路と分かりそうなものだが、脇を通る際にスピードを落として、なるべくしぶきを上げないようにしてくれる車もある一方で、むしろスピードを上げてわざとしぶきをあげる車もある。遍路をよく思っていない人も多いということであろう。

こぶしの里から約1時間歩いて、ようやく伊与喜に着いた。土佐くろしお鉄道の駅がある街だが、それほど大きくはない。そして、この先に、一部でよく知られている熊井隧道がある。

熊井隧道は遍路地図にも載っているので歩き遍路のひとは通るところなのだろうと思っていたら、前の日の岩本寺で同宿した人達はみなさん知らないと言っていた。中には、何度も回っている先達もいらっしゃったので、予想に反して分かりにくいところにあるのかと心配していた。

ところが心配することはなく、伊与喜を過ぎてすぐの陸橋の前に大きな看板が立っていた。「88ヵ所参り、ご苦労様です。この先お遍路さんに人気のトンネルがあります。四国の道を堪能してください」とあり、分かりやすく大きな地図が描かれている。熊井隧道ではなく熊井トンネルと書いてあるけれども、これは見逃しようがないのであった。

国道から熊井トンネルに向かう田舎道に入る。田舎道とはいっても舗装道路なのだが、朝からの雨で道路の上に川のようになって水が流れている。トラックに水をかけられて靴の中が濡れてしまったが、ここでも水が入ってしまうかと心配になる。集落の中にも、曲がり角にはちゃんと案内があって、10分ほど歩いて最後は坂道を上がると、トンネルが見えてきた。

トンネルは全長90mとそれほど長いものではなく、自動車のすれ違いが困難なくらい狭いが、明治時代に造られた煉瓦造りの重厚なトンネルである。かつては多くの人々が通った道路だったが、いまや幹線道路からは外れ、わずかに遍路と地元の人達が通るだけである。この日はじめて傘をささずに歩けたのはたいへんありがたかった。

時刻はちょうど12時。トンネル出口で一休みする。誰も通らないかと思っていたら向こうから地元の人の軽トラックが走ってきたので、再び傘を手に雨の中へ。トンネルから先は下り坂で、やがて人家の先に土佐くろしお鉄道のトンネルが見えてくる。そして、行く手に土佐湾が見えてきた。前日の朝に土佐久礼を出て以来、久々に見る海である。

国道と交差する地点まで来ると、「道の駅なぶら土佐佐賀」がすぐそこにある。岩本寺から約20km、午前中の距離としてはそこそこ稼いで少々疲れてきた。そして、雨のあたらない場所というのがなにしろありがたい。道の駅の大きなレストランに入り、朝以来久々にレインウェアを脱いだ。

迷惑にならないよう他のお客さんから離れた場所にリュックを置き、食券売り場でカレーうどんをお願いする。前日までは定食類で攻めていたのだが、ずっと雨に降られて温かい汁物が食べたくなったのである。


昼前に伊与喜到着。さんざんトラックに水を掛けられたので、熊井トンネルへのへんろ道に向かう。


このあたりは大雨。熊井トンネル前では、流れる雨で道が川と化している。この後トンネルの中で雨やどり。


再び国道と合流してすぐ「道の駅なぶら土佐佐賀」。ずぶ濡れのレインウェアを拭いて、しばし休憩。

道の駅なぶら土佐佐賀の大きなガラス窓の向こうでは、あいかわらず強い雨が降り続いている。そろそろ午後1時、ここまでのペースは大雨にしてはまずまずだが、この先どうなるか分からないので、カレーうどんを食べると早々に出発した。道の駅のすぐ先が土佐くろしお鉄道の土佐佐賀駅である。ちょうど特急列車が止まり、中村方面へと発車して行った。

さて、この日エスケープルートとして考えていたのは、土佐くろしお鉄道の有井川駅を午後4時過ぎに出る便である。列車の間隔が長く、この前の列車は早すぎるし後の列車は遅すぎる。午後4時に乗って10分ほど先の土佐入野まで行けば、ネストウェストガーデンまで明るいうちに着ける。あと3時間でそのあたりまで行けるかどうか、地図がないのでちょっとあせる。

