380 三十八番金剛福寺 [Apr 2, 2017]


この図表はカシミール3Dにより作成しています。

真念庵を出て、行きとは逆方向に山道を行く。お堂は荒廃気味だったのだが、参道は道幅こそ狭いけれども整備されている。丁石がいくつかあったので、ドライブイン水車まで4~500mは歩いただろう。

ちなみに、ドライブイン水車は現在大判焼き屋さんになっていて、同じ敷地内には別に屋台の食堂としゃれたカフェがある。駐車場は広く、トイレも休憩所もある。せっかくなので、ドライブイン水車で大判焼きを買って休憩所のベンチで休む。腰をおろしたのは「うどん田子作」以来で、峠を登って1600mのトンネルを越え、真念庵まで往復してきたのでちょっと疲れた。

さて、実はこの日のスケジュールは余裕含みだと思っていて、それもあってネストウェストガーデンの出発は8時とゆっくりだったのだが、実際歩いて見るとそんなに楽ではなかった。ことに真念庵で1時間以上かかってしまったので、ドライブイン水車前の休憩所を出たのは午後2時半になってしまった。

計画段階では、下ノ加江まで早く着くようであれば、もう少し先まで歩いて翌日の足摺岬を楽にしようかとか考えていたのだけれど、結果的にそこまで心配する必要はなかったのであった。いずれにせよ、当日以布利方面から戻ってくるバスはあるのだが、翌朝以布利への始発が9時過ぎなので、あまり先に進む意味がないとは思っていたのだが。

ドライブイン水車から下ノ加江まで、下ノ加江川に沿って水田地帯が続く。しばらくは交通量の多い国道沿いを歩くが、集落に入るあたりで国道から右に分かれる道がある。国道は時折トラックが飛ばすのでここで右折、水路が流れる農道を歩く。右手は水田だ。まだ4月はじめなので関東では田植えはまだ先だが、さすがに南国高知はすっかり水が張られている。

農作業中のみなさんの横を通って海の方向へと向かう。貯水池があり、再び人家がとだえて小高い丘の麓を抜けていく。右手の山を越えると三原村から延光寺に向かうようだ。今回はこの道は使わない。

川を挟んで国道沿いは、こちらの道よりずいぶんと賑やかなようだ。この日の宿であるロッジカメリアは素泊まりなのでコンビニに寄りたいし、懐具合も寂しいので郵便局に行けたらいいのだが、それらがあるのはどうやら国道沿いの道のようだ。それでも、車通りがほとんどないのどかな道なので、のんびりと1時間ちょっと歩く。

いよいよ街が近づいたと思われる頃、カラオケ店の看板のすぐ先に、突然という感じで「ロッジカメリア」が現われた。時刻は午後4時、もう入ってもいい時間帯である。郵便局やコンビニに行けないのは気になったが、疲れていたこともあり、そのままチェックインした。

さて、中村市街を過ぎて足摺岬までは、たいへんに宿の少ない地域である。宿が少ないだけでなく街と街の間の距離があるので、歩き遍路にとって厳しいルートでもある。そして、岩本寺から2日後の宿はWEBで「某民宿」を奨める例が多く、行程としてもちょうどいいのだが、よく探すと対応があまりよくないという情報もあるのだ。

その情報というのが、食事を写真撮影しようとすると、すごい剣幕で怒られてデータを消させられるというのである。これは私にとって問題外の対応である。こうした「選択肢が限られる」宿には、えてしてあまりよくない噂が聞こえてくる(徳島にもそういう民宿があった)。嘆かわしいことである。

食事の写真を撮って怒鳴られたら2、3日気分が悪くなる。そこで、この日の行程がやや短くなるきらいはあるのだけれど、下ノ加江にある「ロッジカメリア」を予約した。こちらの宿は3000円の宿泊費で、朝晩の食事がご接待というたいへん良心的な価格設定である。翌日は早出となるので、朝食は付いていなくても全く問題がない。


