067 元清澄山 [Jan 19, 2018]


この図表はカシミール3Dにより作成しています。

今年の冬はたいへんに寒く、比較的あたたかな房総とはいえ二の足を踏んでいた。1月中旬にようやく気温が上がった。翌週になるとまた寒気が下りてくるというので、1月19日の金曜日に出かけることにした。(実際に、3日後の月曜日に大雪になった)

その日は車が使えないので電車である。せっかくだから外房線で下りて久留里線まで歩く片道コースを歩くことにした。目的地は元清澄山、清澄寺から関東ふれあいの道があるので、それなりに整備されているはずだ。上総亀山へは三石山への尾根道を歩くが、電子国土に点線が載っているので迷うことはないだろう。ネタ本は千葉の山の定番「房総のやまあるき」である。

安房天津から清澄寺へのコミュニティバスに時間を合わせなくてはならないので、いつもよりゆっくり出て7時10分千葉発の外房線各駅停車に乗る。この時間なのに通勤・通学客で一杯だ。これは予想外だった。40分走った茂原まで乗車率は200%近い。

それはそうと、50年前は千葉から先は女子高生の外見が違ったものだが、現在では都会とほとんど変わらない。足首は細いし色は白い。スマホばっかりしているのも同じである。まあ、それは香港でも東南アジアでも同じことなのだが。

ようやく高校生が下りて電車が外房線らしくなったのは、1時間乗った大原であった。大原から先は一車両4~5人が乗っているだけの静かなものである。千葉からこの状態だと思っていたものだから大層面食らった。

安房天津で下りて、駅の向かいにあるバス停で5分ほど待つと、清澄寺行きのコミュニティバスがやってきた。10人ほど乗れるバンで、乗客は私ひとりである。そういえば、3年前も一人で乗ったことを思い出した。このコミュニティバスに乗ったのは2015年の2月、清澄寺から真綿原経由石尊山を目指した時以来である。

そのルートは、かつてシニア登山者が道に迷って騒ぎを起こした逆コースだったのだが、他人の道迷いをどうこう言っていたら自分自身が道に迷ってしまい、尾根一つ間違えて養老渓谷の方に出てしまった。その意味では、あまり縁起のいい山域とはいえない。油断しないように歩かなければならない。

清澄寺のバス停で下りて関東ふれあいの道掲示板をみると、3年前に通った真綿原へのルートは通行止めになっている。そういえば、路肩がまっすぐ谷に切れ込んでいて、結構危ない道だったことを思い出した。今回歩くのはその逆方向、元清澄山方面である。

バスが登ってきた坂道を下りて行き、途中で左に折れてゲートを通り過ぎ陸橋を渡る。このゲートは東大演習林のため車両通行止めにしてあるもので、関東ふれあいの道なので歩行者は脇から通れるようになっている。しばらくは、演習林の作業道を進む。路面は簡易舗装だったり砂利道だったりするが、平らで歩きやすい。そして、ごく最近通ったタイヤの跡が残っている。

30分ほど歩く間に、ベンチのある展望地を過ぎ、池ノ沢番所跡を通る。池ノ沢番所は江戸時代に川越藩が置いた番所の一つで、ここまでが安房、ここから先が上総の境である。この日JRを下りたのは安房天津、1日歩いた後で乗るのは上総亀山で、江戸時代であれば国境を越えることになるのであった。

たいへん歩きやすい道を1時間半歩くと、演習林の立入禁止ゲート前に出た。今度は、歩行者も入れないように道幅いっぱい金網が張ってある。関東ふれあいの道の標識は山中を示していて、ここからはいよいよ本当の登山道となる。標識に示された距離は元清澄山まで2.9km。ここまで楽に歩いてきただけに、結構長い距離が残っているなと思ったものでした。


元清澄山への関東ふれあいの道は、東大演習林の中を進む。道幅は広く傾斜は緩やかで、ほとんど危険個所はない。


30分ほどで池の沢番所跡に到着。ここは川越藩の国境警備所、つまり安房と上総の境にあたる場所である。


歩き始めて1時間半。とうとう演習所道路はゲートで封鎖される。ここから元清澄山まで約3km、これまでとは比較にならない険しい道である。

 

清澄寺を出たのは9時40分だったので、山歩きのスタート時間としてはかなり遅い。すでに時刻は11時15分。これから元清澄まで山道を2.9kmであれば少なくとも1時間みなければならず、到着時間が正午を過ぎることは確実である。計画では上総亀山を4時半過ぎに出る千葉行バスを予定していたので、間に合わせるにはかなり急がないといけない。

案の定、登山道に入るとこれまでの演習林作業道とは違って難易度が上がる。とはいえ、関東ふれあいの道は個人的に「高速登山道路」と呼んでいるくらい整備されている。基本的に起伏はなだらかで路面は平らであり、危険個所は手すりや柵で安全なように手当てされている。房総に付きものの小ピークの登り下りはトラバースされ、やせ尾根には注意書きがある。