土佐佐賀駅のすぐ先が横浜トンネルで、600m以上ある。トンネル前に休憩所があったが、大雨なのでトンネルの中を歩いている方が休める。幸いに歩道も完備されている。10分くらい、風にも雨にも苦しめられずに歩くことができた。

トンネルを出ると、左手海側に大規模な公園が見えてくる。その向こうは太平洋、ふり返ると、いま通ってきた横浜トンネルの外は奇岩のそそり立つ岬になっていて、たいへん眺めがいい。晴れていればゆっくりしたかったけれど、あいにくの天気である。午後1時半、ドライブイン幡多路の横を通過。

この頃から、傘の内側から雨漏りがして、ほとんど役に立たなくなってしまっていた。降り続く雨で防水機能が失われてしまったのか、あるいは一定時間以上の雨には耐えられない仕様だったのか。まあ、安い折り畳み傘にそこまで期待することはできないだろう。そして、道が海沿いになったため時折突風が吹いてくるので、骨が逆に曲がってきしむのであった。

午後2時、土佐白浜を過ぎたあたりで、とうとう傘が折れてしまった。ちょうど東屋があったので傘を収納し、レインウェアのシェードを深くして傘なしで歩く身支度をする。こういう場合、壊れた傘であってもないよりましという事態がありうるから(藤井寺の時に体験済である)、濡れた傘はリュックの外ポケットにしまう。

そして、いよいよ傘のない状況で歩き始める。もっともこの時は、風が吹いてきて雨が横殴りになっていて、傘があってもなくても同じ状況であった。そして、身を縮めて、海沿いの道をひたすら前に進む。気が付くと道が前方で90度右折し、井の岬トンネル320mが見えている。時刻は2時40分、このトンネルを越えると有井川だから、4時のエスケープルートは楽勝である。

トンネルを出ると水田地帯を見下ろす下り坂で、心なしか雨も小降りになったような気がした。国道と土佐くろしお鉄道が再び合流したあたりで午後3時、自動販売機があったのでペットボトルを買って小休止する。先が見えてきたので元気が出てきた。でも、ここまで来たら、翌日のためにも宿まで歩いてしまいたい。

有井川の次の駅が「うみのおおむかえ」(と、遍路地図にひらがなで書いてある)という駅で、どういう意味だろうと思っていたら「海の王迎」と漢字で書いてあった。だったら「うみのおうむかえ」でないとおかしいが、いずれにせよ鯨が取れた浜なのだろうと思う(ただ、翌朝ホテルのお姉さんに尋ねたところ、「さあ・・・何でそういう名前なんでしょうね」と言われてしまった)

有井川で小休止したのが午後3時、それから1時間ちょっと歩いて大規模公園のある分岐点に着いた。このまま国道を進むと道の駅ビオスおおがたになるが、そちらには行かずに公園内の散策路を進む。道案内があるので、この先がネストウェストガーデンのはずである。左手に防砂林が続く道で、ここからが意外と長かった。

散策路は松林の中に入り、しかも分岐点が頻繁に出てきて案内もないので不安である。そして、また雨が強くなってきた。海沿いに進めば間違いなく着くはずと自らを元気づけて30分、40分と歩き続ける。

午後5時前、あたりが薄暗くなった頃になってようやく、ネストウェストガーデンの円形の外壁が見えてきた。結局この日の歩数は59,747歩、距離は35.1kmと、荒天にしてはたいへんな距離を歩いたのでありました。


土佐佐賀駅を過ぎて横浜トンネル前。土佐くろしお鉄道と国道が並行する。トンネルを過ぎた土佐白浜でとうとう傘が壊れた。


午後3時、井の岬トンネルを過ぎて有井川。雨は少し小降りになるが、この後も断続的に激しくなる。


道の駅ビオスおおがたを過ぎて海沿いの道に入る。このあたりからは松林が続く。晴れていれば気持ちのいい道のはず。

この日の宿はネスト・ウェストガーデン土佐。このあたりには数多くの民宿があるけれども、この回の区切り打ちではゲストハウス・宿坊と続いたので、3泊目は自由がきいて洗濯できる可能性も大きいホテルを選んだのである。1泊2食7,200円だから、お値段もリーズナブルである。