ドライブイン水車の前を通り、下ノ加江までは川に沿って下って行く。バス停のあたりで国道からへんろ道に入る。


下ノ加江から峠を越えて、三原から宿毛に至ることもできる。「R56」は国道だが、「R21」は県道である。


再び国道と合流するところに、ロッジカメリアがある。歩き遍路専用宿だが、最近自転車遍路も認めているそうだ。

 

この「ロッジ・カメリア」、WEBでは評判がいいので期待していたら、それ以上にいい宿だった。何しろ宿泊費が3,000円、なのに夕食(カレー)と朝食(パン)がご接待なのである。部屋は洋室のベッドで、これがまた疲れた足腰には大変ありがたい。椅子にすわってベッドにゆっくり眠って、疲れが飛んで行ってしまった。

宿に着いて「いまお風呂入れてますから」と言われたのだが、すぐに部屋に案内があり一番風呂をいただいた。大きさは普通の家庭風呂で、使ったらお湯を抜くようにとのことだった。お掃除も行き届いていて、たいへん気持ちがいい。

脱衣所には洗濯機があって、これもご接待でお願いできるという。乾燥機はないので、部屋のハンガーに掛けて干すのだが、全く問題なく夜中までには乾いた。

お風呂をいただいてから、荷物の整理をする。ここまでの宿がゲストハウス恵、岩本寺宿坊と和室続きだったので、椅子やベッドに腰かけることができるのはたいへんに気持ちがいい。せっかくなので、机に資料を広げて真念庵の感想をメモする。そうこうしている間に夕飯の時間となった。

この夕飯というのがこれまた予想以上で、大盛りのカレーにピクルス、レタスとミニトマトのサラダとフルーツも付いている。ご接待というよりも、こういう食事を求めていたのだという印象であった。

カレーはおそらく業務用のレトルトだが、高知市内から何日も歩いて来てこの味というのがかえって新鮮だった。大盛りはたいへんありがたく、残さずいただいた(体格を見て、増やしていただいたのだろうか)。夕食のトレーを戻しにロビーに行くと、この日の同宿の方が現われた。

それがなんと、前々日に岩本寺でご一緒し、市野瀬遍路道の急坂でお会いした「自称時速3km」のお姉さんである。後で聞いたら前日は上川口の民宿だったそうなので、この日は私よりも6kmほど後ろからスタートしたことになる。それでも到着が約1時間遅れだから、ほとんど私と同じスピードで歩いて来たのである。

夜になって、このお姉さんとともにご主人から情報収集する。この先足摺岬まで気を付ける場所は、以布利に入って小学校の先を左に入る道を見逃さないこと。まっすぐ進んでも着くことは着くがずいぶん遠回りになる。そして以布利を過ぎるとお昼を調達できる場所はほとんどなく、窪津の漁協売店でお弁当を買うか、漁協の食堂で食べるかしかないということであった。

ご主人はもともと関西に住んでいて、お遍路もずいぶん歩いたそうである。「でも、一泊すると安いところでも6千円くらいはかかるから、八十八回ると何十万円もかかってしまう。それじゃ若い人はとても無理だから、こういう宿をご接待でやっている」とのことである(ちなみに、2000年代の写真をみると、いまロッジカメリアのある場所は遍路情報館だったらしい)

だから本来は歩き遍路専門宿だったのだが、「若い子に、自転車で回るのだって大変なんだよ、と説得されて」サイクリングお遍路までは認めることにしたんだそうだ。そして、価格が価格なので「毎日予約が入るのはありがたいが、忙しいばっかりで」とのことである。カレーもおいしいし、施設も清潔なので、長くがんばってほしい宿である。

翌朝は午前4時過ぎに目が覚めた。前日9時前に床についたのと、この遠征はじめてのベッドでぐっすり眠れたからである。まだ夜中なので物音をたてないように支度する。リビングのポットでインスタントコーヒーをいれて、お接待でいただいたパンを食べる。