この日は寒くならないという予報だったのだが、思ったより風があって寒く感じる。そしてこのあたりのトラバース道は小ピークの北側を通ることが多く、じめじめして日が当たらない。体が冷えるし時間が押しそうだということもあって、自分としてはペースを速めて歩く。何しろ高速登山道路なので、私でも、飛ばせば飛ばせないこともないのである。

実はここで大きなミスをしていて、三石山方面への分岐を見逃していたのである。いつも通りゆっくり歩いていれば見逃すような場所ではなかったのだが、先を急ごうと気があせっていたのだろう。結局そのせいで余計な時間がかかってしまったのだから、山歩きは本当に「急がば回れ」なのである。

清澄山まで1.5kmを切るあたりから徐々に傾斜が急になってきた。擬木の階段状になったアップダウンを何回か繰り返す。房総は300~400mの山しかないが、累積標高差はそれなりにある。ちょうど12時に、広い場所に出た。この先に林道があるので、建設時に資材置き場か駐車場にしたのではないだろうか。「山火事注意」のビニール製注意書きが、古くなって裏返っていた。

案内板によるとまだ元清澄山まで700mほどあるので、ここで昼食休憩にする。EPIガスでお湯を沸かしてインスタントコーヒーを淹れ、ランチパックとアンパンを食べる。景色はさほどいいとはいえないが、広くて平らな場所なのでお昼をとるにはいいところである。広場の先は行き止まりで広い道は続いていないが、赤テープが貼ってある。

あるいはここが三石山方面への登山口かと思ったが、GPSの数値を見ると200~300mほど違うようだ。ここまで三石山への分岐が見つからなかったので、帰りにチェックすることにした。25分休んで出発する。休憩地のすぐ先から林道が始まっていて、「この道は鍋石方面へは行けません」と書いてある。麓まで通じていれば何らかの手段で着くと思うが、枯れ木で通せんぼしてある。

元清澄山へは、この林道から左に分かれて登る道を行く。予想したように700mとはいえアップダウンを繰り返す道で、それも傾斜がかなりある。昼食休憩までは「今回は比較的楽に歩けたな」と思ったくらいなのだが、やっぱりそんなことはなかった。

やせ尾根を越え、小ピークを越え、700mが500mになり残り100mになって、とうとう最後は頂上直下の急登である。まるで房総とは思えないくらいのボリュームがあった。12時45分、元清澄山着。頂上にはテーブルとベンチ、三角点がある。

環境庁と千葉県が連名で建てた案内板があり、そこには、「清澄寺はもともとこの山にあり、礎石が残っています。いつしか現在の清澄山に移ったことから、この山を元清澄山と呼ぶようになりました」などと書かれていた。なるほど、清澄山はかつて多くのお堂や宿坊があったとされるから、この山では少々手狭だったのだろう。

ベンチに腰かけるのは、3時間ほど前の関東ふれあいの道の休憩所以来である。ただ、冷たい風が吹き抜けるし思ったより時間はかかったしで、あまりゆっくりすることはできなかった。5分ほど休んで登ったばかりの急傾斜を下りる。


演習林から登山道に入ると、徐々に危険個所が現れる。とはいえ、関東ふれあいの道でなければ特に注意書きもないような場所である。


元清澄山に近づくと、かなりの急傾斜となる。演習林を歩いて楽をした後ではたいへん疲れる。


元清澄山直下は、関東ふれあいの道はやめてしまったんですかというような状況。わずか300mほどの標高でも、かなりきつい。

 

早々に元清澄山の山頂から下りて、3つ4つあるコブを乗り越えて林道分岐に戻る。三石山への分岐はどこか方角を確認しながら探すのだが、昼食休憩した場所から頂上の間にはない。まずは休憩地の奥にあった赤テープの地点から探ってみる。

かすかに踏み跡らしきものはあるのだが、斜面をトラバースしているもので幅が非常に狭い。この日は誰とも会わなかったけれど、向こうから人が歩いてきたらすれ違いが困難である。その上、斜めっている足下を滑らしたらずっと下まで落ちてしまう斜面である。そもそも、次の赤テープが見当たらない。20mも進まないうちにこれは無理と引き返した。

関東ふれあいの道を戻りながら、分岐があるはずの北側に尾根が伸びている地形を探す。次の候補地は休憩地から100mほど戻った斜め上の尾根に上がる踏み跡で、上がってみると尾根は人の通れる幅がある。下って登ってみると、その先は切れ落ちていて先に進めない。ここも違う。