フロントまでたどり着いた時にはずぶ濡れだった。そして階段を上がって2階の部屋が畳敷きだったので、濡らさないように狭い靴脱ぎスペースにリュックを下ろし、レインウェアを脱ぐ。まずは着ているものを全部脱いで、宿の浴衣に着替えた。

そして、濡れたものを持って円形廊下を進んだところにあるコインランドリーに向かう。幸いなことに、乾燥機とは別に物干しスペースがあったので、部屋にレインウェアとリュックカバーを取りに戻る。ここに干しておけば夜の内に乾くだろう。

あの雨なら仕方がなかったが、リュックカバーをしていたのにリュックの中は水浸しになっていた。納経帳や着替え類は防水袋に入れてあったので大丈夫だったけれど、そのままリュックに入れていた遍路地図コピーや前日までのレシート類はぐっしょり雨に濡れてしまっていた。修復不可能なものは捨てて、大丈夫そうなものはテーブルの上に広げて乾かす。

そして、まずはお風呂。1階に下りて別棟の大浴場へ。湯船は広く、窓からは防砂林の松林がうっすらと見えるが、まだ雨が降っていて薄暗い。土砂降りの中を歩いて来た割には、それほど体は痛くない。ゆっくり湯船に浸かって手足を伸ばし、1日の苦労をねぎらった。

部屋に戻って、洗い終わった洗濯物を乾燥機に入れて再び荷物整理。折れてしまった折り畳み傘は、ひとまず広げて乾かしておく。そんな傘でもないよりましという万一の事態に備えるためである。夕飯はお風呂と洗濯があるので7時からお願いしたが、宴会がその時間に入るのでちょっと遅れて入ってもらうとありがたいということだったので、15分ほど遅れてレストランへ。

うれしいことに、私が予約したお遍路プランは飲み物サービスが付いたので、生ビールをお願いする。サラダとスープ、ビーフカツと野菜炒め、ライスという洋風の夕食だったが、1日ハードだったのでたいへんおいしくいただいた。夕飯の後は1階にあるケーキショップに寄ってケーキを購入。ポットのお湯でインスタントコーヒーを淹れて、部屋でまったりする。

翌朝はホテルの食事が午前7時からなので、ゆっくり起きる。雨はすっかり上がって、ホテルの窓越しに松林、その向こうに海が見える。ゆっくり景色を楽しむには、やはり天気が良くないといけない。1日雨に降られて体調が心配だったが、ゆっくり休んで何ともないのはありがたいことであった。

「トーストとスコーン、どちらがよろしいですか?」と聞かれたので、せっかくだからスコーンをお願いする。トマトとレタス、スパゲティのサラダとスープ、ヨーグルトが付く。ずいぶん遠くまで来たのに、スコーンなんてしゃれた朝ごはんである。

さて、この日は四万十川を渡り、新伊豆田トンネル1600mを越えて真念庵、さらに下ノ加江までの行程である。真念庵に寄り道することを考えても25kmほどの距離なので、出発はゆっくりでいいだろうと午前8時スタートとした。前日お世話になったレインウェアとリュックカバーはすっかり乾き、小さく格納してリュックの中へ。この日はいっぽ一歩堂の速乾白衣上下である。

ありがたいことに、ホテルにお遍路ルートの案内地図が置いてあったので、それに基づいて歩く。ホテルから海沿いを入野漁港方向へ歩き、前日に歩いた国道56号線には戻らず、県道・広域農道経由で四万十大橋を渡って足摺方面に向かうルートである。

約1時間歩いて、海沿いの公園から県道に出た東屋に、前々日に岩本寺に泊った人達が休んでいた。ネストウェストガーデンでは見かけなかったので、おそらく途中の民宿に泊まって、早くに出発したのではないかと思う。


濡れた雨具を干し、着替えて風呂に入りようやく一息つく。ネストウェストガーデンのお遍路パックの夕食。メインディッシュ前のサラダとスープ。


強行軍の後、たいへんお世話になったネスト・ウェストガーデン土佐。翌朝はありがたいことに雨は上がった。

 