前の晩、宿の奥様に「明日の朝は早く出ると思いますので、ご挨拶しないで出かけさせていただきます」と申し上げたところ、「5時過ぎでしたら、鍵は開けておきます」とありがたく言っていただいた。騒がしくならないように、電動ハブラシは遠慮して使い捨てのハブラシを使って歯を磨く。まだ真っ暗な中、出発は午前5時20分。これから足摺岬経由土佐清水まで行かなくてはならない。


ロッジカメリア客室。テーブル・椅子にベッドは、歩き続けてきた足腰にたいへんありがたい。


夕食のカレーはご接待。十分な量があります。ロビーにはコーヒーとかちょっとしたお菓子があるのも気が利いている。


翌朝は夜が明ける前に出発。朝食のパンもご接待で、たいへんありがたい。

 

まだあたりが真っ暗な中、宿から緩やかな坂道を登って行く。10分ほど登ったところに自販機があり、ペットボトルの水を調達する。この日は、今回の遠征では最も難しい長距離の歩きになる。目標は正午に金剛福寺通過だが、まずは中間点にあたる以布利を目指す。以布利まで約10km、以布利からは約12km。8時半か9時に以布利に着くことができれば大丈夫そうである。

ほどなく空が明るくなってきた。振り返ると、岩の多い海岸に波が打ち寄せており、その後方にロッジカメリアのある下ノ加江の灯りが見える。海沿いの国道を登り下りしながら進んでいく。

道の右側、階段を登った場所に民宿が一軒。そこを抜けて入り江になっている海岸を道なりに進み、午前6時ちょうどに噂の某民宿を通過する。あるいは、「時速3kmのお姉さん」以外の岩本寺組は、ここに泊まっているのかもしれない。朝食はいま時分だろうから、30分か1時間は先行できただろうと思う。

そこから15分ほど歩いた岬の突端のようなところに、廃屋があった。「民宿・ドライブイン」とモルタルの建物に直接ペイントしてある。室内にはブラインドがかけっぱなしになっていて、もう何年も放置されているように見えた。目の前は太平洋という絶好のロケーションなのに、結局は建設会社を儲けさせただけに終わったようだ。もったいないことである。

さらに歩くと、7階建て位のそれほど築年数のたっていない白い鉄筋の建物が見えてきた。場所からみて高齢者福祉施設に違いないと思って近くまで歩いて行くと、すぐ横に「海癒の湯」の看板と別棟の木造の建物がある。とすると、これは福祉施設ではなくリゾートホテル(マンション)なのだ。経営が成り立つことを祈りつつ、先に進む。

「海癒の湯」のあたりから、左手下方向に大岐海岸が見えてくる。後方には小高い丘と山の緑、手前には横に広がる海岸、そして海。砂浜には見る限り商業施設のようなものは何もない。季節が秋だからか朝早くだからか、誰もいない砂浜はたいへんに静かであった。この海岸を歩く遍路道もあるらしいが、案内も見つからないのでおとなしくずっと国道を歩く。

国道は海岸の裏手にある丘を回り込むように続き、そこに大岐の集落がある。すぐ裏が砂浜なのに、水田があるのには驚いた。「国道321号 足摺サニーロード 足摺岬まで20km」の道標の下を通る。時刻はちょうど7時。あと20kmだとちょうど正午に着く計算となるが、国道は以布利から土佐清水に続くので、以布利から直接足摺岬に向かえばもう少し短くなるはずである。

大岐集落を抜けると、次の街が以布利である。前の晩ロッジカメリアのご主人が言うことには、「足摺まで間違いやすい交差点は以布利だけ。学校のところから道なりに進むと遠回りになるから、左に曲がること。まあ、遠回りでも着くから大丈夫だけど」ということであった。確かに、行先表示をみると、どちらでも足摺岬に着く。車ならたいした違いはないかもしれないが、歩きだとかなりの違いになる。