次に失敗したら清澄寺まで戻るしかないと思ってさらに100mほど進むと、北側の斜面を登る道があり、「三石山」の手作り標識がご丁寧に2つも置かれている。行きにちゃんと前を向いて歩いていれば見逃す場所ではないのだが、何をぼんやりしていたのだろう。時刻は13時30分、頂上から35分だから、分岐が分からないでロスした時間は10分くらいだったはずだ。

後から考えるとあせることは全くなく普通に歩けばよかったのだが、2度ほど間違った道に入りかけて気があせっていた。帰りのバスの時間とか、できれば日帰り温泉で温まって帰りたいなどと思って、分岐から自分としてはかなりのハイペースでアップダウンをこなす。ここはもうすでに関東ふれあいの道ではないので、手すりもなく地盤も整っていないので余計に負担がかかる。

しばらく歩いた後、何か左足にひっかかったような感触があった。枯れ枝でも引きずっているのかと思って見てみたが何もない。何もなければ急ごうとさらに進むと、一瞬左足が固まる感触が走った。これはまずい。足が攣る前兆である。とっさにあたりを窺い、横になっても大丈夫な地形であることを確かめ、枯れ葉の重なった場所に腰を下ろす。

両手で左足を押さえる間もなく激痛が来た。しばらくは息もできない。ふくらはぎは完全に攣ってしまい固まっている。「あーっっっ」と大声が出てしまい横になる。必死にリュックを下ろして横ポケットのミネラルウォーターを取る。昔Saitohさんに言われたように、攣った時はまず水分補給しなければならない。次に荷物からコムレケアを取り出して飲む。

こんなふうに山歩き中に足が攣るのは、2012年の三条の湯以来である。あの時もとても寒くて、日差しもない谷間の道を歩いてついに痙攣したのであった。今回も寒波襲来前で暖かいという予報にもかかわらず日差しがほとんどなく、最高気温は7℃くらいしかなかったのではないかと思う。ちゃんと水分は摂っていたのだけれど、こういう事態になったのは厳しかった。

痛みがおさまるまで5分くらいかかった。時計をみるとちょうど午後2時。GPSで現在位置を確認すると、三石山分岐に入って30分ほど経ったにもかかわらず、三石山までの距離の5分の1も来ていない。これでは、下山口に着くのは午後4時である。そして、当初の激痛はおさまったけれど痛みは収まっていないので、普段のペースで歩けるとは限らない。

下山口から上総亀山までさらに3km以上あるから、16時42分のバスは難しいし、日帰り温泉なんてとても無理である。そう思ったらかえって気が楽になった。久留里線の次の電車は午後5時を過ぎてからなので、何とかそれを目指して下りるしかない。

幸い、10分ほど休んで立ち上がると、痛いのは痛いけれど歩くには差し支えない。元清澄山直下のような急傾斜があると厳しいかもしれないが、ないことを祈るしかない。少しずつペースを戻しつつ、基本的にはリスクミニマムで痛みが出ないように歩く。まだ早い時間なのに、なんだかあたりがうす暗くなってきた。


元清澄山の山名標と三角点。こちら側にテーブルとベンチも置かれている。ここは最初に清澄寺が置かれた場所ということである。


関東ふれあいの道から北に、三石山への登山道が分岐している。往路では見逃して、結構迷った。


三石山への登山道は、それなりに整備されている。しかし、この写真の直後に左足がけいれんしてひどい目に遭った。

 

関東ふれあいの道から三石山分岐に入ったところで右のふくらはぎが攣ってペースダウンを余儀なくされ、日帰り温泉も予定したバスに乗るのも難しくなった。原点に戻って、何はともあれ無事に下山しなければならない。

幸いに、多少のアップダウンはあるものの急傾斜というほどの坂はない。わずかな登りでも先ほど攣った左足ふくらはぎがひどく痛むので、これ以上悪くならないようにゆっくりゆっくり歩く。水はまだペットボトル1本が手つかずで残っているので心配はないが、水分補給にも気を使わなければならない。

14時25分、千葉県の建てた立派な行き先案内のある分岐に着いた。ここが地蔵峠というらしい。こんな立派な道案内を道中に建てるのなら、入口にもちゃんと建ててほしいものだと言ってみても誰も聞いてくれない。そしてこの分岐、「郷台畑」と書いてある方向には通せんぼがしてあって、進めないようになっている。この先が東大演習林なので、開放日以外は通れないのだ。

東大演習林はこの一帯の広大な山林を有しており、方々で立入禁止にしている。東大がおカネを出して買ったのならともかく(それだって元は税金だが)、この山林は明治維新の際に新政府が江戸幕府から接収したもので、いわば米軍基地の明治政府版である。やたらと立入禁止にしないで、愛宕山の自衛隊くらいには自由に歩けるようにしてほしいものである。