遍路地図によると、土佐入野から四万十川を渡るまでのルートとして (1) 国道を通って中村市街から四万十川を渡るルート、(2) 国道を通らない四万十大橋への最短ルート、(3) 海沿いを進んで下田の渡しを利用するルート、の3つが描かれている。

その中で、(1)のルートは中村に宿を取る場合以外は遠回りになるし、(3)のルートは渡し船の予約が必要となる。したがって(2)のルートをとる人が多いと思われるが、このルートがホテルでいただいた地図で推奨している広域農道の道なのであった。

県道に合流するまで予想外に時間がかかってしまい、この地図の縮尺は現実と違っているのではないかと疑問を持つほどであったが、県道に出てからは逆にどんどん距離が出て、30分ほどで広域農道への分岐点を通過した。広域農道だけあって水田地帯の中を通るまっすぐな道で、遍路シールもなければ案内板もないのが少し不安なところである。

そして、四万十川が近づくあたりから、急に行き交う人が多くなった。向こうから断続的に何人かのグループが歩いてきて、それがずっと続く。ところどころ幟りが立てられていて、この日は「四万十ウォーク」というイベントらしい。意識していなかったが、前日まではウィークデイ、この日は4月1日土曜日なのであった。

すれ違う人から、「こんにちは」「こんにちは」と声がかかる。ありがたいけどうっとうしいな、などと罰当たりなことを考えていたら、ご年配の男性の方が100円玉を5枚持って、「お遍路さん、これでジュースでも飲んでください」とご接待してくださった。

「ありがとうございます」とお礼を言っていただく。その時は、ジュースを飲む訳にもいかないから金剛福寺でお賽銭にしようと思ったのだが、妙なもので最終的には飲み物代になってしまったから不思議なものである。こういうケースをお大師様の思し召しというのかもしれない(詳しくは金剛福寺のところで。たいへんに助かった)。

「四万十ウォーク」の人の列は、四万十大橋を渡るまで続いた。時刻は午前10時半、ネストウェストガーデンを出てから四万十大橋まで約2時間半であった。もし早くに着いたら川っぺりでのんびりしようと思っていたのだけれど、とてもそういう雰囲気ではない。とりあえず、休まずに人のいないところまで行ってしまわなくてはならない。

四万十大橋を渡ったところで四万十ウォークの順路と別れ、ようやく人混みから逃れることができた。とはいえ休むところも見当たらないので、四万十川に沿って下流へと進む。そして、再び地図のマジックが出現して、四万十川に出るまで飛ぶように距離が伸びたのに、四万十川に出てからはなかなか次の曲がり角までたどり着かないのであった。

橋を渡って左手になった四万十川を見ると、清流として名高い川にもかかわらず、水面は茶色く濁っている。昨日一日あれだけ激しい雨が降り続いたからやむを得ないのかもしれないし、河口に近いからなのかもしれない。

四万十大橋のあたりは中村市街に近く、それなりに開けた場所だったのであるが、歩くにつれてどんどん田舎になる。四万十大橋から1時間歩いた頃、ようやく道は四万十川から離れて山の方向に入った。大きな公園が見えてきて、トイレがある。四万十川のあたりで休憩できなかったので、ここで休むことにした。


四万十大橋に向かう広域農道。水田の脇をどこまでもまっすぐな道路が続く。思ったより距離があって、ホテルから四万十大橋まで2時間半かかった。


四万十川で少しゆっくりする予定が、「四万十ウォーク」開催中で混んでいるので先に進む。ご接待をいただいて、それで後日たいへん助かった。


四万十大橋に到着。前日の雨のせいか、水は茶色だった。これから後方に見える山を越えて行く。

 

ネストウェストガーデンから四万十川を渡っておよそ3時間、休憩もとらずトイレにも行かないで歩いてきたので、公園で小休止したらいっぺんに疲れが出た。時刻は11時過ぎ、ちょっと早いけれどもお昼にしよう。

公園の前にあった「うどん田子作」はのれんが出ていたので、もう営業しているようだ。この先にもレストランがあるようだが、これだけ車通りが少なくなるとやっていないことも考えられる。ちょっと戻るけれども「うどん田子作」へ。