それよりも迷ったのは、小学校の角を曲った後、家並みの真ん中で、右にも左にも遍路道表示があったところである。右は道なりに続く舗装道路で「市内経由金剛福寺 17.2km」とあり、左は細い道に「窪津経由金剛福寺 13km」とある。きっと右は車で左は歩きなのだろうと考えたが、あとから考えると、短い方は山道を経由するのでどちらでも時間は変わらないのであった。

もちろん左の細い道を進んだのだが、すぐに車も通れる舗装道路になって、そこから海岸に向けてゆるやかに下って行く坂である。左手に海、そして港の大きな建物が見えてくる。その建物の近くまで行くと、そこに休憩所とトイレがあった。時刻は7時45分。約2時間半歩いたので、ここでリュックを下ろして一休みすることにした。

この休憩所を「じんべえ広場」といい、あたりの建物のどこかでジンベエザメを展示しているらしい。屋根のあるベンチとトイレがあるし、金剛福寺までちょうど行って帰って1日の距離になるため、歩き遍路にはよく利用されているらしい。前の晩にいただいたご接待のパンの残りを食べる。ここから先、足摺岬まで休むところはあまりないようなのだ。


歩き始めると空が明るくなった。ロッジカメリアのある下ノ加江の街を振り返る。


左手に見えてきた大岐海岸。秋のためか朝早いためか、とても静かだ。


海岸から見える丘のすぐ裏が大岐の集落。砂浜が近いのに水田が開けている。

 

じんべえ広場でゆっくりして、午前8時出発。あと約12kmだから、うまくいけば11時頃には着くかもしれない、と期待したけれども、もちろんそんな甘くはなかった。じんべえ広場から県道に復帰するまでの道のりが楽ではなかったからである。

まず、じんべえ広場のある以布利漁港から堤防沿いに、海からゴミが流されている海岸を進む。あまり歩きたい道ではないが、「遍路道→」の表示があるのでここを通るしかない。海沿いにしばらく行った後に、急傾斜の山道になる。もちろん、歩きでしか通れない道である。道幅も狭く、じめじめしている。滑りそうだし、まむしとかがいてもおかしくない道である。

ようやくこの登りをクリアすると、民家の裏手に出る。ここから道なりに進むのだが、海に沿ったくねくねした道を歩くので、とても長く感じる。道はこれで正しいのだろうかと不安になるあたりで、ようやく県道の太い道に出る。以布利漁港から窪津漁港まで、まるまる1時間かかって9時に到着した。

ロッジカメリアのご主人によると、ここ窪津漁港が足摺岬までの間で唯一お昼を食べられる場所で、弁当も売っているということだったのだが、まだ時間が早いせいかお店には何も出ていなかった。

そして、郵便局を探したのだが、県道沿いには見当たらない。前日から手持ち現金が乏しいことが気になっていたのだが、以布利ではまだ9時前で郵便局が開いていない時間だったし、この窪津は街が小さすぎる。苦労して探しても簡易郵便局で、キャッシュカードコーナーがないかもしれない(後から調べると日曜日の取扱いはなかったので正解だった)。

窪津の港では海抜5mくらいの高さを通っていた県道が、徐々に登って海抜50mくらいになる。おそらく津波があっても大丈夫ということだろう、ここに小学校があった。鉄筋の立派な校舎だったが、残念ながら最近になって閉校されたらしい。

足摺岬に行くには半島東側のいま通っている道を進むか、いったん土佐清水に出て西側から進むかになるのだが、いま通っている東側には車通りがほとんどない。もともと、車のすれ違いが困難なくらい細い道が多いのだけれど、さきほどから見ていると通るのは路線バスか地元の軽トラックばかりである。小学校が閉校になるのも仕方ないくらい子供の数が減っているのだろう。

窪津漁港から再び1時間歩くと、足摺岬までの最後の集落、津呂である。下り坂に沿って多くの民家がある。集落の入口に「お休み処」の看板があったが、店の人もお客も誰もいなかったのでやっていたのかどうか分からない。