ただ、そこから30分ほど歩くと、民間の土地にしておくとこうなるという悪い見本が現われた。ずっと林の中のうす暗いところを歩いてきて、ようやく明るくなったと思ったその時、目の前に広がったのは、見渡す限り太陽光発電装置の置かれた広大な敷地であった。

昔、昭和45年に測量された1/25000図では、ここはちゃんと起伏のある山林となっている。記号が針葉樹林だったり広葉樹林だったりしているのは、多くは自然林だったということであろう。それがその後の地図では「ゴルフ場造成地」となり、現在の電子国土ではまっ平らなのっぺりした地面に整地されている。

電子国土だけ見ていると、土砂採掘場にでもなったのかなと思っていたし、実際に遠くの方ではトラックが行き来していたのだが、そのほとんどは太陽光発電のパネルが敷き詰められ、山を埋め尽くしている。ある意味絶景といえなくもないが、よく考えると恐ろしい風景である。ゴルフ場だって自然破壊だが、それ以上ともいえる。

森があって水があれば多くの生き物が暮らしていけるし、ゴルフ場だって鳥や小動物くらいは住むことができるが、太陽光パネルは電気を作って機械を動かすだけである。山は人間が排他的に利用していいものではないし、ましてや地主が好きにしていいはずがない。植物や動物の命を削って電気にする、つまりカネにするというのは人間の傲慢だと思う。

私の住む千葉ニュータウンでも宅地化が盛んに行われるようになり、方々でタヌキが交通事故に遭っている。いまの世の中は、カネに換算できるのが正義という考え方になっているけれど、過ぎたるは及ばざるが如しという。カネを媒介として便利に快適に生きていけるのはいいことに違いないが、カネのためにカネを求めるのはやり過ぎである。

原子力がダメならクリーンエネルギーといって太陽光発電が推進されているけれど、こうやって山をつぶしてパネルを並べるのが正しいとはとても思えない。でも、山の持ち主もカネが欲しいからゴルフ場に売ったり、こうしてパネルを並べるくらいしか方法がないのだろう。だったら、立入禁止でも東大演習林にして管理を任せた方がまだましということではないだろうか。

太陽光パネルは走って下ればすぐのところまで山を埋め尽くしている。いざとなればここを下りれば楽な道になるかなあと思う一方、こうした施設は背の高い金網で入れないように囲っていて、出入口は施錠してある。そして大抵の場合、無人の機械警備である。下りたはいいが、どこまで行っても金網で囲われていたのでは生還できない。

太陽光パネルに沿って30分ほど歩き、方向を変えて再び山の中に入り、急な斜面を上り下りすると唐突に下山口の階段に出た。房総特有の滑りやすい石を削った階段であり、傾斜も急なので慎重に下りなければならない。ようやく下りると目の前は三石山観音寺の入口で、軽トラの屋台が出ていたので何時間ぶりに人の姿を見た。

ここのお寺は登山者に冷淡と評判で、WEB情報によると登山者が車を止めると文句を言いに来るそうだが、合計すると2~300台は駐車できるスペースに対して停まっている車はゼロだった。岩場に色とりどりの布がはためく奥ノ院は一見の価値があるが、一度見れば十分である。三十年ほど前に見に来たので、もう見る必要はない。登山者に冷たい寺に挨拶するのも業腹である。

三石山観音寺前に着いたのは15時30分。足を痙った時には4時過ぎることを覚悟したので、それよりも大分早かった。そこから上総亀山までは下りの舗装道路を4kmほどであり、16時43分の千葉行バスに間に合う時間だったのだが、足が痛む上に途中でまたもや道を間違えてしまい、結局駅に着いたのは17時15分、久留里行き電車にギリギリ間に合った。

足は痙ったけれど歩けないという事態にはならず、人里まで下りてきた時には正直ほっとした。この日、東大演習林を歩いていた時には、これでは山歩きのトレーニングにならないなどと不遜な感想を持っていたのだが、終わってみるとハードな1日だった。攣った後で無理して歩いた左足ふくらはぎの痛みは、その後1週間近く引きずることになったのでした。

この日の経過
清澄寺バス停 9:40
10:35 池の沢番所跡 10:40
11:10 演習林ゲート前 11:15
12:00 林道分岐下広場 12:25
12:45 元清澄山 12:55
13:30 三石山登山道分岐 13:30
13:55 313独標前(左足けいれん) 14:05
14:25 地蔵峠 14:25
15:30 三石山登山道口 15:40
17:10 上総亀山駅
[GPS測定距離 19.1km]

[Feb 26, 2018]


ふれあいの道から30分以上歩いて、ここが地蔵峠というらしい。この分岐の郷台畑方面は、演習林のため立入禁止のゲートが。


三石山に近づくと、ある意味絶景ポイントに到着。四半世紀前はゴルフ場予定地だったが、いまはこの状態である。


三石山からさらに1時間歩き、5時近くなってようやく人里に達した。この日はハードでした。