中に入ると、おでんがおいしそうに煮えている。うどんの他におでんをお願いしようとすると、「定食のおかずにすることもできますよ」ということなので、うどん定食にする。前日と打って変わって好天で、冷たい水がおいしい。うどんとご飯で炭水化物がダブったが、おでんの練り物に辛子をつけるとちょうどいいアクセントになった。

昼食休憩30分で、11時45分に出発。歩き始めて間もなく、標高30mほどの山ともいえない小山の木々が伐採されて、「大」の字の模様になっている。ネストウェストの案内にも書いてあった「小っさな大文字焼」である。もちろん京都の大文字焼のイミテーションなのだが、最近になって地域おこしで作られたのだろうと思っていたら、実は違った。

案内板によると、応仁の乱を逃れてここ中村に疎開してきた前関白一条教房卿をお慰めするため、京都と同様に大文字焼きを行ったのがはじまりという(一条教房の弟が大乗院日記目録・雑事記等で知られる興福寺大乗院の尋尊である)。応仁の乱といえば15世紀半ば、札所再興で知られる蜂須賀や山内の殿様より200年近く前の話である。

このミニ大文字焼を過ぎて坂を登ると、峠前最後の集落となる津倉渕である。街道に沿って、二三十軒の民家が並んでいて、後ろはすぐ山である。足摺岬まで38kmの標識がある。38kmといえば、1日歩けばなんとかなる距離である。いよいよ近づいてきた。

ただ、この津倉渕の民家が見えなくなると、スイッチバックの登り坂をひたすら登る苦しい道となる。四万十大橋からは再び国道(56号ではなく321号になる)なので歩道はちゃんとあるものの、カーブが緩い国道規格なので、ずいぶんと歩かされる。そういえば、トンネルがあるということは峠道であり、トンネルまで登り坂なのは当り前なのであった。

「田子作」からちょうど1時間歩いて、新伊豆田トンネルが見えてきた。そして不思議だったのは、ここまで30分以上民家がないところを登ってきたのに、大きなお寺がトンネルの左手に見えたことである。今大師寺という由緒あるお寺さんなので行きたかったが、ここまで坂道を登ってきて登り坂を歩く気力が残っていなかった。

しばらく息を整えた後、1600mのトンネルに入る。車通りは結構多い。おそらく、中村から土佐清水・足摺岬に向かうルートが限られるためだろう。遠くが明るくなっているのは、トンネルの向こう側なのか車のライトなのかよく分からない。後からGPSを調べると、トンネルに入ってから出るまで25分かかっていた。2km近いから、それくらいかかるのは仕方がない。

トンネルを出て驚いたのは、下り始めてすぐに車の修理工場みたいなのがあって、その向こうが名高い「ドライブイン水車」だったことである。津倉渕からトンネルの入口まで長かったので、出口から人里までも同様に長いのかと思っていた。午後1時20分、ドライブイン水車着。

さて、ここから真念庵までの道がよく分からない。ドライブイン横の山道がそれらしいが、納経所は山の上ではなく人里にあるはずだ。遍路地図に書いてある「真念庵納経所・大塚様」に電話をして尋ねたところ、やはりドライブインの少し前にあったT字路を500mほど行くようだ。ドライブイン水車から戻ってT字路を左(トンネルからだと右)に折れる。

この道は、足摺岬にある金剛福寺から宿毛の延光寺に直行する際、打ち戻って進む道でもある。 そういう要衝でもあることから、真念「道指南」でも「篠山へ向かう場合は真念庵に荷物を置き、月山へ向かう場合は荷物を持って行く」と書かれている。T字路の先に続く集落を市野瀬といい、その一軒が納経所となっている大塚様宅である。


うどん田子作から少し歩くと、小さな大文字焼が登場。イミテーションかと思ったら、室町時代から続く由緒正しいもの。


ミニ大文字から登り坂を上がると津倉渕。峠前最後の集落である。ここからの登りがしんどい。


新伊豆田トンネルは1600m続く。トンネル前に建つのは今大師寺。登り坂がしんどくて、お参りする体力的余裕がなかった。

 