そして、道沿いに待望の郵便局の表示があった。それなり大きな建物で横に役場か農協らしき施設もあったので期待したのだが、「日曜日は取扱いしておりません」だった。掲示をみると簡易郵便局だったので仕方ないのだが、これで足摺岬までおカネを補充できないことが確定してしまった。

津呂の家並みを過ぎると、足摺岬までは一本道である。真念「道指南」によると、足摺までの最後の集落はつろ村(津呂)の次に大谷村があるのだが、現在ではひとつながりになっていて区別がつけにくい。郵便局の先からが大谷村だったようである。

このあたり、遍路地図をみると大きなカーブをショートカットする道があるように書かれているのだが、その道を見つけることはできなかった。その代わりに、たいへん多かったのは道路工事である。

何ヵ所かで道幅を広げたり舗装を直したりしていて、そのため脇道が通れなくなっていたのかもしれない。とはいえ、遍路地図でみるほどにはカーブで距離を損しているという気もしなかったので、県道を道なりに歩いても特に問題はない。

10時45分、県道上の表示が「足摺岬2km」となった。あと30分、どうやってもお昼前には金剛福寺に着くことができる。土佐清水3時半発のバスも何とかなりそうだ。実は2kmというのは結構長いのだが、気分がいい時にはどんどん進む。やがて熱帯のような木のトンネルとなり、ジョン万次郎の銅像が見えてきた。

11時10分、足摺岬到着。ロッジカメリアから6時間弱で着くことができた。


以布利港にあるじんべえ広場。ロッジカメリアから2時間半と休み頃で、歩き遍路の人には便利な位置にある。

その後は、いろいろなものが流れ着いている海岸を通り、さらに急傾斜の森の中を登らなければならない。

足摺まで2km地点に到達。遍路地図にはいくつかショートカット道が描かれているが、工事中のためか県道以外のへんろ道は見つからない。

 

蹉陀山(さださん)金剛福寺。「陀」は足偏であり、蹉陀と書いて「あしずり」と読んだ。足摺岬の地名も、昔は「蹉陀」と「足摺」が併用されていたようだが、明治になって地名の方は「足摺」に統一された。

だから、旧来の字で残っているのは、金剛福寺の山号だけと思っていたのだが、県道沿いに立っている山門の碑文には「足摺山金剛福寺」と彫られている。文科省に配慮してのことだろうか。ご詠歌では「蹉陀山」が使われていて「さださん」と読む。「あしずりやま」と呼んだのでは7字に収まらない。

山内には多くの施設があると真念「道指南」にも書いてあるので大きな境内を想像していたら、意外とコンパクトである。中央に池があり、その周囲にお堂が配置されている。入って正面が本堂、左に折れて大師堂、さらに奥に庫裏が続いている。池を挟んで本堂の反対側には仏足石がある。

おそらく庫裏の奥に宿坊があるのだが、外からはよく分からなかった。聞くところによると団体の宿泊予約があるときだけ開くのだそうで、あるいは他の旅館・民宿に配慮しているのだろうか。足摺岬には多くの旅館・ホテル・民宿があるが、このご時世だから外国人旅行客頼みで、遍路までお寺に泊まられては商売にならないかもしれない。

3日振り、そして今回の遠征では最後となるお経を上げ、納経所でご朱印をいただく。池のまわりを一周すると境内はぼ見終わってしまい、時刻はまだ11時半を過ぎたばかりだった。この日予定していた土佐清水発のバスは15時30分だから、かなり余裕がある。

という訳で、この区切り打ちでは恒例となったきちんとした昼食をとろうと山門前の食堂を目指したのだが、なんと、手持ちの現金がほとんどないのである。少なくとも土佐清水からのバス代は残しておかないといけないので、ひとまず郵便局できちんとおカネが下ろせてからにしようと考えた。足摺岬の郵便局はもう少し先、ホテル街の方にある。

山門からしばらく、海を左手に緩やかな起伏を登り下りして行く。やがて「万次郎足湯」と、その向こうに温泉街の高い建物が見えてくる。そして、そのすぐ先にポストマークが見える。やっと郵便局に着いたと思ったら、入口にはなんと「土曜休日 お取扱いしておりません」の表示が。これでは現金を補充できないではないか。

あたりを見回すが、郵便局以外にキャッシュカードが使えそうなところは見当たらない。車であれば思い悩むほどのことはないだろうが、こちらは歩きである。折悪しく、小雨さえぱらついてきた。泣きそうなのは空もこちらも同じである。ともかく、先に進むしかない。もしかすると、というかほぼ確実に、約10km先の土佐清水市街まで、現金を入手できるチャンスはない。

郵便局の少し先で右に曲がり、足摺テルメ方面への坂を登って行く。登りながら考える。土佐清水から中村へのバス代は1400円、中浜あたりで挫折するケースも考えるともう少し残さなければならない。いま手許にあるのは千円札1枚と百円玉が10枚ほど、さっき食堂でお昼を食べなかったのは正解だった訳である。

幸い、荷物の中には非常食のカロリーメイトが残っているし、150円のペットボトルを1本買うくらいは大丈夫そうだ。何とか気を取り直す。そして気が付いた。前日の午前中に、四万十川でいただいたご接待500円がたいへん大きな意味があったのである。ご接待がいただけなければ、ペットボトルさえ買えなかっただろう。


足摺岬にはジョン万次郎の銅像が立つ。ジョンマンはアメリカに渡った後はよく知られているが、最初は漂流して鳥島にいた。


国道をそのまま進むと、食堂の前が金剛福寺。足摺山と彫ってあるのは、文部科学省に配慮して当用漢字を使っているのだろうか。


仏足石前から池を挟んで本堂を望む。それほど広くない境内だが、池を囲んでいろいろなお堂がある。

ちょうど峠にあたる地点に電器屋さんがあり、前に自販機が置いてあったのでミネラルウォーターを補充する。こういう時は、お茶やスポーツドリンクよりもミネラルウォーターである。この先10km何があるか分からない。その峠をまっすぐ進むと金剛福寺奥ノ院である白皇神社だが、今回は左に下って土佐清水を目指す。

しばらく進むと、へんろ休憩所があった。「しんきん庵」と書いてある。幡多信用金庫のご厚意による休憩所である。ベンチに腰を下ろし、カロリーメイトとミネラルウォーターでお昼にする。最後になってちゃんとしたお昼をとれないのは残念だが、荷物を少しでも軽くできるのは悪いことではない。

そして思った。予想もしていなかったご接待の500円のおかげで、 安心して先に進むことができる。ありがたいことである。そして、こうしたことはお遍路歩きにとどまらず、日々の生活すべてについて言えるのかもしれない。行いを正しくしていれば、思いがけないところでうまくことが運ぶということがあるのかもしれない。

リタイアして以降、先々の生活について思い悩むこともあるのだが、取り越し苦労はあまりしなくてもいいのかもしれない。考えてみると、就職の時も2度の転職のときも、生活が成り立つかとかそういう心配はしていなかった。自分にとって、正しい選択であるかどうかだけが関心事項であった。

そして、どこが転機かということだって、熟慮のうえ動いたということでは必ずしもなくて、思いがけないことがまずあって、それで動いた一連の結果がいまに至っているということである。羊男風に言うならば「踊るんだよ」ということだし、騎士団長風に言えば「それを断ってはならない」ということになるんだろう(c.村上春樹)。

12時半になったので出発する。制限時間はあと3時間、土佐清水まで残り約10km である。

足摺岬から西岸を歩くと、以前はもっと距離も時間もかかったようである。だが、つい最近、平成28年に松尾トンネルが開通して人も車もたいへん便利になった。私の持っている遍路地図第10版には、まだこのトンネルは載っていない。トンネルの長さは1057m、払川大橋まで含めた松尾・大浜バイパス全体の工事費は約55億円という。