「ごめんください」と声をかけると、大塚様のご夫婦が現われた。札所のようなものものしさはなく、普通の民家の縁側でご朱印を押していただく。五社と違っていたのは、由緒書きとかいろいろ置いてあったことで、江戸時代以来の歴史説明や新聞記事があった。

ご朱印は古いものと新しいものとどちらにするか尋ねられたので、せっかくここまで来たのだから両方お願いする。どちらも筆ではなくスタンプで、古い方には「奉納経 本尊地蔵弘法大師 土佐幡多郡足摺打戻 市ノ瀬山眞念庵」、新しい方には「奉納経 本尊地蔵 土佐幡多郡市瀬山 眞念庵」とある。「弘法大師」と「足摺打戻」の文字があるかないかの違いのようだ。

ご朱印をいただいていったん県道に戻り、案内に従って坂道を登って行く。さきほどの大塚様宅の裏手を通ってさらに登ると、苔むした石段が現われる。幅は2~3mあるから、そこそこの広さである。石段を登り詰めると、右側に真念庵がある。トタンで覆われた、あまり立派とはいえない建物である。

薬王寺と鯖大師の間にある小松大師よりもみすぼらしいかもしれない。参道をはさんで本堂の逆側には、一番霊山寺から八十八番大窪寺までのご本尊が刻まれた石仏がまとめて置かれている。真念「道指南」によると、かつてはお遍路が泊ったり荷物を置いた大師堂があったということだから、これらの石仏も古くはお堂の周囲を取り巻いていたものをまとめたのだろう。

その晩、宿で真念庵の印象を残したメモがあるので、そのまま書いてみる。

「道指南にも書かれている旧跡にもかかわらず、荒廃している。建物の現状は杖蓮庵(注.焼山寺道の道中にある一本杉のお堂)と似ているかもしれない。せっかく足摺岬への丁石スタート地点というのに、惜しいことである。

湿気のせいだろうか、参道も庵室も苔で一杯である。リュックを置く場所もない。せめて、長戸庵(注.こちらも焼山寺道にあるお堂。きれいに建て替えられ整備されている)のように鍵をかけてきれいにし、納経箱くらいは置けないものかと思った。

往年をしのぶよすがとなるのは、八十八ヶ所のご本尊を刻んだ石仏群のみ。それも、ブロックの上に88並べられているのは、区画整理の際にまとめられた石仏が道端に並べられているようであり、もの悲しい。

ここから足摺に向かう山道には、丁石が4つ5つと並んでいる。もはや彫られた字を読むことはできず、教育委員会の「これは丁石です」という看板がなければ、その由来を知ることはできない。この丁石は一丁(約100m)間隔で足摺岬金剛福寺まで続いていたが、今日ではその多くが失われてしまったという。

せめて、長戸庵のように整備できないだろうかと考えながら歩いた。土佐清水市の教育委員会にそこまでの予算はないだろうし、そもそも宗教施設に地方公共団体の予算は使えないだろう。

県道沿いのお宅でご朱印をいただけるのだが、あまり人も来ないだろうと思うと、かえって気の毒でもある。」

[ 行 程 ]
岩本寺 7:20 →
[4.9km]8:30 お大師様分岐 8:30 →
[1.8km]9:10 西尾自動車休憩所 9:20 →
[3.5km]10:00 こぶしの里休憩所 10:15 →
[6.0km]11:50 熊井隧道 12:00 →
[1.2km]12:20 道の駅なぶら土佐佐賀(昼食) 12:50 →
[8.5km]15:00 有井川 15:05 →
[8.0km]17:05 ネストウェストガーデン(泊) 8:10 →
[9.7km]10:30 四万十大橋 10:30 →
[3.6km]11:15 うどん田子作 11:45 →
[5.5km]13:15 真念庵(ドライブイン水車) 13:55

[Dec 30, 2017]


トンネルを越えてすぐ、三叉路を折れて500mほどで真念庵納経所の大塚様宅。山に向かって少し登ると真念庵への石段。


真念庵。かつて多くの遍路を泊めた大師堂で、足摺岬への丁石のスタート地点でもあった。


しかし今日では訪れる人も少なく、納経箱も見当たらない。八十八ヵ所のご本尊石仏だけが、当時をしのぶよすがとなっている。