金剛福寺のある足摺岬から、半島の西の突端にあたる臼碆(うすばえ)岬までは結構距離がある。臼碆とは、岬の沖合にある岩が臼のように見えることからそう名付けられたのだそうで、トンネルがなかった頃はこの岬まで県道を大回りするか、あるいは山道を行くしかなかった。途中まではこの臼碆と書いてある道案内にしたがって海沿いを進む。

海岸のため風がたいへんに強く、帽子が飛ばされそうになった。やがて道は傾斜のある登り坂になり、彼方に谷をまたいで地上から立ち上がった陸橋が見える。集落はその橋の足下から海岸に向けて開けている。案内板があって、このあたりの集落が松尾であり、宗田節の本場であると書いてある(その後、空港で宗田節のかつぶしをお土産に買って帰った。たいへんおいしかった)

陸橋を登り切って平らになったあたりで、道が左右に分かれている。左が臼碆岬に向かう旧来からの道で、そちらに民宿青岬の看板も見える。右が松尾トンネルに向かう道で、分岐点から100mくらい先にトンネルの入り口が見える。トンネル入口着13時10分。金剛福寺から、休憩時間を除くと1時間と少しかかった。

今回の区切り打ちでは、新伊豆田トンネル1600m、横浜トンネル800mなどいくつか長いトンネルをくぐったが、松尾トンネルも1kmを超えるたいへん長いトンネルである。

とはいえ、最近作ったものなので、内部の照明がLEDでたいへんに明るく目が疲れない。それと、基本的にまっすぐなので出口がぼんやり明るくなっているのは安心である。交通量が少ないのに、お遍路仕様で両側に歩道があるのもありがたい。トンネル中央でシールドが若干ずれたらしく、壁に段差があるのはご愛嬌である。

距離どおり、ほぼ15分でトンネル出口に到着。あたりは真新しい道路である。しばらく進んでから振り返ると、トンネルの上にある山の中腹に民家が見えた。昔は西岸を通ろうと思えば、あのあたりまで登らなければならなかったのである。そう思うと、トンネルができたことはたいへんありがたいことであった。


足摺岬のホテル街を越え、テルメへの坂道を登ってしばらく進むと、しんきん庵遍路休憩所。しんきん庵とは、幡多信用金庫の寄進による遍路休憩所である。


かつては海岸に沿って県道を進むか山道しかなかったが、松尾トンネルが通って西岸のアクセスが向上した。


松尾トンネル入口。中はLED照明で、たいへん明るい。臼碆岬を通り越して、大浜の近くまで行くことができる。

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トンネルを出て10分くらいで海岸線に出ると、少し先に鉄筋4階建ての建物が見える。足摺岬より先で大きな建物のある街といえば大浜のはずで、大浜まで着けば中浜はすぐ先である。午後2時前に大浜に到着した。バスに乗り遅れるリスクは避けなければならないので、ここからは極力バス通りを歩く必要がある。

ちょうど、予定していたよりも1本前のバスが足摺岬方面から走ってきて、中浜方向に通り過ぎて行った。バス停で時刻表を確認するとやはり1時間半前の便であった。残すところあと約5kmだから、よほどハードな道でない限り土佐清水まで歩くことは可能である。

少し安心して、へんろ道に入る。このあたりのへんろ道は民家の軒先を通る狭い道で、漁村らしく結構な登り下りがある。10分も歩くと中浜に着いた。墓地のある坂道を登ると中浜小学校で、壁にカウボーイハットのおじさんの絵が描いてある。小学校から下りてくる交差点には「知らない人にはついていかないように 中浜万次郎」の立札がある。

中浜万次郎は、もともとこの漁村で育った漁師であった。乗っていた船が難破して鳥島に漂流し、そこで何ヵ月も救助を待った。たまたま近くを通ったアメリカの捕鯨船に助けられ、船長の養子となってアメリカの学校で勉強する。その頃江戸幕府は鎖国しており本来なら帰国できなかったが、幕末のごたごたで幕府も海外経験のある人材を求めていたことから、将軍直参の旗本となったのである。

わずか百軒足らずの漁村に育ち、ろくに読み書きもできないまま10かそこらで漁師となったにもかかわらず、アメリカに渡っていまの高校生くらいの年齢から学校に通い、後に通訳として諸外国との交渉にあたるほどの語学力と専門知識を身に着けたのである。実際にアメリカの学校に通ったというアドバンテージがあったにせよ、勝海舟や福沢諭吉といったアクの強い旗本連中と渡り合ったのだから、並大抵の頭のよさではなかったのだろう。

そのあたり、帰ってから井伏鱒二の「ジョン萬次郎漂流記」を読んでみたが、あまりにもあっさり書かれていてよく分からなかった。いろは47文字よりabcの方が数が少ないから簡単だったなどと書かれているけれど、そんなものではないだろう。ハングルやタイ、アラビア文字が歳いってからだと頭に入らなくなるのを考えても、容易なことではないはずである。

そもそも、現代の村上春樹とかを読んでいる感覚からすると、これが小説なのか、これで直木賞なのかという感想をもってしまう。登場人物の内面についてほとんど書かれていないし、車谷長吉いうところの「虚実」がない。これで直木賞なら、「深夜特急」だって直木賞をあげなくてはなるまい。昔の小説といっても、夏目漱石はもっと昔なのである。

さらに集落を進むと、再び海岸線に出る。ジョン万次郎の記念碑や生家跡への案内図が掲げられている。「ジョン万次郎を大河ドラマに」とも書かれている。せっかくだから生家跡を目指して集落内の狭い道を進む。

ブロック塀に「ここが万次郎の母の実家」などと書いてある。150年以上前の家がまだそのままの場所で続いているというのは、さすがである。生家跡は復元されたもので、普通の民家であった。再びへんろ道に戻る。坂道や階段を登り切ったあたりが資材置き場のような施設で、そこで県道と合流する。今度は下り坂で、そこを下ると海に出た。

すぐ先に港と、その向こうに大きな街が見える。土佐清水である。時刻は14時20分、あそこまで1時間なら楽勝だろう。そう思ったら道は湾内をぐるっと迂回する形で続いていて、午後3時まで歩いても目指すプラザパル停留所には着きそうにない。このバスを逃すとたいへんまずいことになる。

仕方なく、足摺病院前のバス停でバスを待つことにした。近くの銀行でおカネを下ろし、スーパーでバナナとペットボトルの飲み物を買う。バナナを食べているうちにバスが来た。バスで中村まで、そこから土佐くろしお鉄道とJRで宿泊地の高知市内に向かったのでありました。

この日の歩数は64,338歩、距離は37.5kmで、これまでの最高記録を更新して区切り打ちを終了した。この回(第6次)の区切り打ちの総距離は141.1km、1日平均では28.2kmと、札所も少なかったため前回(第5次)より1日平均1km半ほど多く歩くことができました。

[ 行 程 ]真念庵 14:30→
[5.2km] 15:55 下ノ加江(泊) 5:20→
[7.0km] 7:00 大岐海岸 7:00→
[3.5km] 7:45 以布利じんべえ広場 8:00→
[13.5km] 11:05 三十八番金剛福寺 11:30→
[5.7km] 13:10 松尾トンネル入口 13:15→
[2.4km] 13:45 中浜 14:00→
[5.3km] 15:05 土佐清水

[Feb 10, 2018]


大浜と中浜は隣同士。中浜はジョン万次郎の出身地である。中浜小学校の絵は、万次郎時代のアメリカ人?


中浜には万次郎の銅像や記念碑、生家がある。このあたり、へんろ道が登ったり下ったり、民家の軒先を進んだりする。


午後2時頃には土佐清水のすぐ近くまで来た。だが、これから湾内を回り込むので、すぐ対岸に見える市街中心部まで1時間以上かかる。